第172話

 焚き火台の上に置いた鍋の中を見ると、いい具合にルーヨのモモ肉が煮えている。

 煮汁の量もだいたい三分の二程度へと減っているので、煮込み時間としては適切だと思う。


 レードルを使って煮汁を小皿に取って味をみる。

 ニンニクやソフリットがもたらす野菜の旨味がベースとなり、赤ワインの芳醇な香りと複雑に絡んだ旨味にルーヨの肉の旨味が溶け出していて実に美味いのだが、力強さが欠ける。


「ミミル、持ってるお菓子を見せてくれないか?」

「ん? これでいいか?」


 手持ちのお菓子を見せてくれるようにお願いすると、ミミルは空間収納に仕舞っていた菓子類を並べていく。

 ポテトチップスに始まり、スナック菓子と呼ばれるものがテーブルの上に並んでいくと、ようやく目当てのものを見つけた。


「これをひとつ貰うぞ」


 取り出した黒い箱の包装を開け、中から銀紙に入った小さな板チョコレートを取り出す。

 ミミルは新品だったチョコレートの中身が気になるようで、少し恨めしそうな目で見つめている。


 チョコレート自体は小さな大きさなのだが、それを二つに割って一つをルーヨの煮込みが入った鍋に入れる。


 残った一切れをミミルに差し出すと、ミミルは拗ねたような表情をしながらもそれを受け取り、口へと運んだ。


 赤ワインとトマトを使った煮込みにチョコレートを入れることで苦味が加わり、味に深みが出る。

 ホルンラビ(ツノウサギ)の煮込みではエスプレッソコーヒーを入れたが、似たような効果を求めてのことだ。


 さて、チョコレートの味が馴染むまでの間に、マッシュポテトを作る。

 ジャガイモの表面に濡らしたキッチンペーパーを巻きつけ、ラップでくるむ。それを三つほど作ったら、皮を剥いたニンニクを一片だけ入れて皿の上に載せる。


「――マイクロウェーブ」


 皿の上に手をかざして、電磁波を浴びせて加熱する。

 日本の電子レンジとは違い、最も効率が良いとされる周波数帯で温めると、短時間でジャガイモを蒸し上げることができる。


〈その技能を料理にも使ってしまうというのか……〉

〈まぁ、便利だからな〉


 ミミルが呆れたような声を上げるが、いまのところ波操作という技能を授かって俺が活用したものといえば、この〝マイクロウェーブ〟と〝音波探知〟くらいのものだろう。

 これ以外の使い方についてはこれから研究していく必要がありそうだ。


 それはさておき、ほんの数秒でほこほこに蒸し上がったジャガイモの皮を剥いてボウルに入れる。一緒に蒸し上げたニンニクの一片も一緒だ。

 それをマッシャーですべて潰してしまう。

 より滑らかに作るなら裏ごししたいところだが、自家消費……俺とミミルだけが食べるものなので、簡単につくればいいだろう。

 潰れたジャガイモに塩、生クリーム、牛乳、無塩バターを加えて練り上げる。

 マッシュポテトの出来上がりだ。


 それを皿の一部にこんもりと盛り上げるように盛り付けると、同じくマイクロウェーブを使って蒸し上げたブロッコリーを皿の上に載せる。


 チョコレートが溶けて全体に馴染んだルーヨの煮込みをお手塩皿おてしょざらに少し掬って味見をする。

 ほんの少量のチョコレートを入れるだけで風味に芯ができて味も纏まった。

 纏まったといえ、まだ出来たてだ。欲を言えば一晩寝かしたいところだが、明日の朝には残った分でその味を楽しめるだろう。


 レードルで煮上がったルーヨのモモ肉、煮汁をたっぷりと掬い上げてマッシュポテトの隣に装う。

 そこから立ち上るのは上質のラグー煮込みらしい食材が混ざり合い、溶け込んだ複雑で美味そうな香り。

 そこにイタリアンパセリに似たリンキュマンを散らしてできあがりだ。


 早速、ルーヨの煮込みをミミルの前に差し出す。

 雪のように真っ白なマッシュポテトの隣に褐色に染まったルーヨの煮込み。そこに柔らかく蒸し上がったブロッコリーが彩りを添えている。


〈食べてもいいのか?〉

〈もちろんだ〉


 皿に盛り付けられた料理と俺の顔を交互に見つめながらミミルが訊ねる。

 食べるために作ったんだから是非食べて欲しい。


 皿に自分の分のルーヨの煮込みを装って椅子に座る頃には、ミミルは口いっぱいに煮込みを頬張り、両頬に手を当ててうっとりとした目で宙に視線を送っている。

 こうもリアクションがいいと、作る側も嬉しくなるというものだ。


 俺もマッシュポテトに煮汁を吸わせ、先ずはひと口……。


「う、美味い……」


 最初に口へ広がるのは煮詰めた赤ワインやトマト、香味野菜の香りと表面を焦がした肉の香ばしい風味。

 煮汁に溶け出した肉の旨味、タマネギやニンジンの甘味がほのかにニンニクの香りを纏ったマッシュポテトと共に舌の上でサラサラと溶けて消えていく。

 スプーンの廻しの部分を肉に押し当てると、ほろりと肌理きめ細かい繊維状になって崩れ解ける。その解けた肉をまたマッシュポテトに塗し、口へ運ぶ。

 解れた肉を噛み締めると、隙間に吸い込んだ煮汁と、ルーヨの肉が持つ旨味がほとばしり、口いっぱいに広がった。


〈おかわり!〉


 これもミミルは気に入ったようだ。

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