第147話

 ミミルは地球で生活する上でハンドシグナルがとても便利なものであるとは認識したようで、コーヒーを飲み終えるまでの間にいくつかのハンドシグナルを教えておいた。

 例えば、「自分」を意味するハンドシグナル――人さし指で鼻を指すのではなく、自分の胸元を指さす。まぁ、ミミルは女の子だから開いた手で胸元に手をのせる方を使うように教えておいた。


 コーヒーを飲み終え、パーコレーターやマグカップを洗い終えるとミミルから声がかかる。


〈では、身体強化を教える前に現在のしょーへいの力を確認しよう〉

〈そうだな、頼む〉

〈ではあちらを向いてここに立て〉


 ミミルは燃え残った薪の先で地面に丸を描き、その前に一本の線を引く。

 片付けを終えたばかりの俺は、布巾ふきんを椅子に掛けるとミミルの指示に従う。


 焚き火の周りを除き、辺りは既に真っ暗だ。

 この第二層に浮かぶ月の明かりだけでは大岩の端まで見渡すことはできず、とても広いことがよくわかる。


〈ここから助走なしに飛んでみろ〉


 助走なしで両足で地面を蹴り、前方へと跳躍――立ち幅跳びというやつだ。

 こんなジャンプをするなんて何年ぶりだろう。

 確か、高校二年のときにやった体力測定では二メートル六十センチくらいは飛んでいた気がするんだが……。


〈わかった、よいっせっ――うわっ〉


 声を上げて飛び上がると、一瞬で店のベランダくらいの高さまで上がった。目の高さで言えば四メートルを超えていて少々肝が冷える。

 滞空時間がとても長く感じるが、やがて俺の身体は地面へと落ち、両足で着地する。


〈ここだな……〉


 ミミルは俺が着地した場所に薪の先で黒い線を引く。

 立ち上がって振り返ると、えらい遠くまで飛んでいる。


 踏み切り線にまで戻り歩数を数えると、九歩――俺の歩幅は約八十センチだから、七メートル二十センチくらい飛んだようだ。

 我ながらすごいとは思うが、空中での姿勢を考えたらもっと飛べるんじゃないかな。

 自分の全力を知るという意味では、もう一度やった方が良さそうだ。


〈念のためもう一回やるよ〉

〈勝手にしろ〉


 ミミルに一言だけ断りを入れ、さっきミミルが描いた丸の上に移動すると、今度は腕を振って全身で前に飛ぶための勢いをつけて飛ぶ。

 両足で地面を蹴ると、更に空中で全身を伸び上がるように反らすと、腰を丸めるように身体を畳み、両足を前に伸ばして着地する。


 地上でこんな体力測定をするなら砂場に着地するようにするだろうが、ここにはそんなものはない。

 それなりの衝撃が脚に伝わると、俺は勢い余って前に転がった。


〈ここだ。なかなかだな〉


 ミミルがまた着地地点に炭で線を引く。

 跳躍した距離は十メートル近くありそうだ。


〈まずは跳躍だが、どうだ?〉

〈いや、驚いた。二十年前に測った時の四倍は跳んでいるが……これだけ跳べば世界記録だよ〉

〈次はこれを握ってみろ〉

〈――これは?〉


 ミミルが俺に手渡したのは見た目はリンゴや梨くらいの大きさ。

 果皮が黄色い果実だ。


〈エプラという。このダンジョン第四層に自生している木の実だ。チキュウにも似たものが?〉

〈チキュウだとリンゴかナシといったところだな。色はナシに似ているが、硬さは――握りつぶせと?〉

〈そうだ、それでどの程度の力があるかわかる〉

〈ま、まぁ、そうだな……〉


 俺の握力なんて、せいぜい五十キロあるかないかだろう……確か、高校時代に計ったときは、四十五キロだったはずだ。


 エプラを握った手をまっすぐ伸ばし、そのまま力を入れるとグシャリと潰れる。そんなに力を入れた気はないのだが……。


 そういえば、重量挙げをしていた同級生が握力が七十五キロあって林檎を握りつぶしてたっけ。もう少しで鬼胡桃も割れるっていってたな。


〈ふむ、次はこれはどうだ?〉

〈これは?〉

〈ヴォルノだ。ダンジョンの中で一番硬い木の実は殻が金属なのでな……これが割ったりするには現実的な木の実だ〉


 見た目は落花生のような形をしているが、色は濃い茶色だ。

 その木の実を人差し指と親指の間でつまんで力を入れると、先ほどのエプラよりも少し力を加えた程度で簡単に割れる。


〈どうだ?〉

〈簡単だな〉


 ダンジョンに入るようになってまだ六日目だというのに、俺ってこんな握力があったんだな。

 実際、俺の身体には他にどんな変化が起こってるのか気になってくるが……。


〈他に何かあるのか? 例えば……ハンプクヨコトビとか?〉

〈なんだ、その……〉

〈ハンプクヨコトビだよ。ちょっとその薪を貸してくれ〉


 ミミルから薪を受け取ると、地面に三本の線を引いて中央の線をまたいで立つ。線の間隔はおよそ一メートル程度だ。

 薪をミミルに返し、まずは反復横跳びの動きをしてみせる。


〈こうして、決まった時間の間に何往復できるか数えて敏捷性を確認するんだ〉

〈ほう、そういう方法が……〉

〈やってみるか?〉


 ミミルが興味を持ったのか、俺の真似をして反復横跳びを始める。

 最初は辿々たどたどしい動きだが、すぐに慣れたようでどんどん速度が上がっていった。

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