第64話
階段を下りて、第二層の入口部屋に戻る。
部屋の中は天上や壁、床などがぼんやりと光っているので真っ暗ではないが、なにか文字を読むなどしたいときには物足りない。
『おなかすいた……』
丸太椅子に腰を下ろすと、最初にミミルが発した言葉がそれである。
ボルスティと戦う前の時点で第一層の太陽の傾き加減や体感から六時間くらいは経過しているだろうと思ってはいたが、こうして実際に腹が減ってきたということは、既に七時間は経過しているのかも知れない。
食べられるものとしては、ミミルの空間収納にツノウサギのディアヴォラが入っているはずだ。他にも先日買ってきた朝食用のパンやベーコンなどもあるし、カップ麺もいくつか入っているだろう。
「ツノウサギの料理でも食べるかい?」
『ん、そうする』
ミミルは空間収納からまた丸太を出し、それを風の魔法で切る。
高さは丸太椅子よりも高くしてあるので、テーブルにするつもりだろう。
そして、何かの葉を空間収納から取り出して、その上に残っていたツノウサギのディアヴォラを出す。
よほどお腹が空いていたのか、早速ナイフを使って切り取っては手づかみで食べはじめた。
二切れ、三切れと食べているのを見ていると、目があった。
ミミルはまるでハムスターのように動きを止めて、こっちをじっと見ている。
思わず吹き出しそうになるが、ここは我慢だ。こんなにも微笑ましい姿を見ているのだから、優しく笑顔を作っておくことにしよう。
いや、別にそのツノウサギの肉を奪ったりしないから、隠そうとしなくていいぞ。
ミミルのこんな子どもっぽいところは本当にかわいい。
さて、カップ麺を食べようと思ってもお湯を沸かす手段がない。容器が熱に耐えられないので、直接水を入れてマイクロウェーブをかけるという方法は採用できないから、「湯を沸かすための器」が必要だ。
ただの水でも一時間も待てば食べられることは知っているが、ミミルが我慢してくれるかどうかは別の話だ。
とにかくカップ麺を作って食べるだけなら、耐熱性のガラス容器等があれば、あとは水があるだけで湯は沸かすことができる。買い求める必要がありそうだ。
そして、この入口部屋のような壁や天井がぼんやり光っている程度では、料理が美味しく見えない。
俺の「波操作」で光を出すことはできるだろうが、維持し続ける必要があるので魔力の消耗が激しくなる予感しかない。事実、いろんな魔法に精通していると思えるミミルでさえ、特に光を出す魔法のようなものは使っていないのだから間違い無さそうだ。
まぁ、ミミルの食べっぷりを見るに、彼女はそうでもないのかも知れないが、少なくとも俺は明るいところでメシを食べたい。
ランタンでいいので、照明器具が欲しいところだな。
ついでに地面の上に寝転がるのではなく、ある程度快適に眠ることができる簡易ベッドや寝袋なんかも欲しい。
よし、地上に戻ったら近所にある店を探して買いに行くとしよう。
◇◆◇
ツノウサギのディアヴォラを食べて満足したのか、ミミルが話しかけてくる。
『ことば、おしえる』
動詞を少し教えたのだが、たしか食べることに関するものばかりだった。
思いついたのが食事の場だったから仕方がないのだが、普通ならもっと教える言葉もあったはずだ。
すぐに教えられるものから順に教えることにしよう。
――立ち上がって座る。
この動作をしながら、「立つ、座る」と声にだす。
ミミルは直ぐに理解したようで、「タツ、スワル」と言いながら丸太椅子から立って、また座る。
立ち上がって歩きながら「歩く」と声に出す。曲がって「曲がる」と言い、軽く走りながら「走る」という。
続けていくつもの動詞を教えていくと、ミミルはスポンジが水を吸い込むかのように覚えていく。
こうして見てわかる動作であれば教えるのも簡単だ。
食べる時に教えた「つまむ」は重なってしまうが、箸を使おうが、指であろうが、二本のもので物を掴むことは「つまむ」だ賢いミミルは理解してくれる。これが五本の指全部を使うと「つかむ」になる。
難しいのは、感情など見えないものや似た意味のある動詞だな。演技なんて全然できない俺からすると、「怒る」や「悲しむ」のような表情で伝えるものは難しい。それに、怒るは「いかる」と「おこる」という読み方もあるし、叱る、罵倒する、憤るなど似た表現が多いのでまた難しい。
次に価値観が違うと評価が変わる形容詞や副詞などもある。青、碧、蒼の違いや、赤、朱、紅の違いなどは実際に見てもらわないとどうにもならない。
これらを教えようとすうると、どうしてもあるものに頼らざるを得ないのだ――。
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