第79話
「ミミル、いま何て言った?」
『できた?』
できたという言葉は念話でも使えるようだ。だが、単に「できた」と言ったのではなく、もっと感情を込めた表現だった。
「もう一度、声に出してくれるかい?」
『ん――』
ミミルは何やら怪訝げな視線を向けると、声を出す。
〈で、できた?〉
見事としか言いようのない棒読みだ。
だが、俺にも何と言ったのかはっきりと聞き取ることができる。日本語ではなく、英語やイタリア語、スペイン語でもない。つい先日は何を言ってるのか全然意味がわからなかったが、今は意味のある言葉ととして耳に入ってくる。
どういうことだ?
突然、意味のある言葉として聞こえるようになったミミルの声に対して、俺の頭の中は真っ白になった。
『しょーへい、どうした?』
念話がミミルから届き、俺は我に返る。
頭の中に何もない時に念話が入ると簡単に我に返るものなんだな――などという
「大丈夫だ、問題ない。それよりも、他の言葉を声に出して言ってみてくれないか?」
「――?」
ミミルは俺の目を見つめると、コテンと首を傾げる。
俺がなぜこんなことを言い出したのか判らず、少し困惑しているのだろう。それでも、おとがいに人指し指を押し当て、どんな言葉を言うか考えている。
〈……唐揚げは美味しい〉
ミミルは小さく漏らすように
悩んだ末の言葉がそれですか……。
それはいいとして、やはりミミルの言葉が理解できるようになっている。こんなにも突然理解できるようになることなどあるだろうか?
欧州修行に行ったときでもとても苦労した。貧相な語彙力では話すこともできず、聞き取る言葉の意味もわからない。辞書を片手にしたところで男性名詞や女性名詞、中性名詞による冠詞や動詞の変化に戸惑うことも多かった。
だが今回は違う。まるで前から知っていたかのように、とても自然にミミルが話す言葉を理解できている。
〈唐揚げは美味しい〉
「――ッ!」
ミミルの言葉をトレースするように声に出すと、問題なく発音することができた。
だが、それを聞いたミミルは明らかに驚愕した表情で俺を見つめている。
〈私が話す言葉が解るようになったのか?〉
〈ああ、そのようだ。突然解るようになった〉
俺の返事を聞いたミミルは訝しげに俺を見上げると、おとがいに指を当てたまま黙考する。いつもなら目線が宙を泳ぐのだが、今回ばかりは俺の視線から目を離さない。
静寂が場を支配する。
ミミルはどうして俺が突然ミミルの話す言葉を理解できるようになったのか知りたいのだろう。だが、それは
何も悪いことはしていない――何も悪いことをしていないのに、じっと見つめられていると何か
〈倒れている間に何かあったのか?〉
〈何かと言われてもな……〉
ただずっと眠っていたのだ。
心当たりがあるのは、夢の中での出来事くらいだろう。それが影響するなどということは無いと思うのだが……うん、正直に話してしまう方がよさそうだ。
〈倒れて眠っている間、夢を見たんだ。広大な草原に巨木が生えていて、そこから伸びた根の先にあった泉で水を飲んだんだ……〉
〈ほう……それで?〉
〈それだけだ。頭痛がして目が覚めた〉
嘘は言っていない。
目が覚めたら草原に倒れていて、周囲を見渡すと巨木が生えていた。その根の先に泉があって、そこで水を飲んだら頭痛に襲われ、再度目が覚めるとここにいたんだ。夢であることに間違いはない。
〈ふむ……〉
ミミルは小さく
〈わからん。今まで読んだ書物にもそのような記録はなかったはず。伝承も聞いたことがない〉
〈ああ、ただの夢だからなぁ……〉
確かにとてもリアリティのある頭痛に襲われたが、あくまでも夢の中での話。日本昔話のように夢の中で観音様やお地蔵様、神様に会ったなどという話がないわけではない。耳が不自由らしき老人が座っていただけだ。
その老人についてはミミルに話していないが……問題ないだろう。
〈ふむ、ところで……〉
ミミルは俺に近づいてくると、数歩先のところで立ち止まる。
頬に白い線がついているが、皮を漬け込んでいた
〈どうした?〉
〈これで私はニホン語を覚えなくてもいい……と思っているのか?〉
〈いや……〉
いつか俺が何かの理由で死んでしまったら、店の従業員や街の人と話もできないようだと困るだろう。それに、店の中で暮らす以上はいずれ従業員と顔を合わすことになる。
やはり、ミミルのためを思うと日本語は覚えてもらうべきだ。
〈覚えてもらう〉
〈ふむ、よかった。エルムヘイム語が理解できるなら教えるのも楽になるだろう〉
ミミルは俺の手を引いて、皮の入った
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