第十六章 野菜の領域
第151話
第二層の太陽に該当する光源が地平線から上り、その温かい日差しに目を覚ます。
大きな岩の上とはいえ、周囲は川になっている。
流石に明け方になると冷えるだろうとシュラフを用意して顔を出して眠っていたが、ミミルはどうやらシュラフを脱いでしまったようだ。ダンジョンの中で着ているローブ姿のまま小さな寝息を立てて隣の簡易ベッドの上で眠っている。
テントの入口辺りにクシャクシャになったシュラフが転がっているので、脱いだというよりも、脱ぎ捨てた……というのが正解だろう。
ダンジョン内には細菌、ウィルスの類が繁殖しないとミミルは言っているので風邪をひくこともないとは思うが、身体を冷やすのは良くない。
もそもそと動いてシュラフから脱出すると、クルクルと丸めて専用の袋に突っ込んで収納袋に仕舞い、ミミルのシュラフを拾ってそっと掛けておく。
特に腹を冷やすは良くないからな……。
さて、魚は朝釣りの方がよく釣れる……幼い頃に親父に教わった。
親父に連れられて釣りにでかけた記憶があるが、俺の生まれ育った街から海は結構遠いので、釣りといえば釣り堀か琵琶湖。
川魚を相手にするのが殆どだった。
夏に何度か久美浜や若狭湾、隣県の城崎あたりまで出かけて海水浴に行くこともあったが、そこで海釣りなど経験することはまずなかったな。
ミミルが昨夜のうちに用意してくれた釣り竿を持って、その糸をこの岩場の下へと垂らす。
釣り餌はツノウサギ……いや、ホルカミンの肉を使っている。
基本、ここの川にいるのも魚の形をした肉食の魔物ということらしい。
ちなみに、糸には針と餌しかつけていない。
理由は単純――浮きをつけたところで、この岩から川面まで十五メートルほどあるので見えないからだ。
ぼんやりと釣り竿の先を見て時間を過ごす。
昨夜は身体強化と魔力強化の双方を教わり、遅くまで身体強化を中心に練習し続けたのだが、どうにも瞬時に発動することができなかった。
その原因はわからないのだが、ミミルには俺が手を抜いているように見れるらしく、「覚悟が足りない」だの、「もっと真剣に取り組め」だのと言われた。
生まれたときから魔素と魔法に囲まれた世界で暮らしてきたミミルとは違い、俺は三十六年間もそれらとは無縁な世界で暮らしてきたのだから慣れるまで時間がかかるんだとしか言いようがない。
エルムヘイムで生まれた人がダンジョンに入る年頃になるまでに三十くらいの経験を積んでいるとすれば、俺の経験など五にも満たないだろう。
この二十五以上の差異は、一朝一夕で埋まるものでもないはずだ。
「おっと……」
竿を持つ手にビビビッと電気が走るような感触を感じると、竿をぐいと引いて合わせる。
これで針先が魚型の魔物の口に突き刺さり、逃げられ難くなったはずだ。
魔物は口に刺さった針が食い込み、右へ左へと泳いで針を外そうとしているようだ。魚に引かれて大きく反り曲がった竿先が小刻みに震えながら、左右に大きく曲がる。
「これはなかなか大きいんじゃ……」
竿を引いてはドラム型リールのようなものをグリグリと手で巻いて、魔物を引き上げる。
原始的な装置だから逆回転を防止する機能がついていないので、常に糸を巻き続けなければならないのがたいへんだ。
こりゃ釣具も地上で買ったものを用意したほうがよさそうだ。
とはいえ、魚も川面から上へと引き上げられるとどうにもならない。跳ねるように尾びれで暴れていることであろうが、完全に釣り竿の先端から伸びた糸にぶら下げがっている状態だ。
そのままリールのようなものを手で巻き続けると、体長一メートル五十センチはありそうな魚型の魔物を釣り上げた。
青黒い背中に、赤い斑点がついたこの魚体は
口の中には特に歯など生えていないようだが、もし俺が襲われるならどんな攻撃をしてくるのか――などと考えるが俺にわかるはずもない。
ただ、この様子だと水中でのみ攻撃してくる感じだろう。そして、陸に上がれば何もできなさそうだ。
「ただ、止めは大切だよな」
魚の形をしていても、魔物は魔物だ。
俺がナイフを抜いて地面を跳ねている魔物に近づくと、魔物は俺に向けて水の塊を口から吐き出した。
直径十五センチほどの水塊は結構な速度で飛び、俺の右膝へと直撃。
表面が膜で覆われたものだったようで、本当にひとつの塊として飛んできたのだ。
その衝撃はなかなかのものだ。
「痛っ!」
直径十五センチの球体の体積は約一.七リットル。一.七キロの重量物がそれなりの速度で膝に当たったのと同じなのだから、痛いに決まっている。
「うらぁ!」
右手に持ったナイフで頭の部分に止めを指すと、魔物は霧散するときのように黒い霧を吹き始めるとみるみるうちに小さくなり、四十センチ程度の大きさになって同じ場所に横たわっていた。
どうやら魚の魔物の場合は倒したときのドロップ方法が異なるようだな。
焚き火もあることだし、もう二、三匹釣ったら朝食にするか……。
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