第170話
ニジナマスは大きく、フライパンでそのままでは調理ができないので中央付近で二つに切る。
次にアサリなんだが、買ってきたままなので砂抜きをしていない。
二つの容器に同量の水を用意する。
何を始めたのだろうと興味深そうな目で見るミミルを横目に、片方にマイクロウェーブを掛けて沸騰させる。
この二つの液体を混ぜ合わせれば摂氏五十度くらいのお湯になるはずだ。
〈しょーへい、何をしているのだ?〉
〈ムスリーニェに砂を吐き出させるんだよ〉
〈そんなことができるのか?〉
ミミルの目の前でアサリをこすり合わせて汚れを洗い流すと、バットの上に並べる。
〈まあ、見ていてくれ〉
冷ましたお湯を掛けると、アサリが温かいお湯に驚いて次々と砂を吐き出していく。
〈おおっ……〉
〈すごいだろ?〉
〈うん、すごい技だな〉
〈あ、うん……〉
ミミルが驚いているが、実は技と言うほどのものではない。
急に温かいお湯にヒートショック状態になったアサリが慌てて水を吸収して身が膨らみ、一緒に汚れや砂を吐き出すという習性を利用したものだ。
綺麗に砂を吐き出してくれるまでこのまま十五分ほど寝かせておく。
その間に小タマネギの皮を剥き、黄色のパプリカ、ブロッコリーなどの準備をしておく。
〈こっちの草はどうする?〉
〈悪いが、葉物はさっと水で洗ってくれるかい?〉
〈問題ない〉
ミミルはレタスを手に取ると、一枚ずつ葉を剥いて水魔法で洗っていく。
さすがに魔法の使い方には無駄がない。
その間に俺はフライパンに厚めの輪切りにしたニンニク、オリーブオイルを入れて焚き火台の上に載せる。
じっくり、ゆっくりと火を通している間にアサリの砂抜きが終わるくらいで算段して調理をしている。
早々にレタスの水洗いを済ませたミミルはフライパンから漂う匂いが気になるようだ。
俺の傍らにやってきて、一緒にフライパンの中で泳ぐニンニクを眺めている。
〈いい匂いだ〉
〈ああ、この匂いが出たときに何かをするのが大事なんだよ〉
ニンニクの表面が少し茶色く色づいてきたタイミングで簡易コンロに移し、ニジナマスの身を入れて焼く。
簡易コンロは火力が高いので、すぐに表面が香ばしく焼き上がっていく。
そして、ニジナマスを裏返したら、アサリ、小タマネギを入れて炒め、白ワイン、塩を加えて蓋をする。
シャルドネの爽やかな柑橘系の香り、アサリから出る海の香りが加わり、フライパンからは食欲を唆る濃厚で複雑な香りが立ち上る。
〈貝が口を開いたら野菜の類を入れて、再度蒸らしてできあがりだ〉
〈いい匂い……〉
その様子をガラスの蓋を通してフライパンの中身を覗き込むと、ミミルはそこから漂う匂いを何度も嗅いでいる。
〈悪い、ちょっと退いてくれるか?〉
そう声を掛けると、ミミルは焦ったように一歩、ニ歩と
また火が出るようなことをするのかと心配そうな顔だ。
〈ニジナマスの身が肉厚だから貝に火が入りすぎないように……〉
〈手間を掛けるんだな〉
フライパンの蓋を開け、先に皿へとアサリを移していく。
その様子を見て、ミミルは少し感心したような声を漏らして俺を見上げる。
〈これくらいは手間と言わないけどな〉
〈そうなのか?〉
〈そうだ〉
貝類は熱が通り過ぎると固くなり、身が小さく縮んでしまう。食感が悪くなり、旨味も全部汁に出てしまうのでタイミングを見計らって調理するのが肝要なんだが、恐らくミミルがいたエルムヘイムでは出汁が出ればいいという考え方なのだろう。
それはそれで合理的とも言える。
基本的に魔素さえ吸収していれば生きていくことができる世界なんだから、栄養バランスだとかあまり考えることなく好きなものを好きなように食べる――そういう世界なんだろう。
美味しい出汁が出たら、身を食べたりしないんだろう。
蓋をして蒸している間に前菜用のサラダを仕上げる。
タマネギのスライスは片手間に作り、空気に晒していたので辛味も抜けていい感じだ。
ミミルが洗ったレタス、晒したタマネギ、塩をして板ずりしたキュウリに、ラディッシュやパプリカ、ルッコラ、トマト等を切って千切ってボウルに入れる。
〈草だ……〉
〈嫌いか?〉
〈好きか嫌いかと言われると、難しいが……美味ければ食べる〉
〈チキュウの野菜は美味しくないか?〉
ミミルの顔を覗き込むようにして訊ねると、ミミルは目を合わさないように顔を横に向けた。
そのまま視線を宙に浮かせているが、恐らく地上で食べたもののことを思い出しているのだろう。
〈どうだい?〉
〈ニホンはいろんな料理があって、同じ草や実でも味付けがいろいろある。まだ全部食べたわけではないが……今のところハズレはない〉
〈じゃあ、俺の作るサラダも食べてみようか〉
別のボウルにすりおろしたニンニク、バルサミコ酢、オリーブオイル、塩を振ると、泡立て器で混ぜる。
続いて野菜を入れて混ぜ合わせ、皿に盛り付けたらリコッタチーズを千切って振りかけ、黒胡椒を挽いて散らせば出来上がりだ。
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