89 もう、はぐれちゃダメだからね

 15時過ぎにようやく彼女達から解放され、嵐山駅から京都駅へ向かった。帰りの電車の中では二人とも無言だった。ミシェルは座席でぐったりとしており、かなりの疲労が窺える。


 バスに乗り換え重い体でホテルに着くと、ミシェルは直行でお風呂に入った。暑い中を走り回り転げ回ったので汗はかかないのだが、土埃つちぼこりかぶっていて気分が悪かった。

 手早く髪と体を洗って湯船に浸かる。個室の風呂が付いている部屋を選んで正解だった。こんな穴だらけの体では共同風呂には入れない。


 洗面台で軽く体をふいてショーツとブラをつけて浴室を出ると、静かな室内に驚く。


「亘…どこ?」


 部屋の見える範囲に亘の姿はなく、返事もなかった。ミシェルはあわててキーを持って外へ探しに行こうとしたが、ドアを開けた瞬間、声が飛び込んでくる。


「うわっ、びっくりした!」


 ドアの外に亘が立っており、危うくぶつかりそうになった。亘の無事を確認できて安堵したが、彼の勝手な行動には不満を持った。


「どこ行ってたの!」


「大浴場のほうに行ってたんだよ。俺だって汗かいたし」


「え、でも…」


「平気だよ。人はいなかったから誰にも見られてない。てか、おまえはなんて格好してんだ」


 下着のままで飛び出そうとしていたミシェルを亘はたしなめる。彼女の横をすり抜けてベットで休んでいると、化粧台に座ったミシェルが振り返った。


「ねぇ、亘。髪乾かして!」


「なんでだよ」


「いいでしょ~。腕上げるのつらいんだから」


 甘えてくるミシェルに亘はしぶしぶ彼女の髪に熱風を当てる。柔らかい金の髪を撫でていると、背中を見て亘は驚いた。

 肩甲骨けんこうこつと背骨辺りにざっくりと切れ目が存在した。3㎝くらいの穴で、クナイが刺さったときに裂かれたものだろう。


「ミシェル、背中の傷直してないじゃないか」


「ああ、いいよ。大した傷じゃないし」


 人間なら手術でい合わせなければならないほどの大怪我だが、ミシェルにとっては些細ささいなものらしい。肌色の割れ目を見て、亘は何を思ったかそこに指を入れてみた。


「いったぁぁい!」


 大声で叫ぶミシェルに亘は驚いた。背中を丸めて悶絶もんぜつする姿を見て、痛覚はちゃんとあるのだと認識する。


「え?ああ、ごめん。やっぱ痛いのか、これ」


 亘はなにもミシェルを痛め付けようとしたのではない。血も流れず本人も痛がっていないので、それほど大事とは思わなかったのだ。


「わ~た~る~」


 恨みのこもった声でミシェルは亘の名を呼ぶ。振り返って亘の両手を掴み、そのままベッドへ押し倒した。


「女性に触れるときはもっと優しくしなきゃだめよ。いきなり指入れるなんて、お仕置きが必要ねぇ~」


 亘を見下ろす目は本気で怒った時の目だった。また、くすぐり攻撃を受けると思って、身構える亘の体にミシェルは抱きついた。


「亘、無事でよかった。もう、はぐれちゃダメだからね」


 ふわりとした髪がかかり、ミシェルの柔らかい体がのし掛かる。亘もミシェルの背中に手を回し、存在を確かめる。


「うん…ミシェルも、無事で良かった」


 固く抱き合う二人。

 だが、しばらくすると亘がキョドり始めた。


「ミシェル、そろそろ放れてくれないか?」


 冷静になったら、ミシェルは下着姿で亘は着流しだ。肌の密着部分が多く急に恥ずかしくなった。ミシェルは腕をほどいて亘の上で頬杖えをし、足をぷらつかせる。


「亘ったら、こんな美女が上に乗ってるのに冷静ね。もっと興奮してもいんじゃない?」


「はなれてくれ!💢」








 次の日、二泊三日の京都観光を終えて東京に帰ろうとした永岡親子。スーツケースを転がし京都駅構内を進んでいると、ミシェルが急に足を止めた。

 亘も足を止めミシェルの視線の先を追ってみると、そこにはからくれない色の着物を着た美しい女性が立っていた。天照あまてらすは会釈をしてミシェル達に近付く。


「はぁい、天照さん。わざわざお見送り?一体どうやって私達が帰る時間を知っていたのかな?」


「断っておきますが、監視していたのではごさいませんよ」


 天照はしとやかな笑みを浮かべて、持っていた紙袋をミシェルに差し出す。


「"塩瀬しおせ"の饅頭まんじゅうでございます。お口汚しですが、受け取ってください。せめてもの謝罪です」


「ありがとうございます。二人で頂きますね」


 ミシェルが風呂敷に入っているお菓子を受け取ると、亘は鞄の中を探って木綿のハンカチを取り出す。


「あの、これお返しします。ありがとうございました」


「ありがとう。わざわざ洗ってくれたのね。怪我は大事ないですか?」


 天照は木綿のハンカチを受け取り笑顔を向ける。最初の時の冷たい表情とはまるで違った。


「はい、大丈夫です」


 亘が天照に見蕩みとれていると、彼女はふところから一枚の紙片を取り出して亘に差し出す。


「私が営んでる宿がございます。今度、京都に来るときは是非ご宿泊下さい。」


 亘はその名刺を受け取り印字を読む。"香葉館 女将 東雲涼子しののめりょうこ"と書いてあった。亘はお礼を言いミシェルと共に新幹線乗り場へ歩いていった。

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