第73話

「ここは……」


 目を開けると、蒼茫そうぼうと広がる空。

 背中に伝わる湿ったような冷たさに、地面に大の字になっていたことに気がついた。


「どこだろう……」


 さっきまでミミルに魔法の練習を見てもらっていたはずだ。

 練習をしてた場所は自宅の奥庭にできたダンジョンの第二層、その入口から上がったところ――大きな石を組み上げて作られた古代遺跡の祭壇のような場所にいたはずだ。


 身体には――異常がない。

 いや、怪我などはないのだが妙に喉が乾いている。

 飲み物は――ミミルに預けたままだ。ペットボトルに入ったスポーツ飲料も二本、三本だったか……入っているはずだ。


「ミミル、飲み物を出してくれないか? 酷く喉が乾いたんだ……」


 青く高い空を見つめたまま声に出すが、ミミルからの返事がない。

 俺が眠っているので何か探しに行ってしまったのだろうか?

 気配もない。


 右腕を空に突き出すように伸ばす。


 特に異常はない。左腕も同じようにして確認してみるがこちらも異常はないようだ。

 両手を地面について上体を押し上げ、身体を起こす。

 目の前に広がるのは広漠こうばくたる草原。遠くに山の稜線が波打つように地平を描いているのが見える。その上は雲ひとつない青空だ。


 そうだ、ここはダンジョンの中なのだから魔物が闊歩する世界……。


 慌てて音波探知を用いて索敵をするのだが――何かが違う。

 自ら音波を出し、物質や魔物に当たって戻ってくる音から音像を作り、索敵に用いるのが音波探知。

 当然、自分が出した音波も耳に聞こえてくるはずなのだが聞こえてこない。


 これはおかしい……。


 慌ててその場に立ち上がると、背後の方を確認する。


「すっ……すごいっ!?」


 そこにあったのは天を貫くほどの巨木。

 まるで浩浩こうこうたる空にかかげた日傘のように見える。

 比べるものがないので余計に高く見えてしまうのだろうか……いや、葉張はばりも軽く百メートルを超えているだろう。

 地球上でこんなにも大きな木は見たことがないし、聞いたこともない。


 あまりの大きさに暫し茫然ぼうぜんとしていたのだが、気を取り直して視線を下方へと向ける。

 根元のあたりは小高い丘のようになっていて、俺のいる場所からはよく見ることができない。だが、明らかに人が住んでいるような建造物――城壁が見える。

 そして、根元から一本の根が丘の下に向って伸びていて、そこに泉が見えた。


 あそこまで行けば水が飲めるかも知れないが――。


 再度辺りを確認する――が、ミミルの姿はない。

 他に喉を潤す方法がない。用心しつつ泉に向かうことにしよう。


    ◇◆◇


 俺が倒れていたところから四分ほど歩いただろうか。

 泉の全貌がよく見えるところまでやってきた。

 大きな木の根がそのまま泉の中へと伸びていいて、そのほとりには人影が見える。

 残念ながらミミルではないようだ。泉の縁にある石に腰を掛けているのはわかる。


 視認できるほどまで近づいてみると、石に腰を掛けている人は白い布を身にまとっているのがわかる。

 骨格や体型を見る限り、女性ではない。見た目は白髪に白髭を蓄えた初老の男性だ。身長は少なくとも俺よりは大きい。


 泉まで残り十五メートルといったところだろうか。そろそろ声を掛けるべきだろう。

 この泉は彼の所有物ではないとは思うのだが、ひとこと断りを入れるなり、お伺いをたてるなりするのが礼儀というものだ。


「こんにちは。お水をいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」


 男はこちらに気づいていないようだ。

 ただ、石に座ってぼんやりと何かを考えているように見える。


 これは困った。

 ようやく喉の乾きを癒せると思ってやってきたというのに、お預けを食らっている気分だ。


「あのぅ……水をいただいてもよろしいでしょうか?」


 再び声を掛ける。

 だが、男は何か思案しているようで、こちらに気づいてくれない。

 仕方がないので男の視線に入るように移動する。

 とても大きな男だ。身長は優に二メートルを超えるのではないだろうか。

 男の前……二歩で手が届くといった場所まで移動し、三度目の声掛けに挑戦する。


「こんにちは。水をいただきたいのですが……」


 残念だが、男からの反応はない。

 なんとか気づいてもらえるよう、男の前で両手を振ってみるが――だめだ、気づいてもらえない。


 ただ、もう限界だ。

 体中が乾ききったところに目の前で澄んだ水が湧き出しているいるのだ。もう我慢するなどできない。


「泉の水を少しいただきますね」


 男に向かってそう述べると、俺は泉の縁へと進み、両手で水を掬う。

 透明度が高い綺麗な水だ。変な匂いなども一切しない。


 言葉も通じないし、俺がここにいることさえも気づいてない。

 ミミルもそうだが、言葉が通じないというのはたいへんだ。


「ミミルとも普通に会話できるようになればいいんだがなぁ……」


 小声でつぶやいて、そのまま口をつける。

 ゴクリと最初のひと口が喉へと流れ込むと、割れるような頭の痛みに襲われ、俺はまた意識を手放した――。

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