第145話

 こんなに新鮮で美味しい野菜が食べられるのはミミルの空間収納のおかげだ。野菜が新鮮なまま保管できるのはありがたいな。


 さて、俺もそろそろブルンへスタの肉をいただくとしよう。


 薄く切って焼いたバケットを左手にとり、右手に取ったフォークでブルンヘスタのタルタルステーキを掬う。

 フォークの爪からねとりとした感触が伝わると、掬い上げたタルタルステーキを左手のバケットの上に塗りつけて口に運ぶ。

 爽やかなレモンの香り、ウスターソースの甘酸っぱい香りがふわりと立ち上り、薄く切ったバケットが割れる音がすると、焼いた小麦の香りが追いかけるように口の中に広がる。

 もぐもぐと下顎を動かしていると、ブルンへスタの肉の旨味が舌の上に溶け出してくる。


 すごい……味や舌触りなどは馬肉そのものなのだが、馬肉特有の脂や血の匂いがまったくない。純粋に赤身の肉の旨味だけが口の中へと広がる。そこにウスターソースのコクと旨味が肉の味を引き立て、レモンやケイパー、ピクルスの酸味が脂の重さを打ち消している。また、柔らかな肉の食感に刻んだピクルスがアクセントになっていてとても美味い。


〈ブルンへスタの肉も美味いものなんだな〉

〈こうして食べるのは初めてだが、しょーへいが作るから美味いのだろう。エルムヘイムでは切って塩で焼くか、水で煮るくらいしかしないからな……〉

〈こんなにいい肉を? もったいないなぁ〉

〈まぁ、ここでそんな話をしても詮無いことなのだがな〉


 自虐的に話してはいるが、ダンジョンから帰る手段を失ったミミルにとっては確かにどうしようもない。

 それよりも、いまここで食べることを楽しむほうがミミルとっては気が楽なのだろうな。


 そんな話をしながら、ブルンへスタのタルタルステーキを食べ終える。

 野菜スティックとタルタルステーキだけでは足りていないようで、ミミルはどこか不満そうな表情をしながら残った野菜を齧っている。


 実はあと一品作るつもりだ。


 調理するのは、ミミルと一緒に作ったラビオリ。

 それを茹でるために二つの簡易コンロのうち、一台で鍋にお湯を沸かす。


 ミミルはまた俺が調理するのを眺めるつもりなのだろう。

 コンロの反対側にやってきて、俺の手元を覗き込んでいる。


 鍋のお湯が沸騰したらそこにラビオリを入れて底にくっつかないよう、木べらで混ぜ合わせる。

 最初はぐるぐると鍋の中を泳いでいるラビオリだが、これが全て浮き上がってきたら茹で上がりだ。

 一方、もう一台の簡易コンロではフライパンに作り置きのトマトソース、ラビオリの茹で汁を入れて軽く煮詰める。


 そこに茹で上がったラビオリを入れたらソースが良く絡むように混ぜ合わせ、皿に盛り付けてひとまずは出来上がり。

 簡易コンロは火加減が難しいが、焚き火を上手く組み合わせれば上手くいくようだ。鍋やフライパンの底にすすがつくのはまぁ……仕様がない。


 朱色しゅいろに煮上がったトマトソースにラビオリをしっかりと絡め、皿に盛り付けていく。


 どうやら自分が作ったラビオリが気になるのか、ミミルは俺が皿に盛り付けるたびにそれを覗き込むように見つめる。そして、俺がフライパンに残ったソースを最後に掛けてみせると、ミミルは瞳をキラキラと輝かせて俺を見上げる。


〈で、できたのか?〉

〈ああ、できあがりだ〉


 俺が料理を持ってテーブルへと向かうと、ミミルは慌てて椅子に座る。

 俺はミミルの前にそっとできたての「リコッタチーズとほうれん草のラビオリ」を差し出した。


 ミミルは皿から立ち上る湯気をすべて吸いこむようにして香りを楽しむと、俺に向けて期待に満ちた視線を向ける。

 今すぐにでも食べたいのだろうとは思うが……。


〈少しまってくれるか〉

〈むぅ〉


 ミミルが不満気な声を上げるが、俺は気にせず最後の仕上げ――左手にグラインダーを持ち、皿の上でパルミジャーノ・レッジャーノを削り落とす。


 削ったチーズが雪のようにパラパラとラビオリの上に舞い落ちる様を見ているミミルはまた瞳を輝かせる。

 どんな味がするのか、興味津々といったところなんだろう。

 その様子を見て、俺も頬が緩む。


〈いいぞ、これで出来上がりだ〉

〈やっと食えるのか!?〉


 俺がミミルの問いかけに首肯で返答すると、ミミルは喜々としてフォークを片手に料理に向かう。

 たっぷりと絡んだトマトソースとともにラビオリを掬い上げたミミルは、じっくりと香りを堪能し、口の中へと迎え入れると眼を瞠る。

 思った以上に美味しかった……そんな顔だ。

 パクパクとラビオリを口に運んではまた次のラビオリにフォーク突き立てて食べている。


〈おいおい、ちゃんと噛めよ〉

『これもうまい……』

〈そりゃどうも〉


 椅子に座って焚き火の上に乗せたフライパンで切ったバケットを炙りながらミミルに返事をすると、俺もフォークでラビオリを掬って口に入れる。

 ニンニクの効いたトマトソースの爽やかで甘い香りが漂う中、ラビオリへと俺の歯が食い込んでいくと、むっちりとしたラビオリの皮が破れ、中身のリコッタチーズとほうれん草がトロリと舌の上に流れ出した。

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