88 信頼してもいいと思えた相手

 亘は手を引っ込めて向かいの三人の同種に目を向ける。少し考えた後、亘は武甕槌たけみかづちに近付いて手を差し出した。


「あの、あなたも血を飲んでください」


 片目のまま亘を凝視ぎょうしする武甕槌。無言のままなのが怖かったが、勇気を出して話続ける。


「右目、傷ついたままですよね。俺の血で直してください」


「君がそこまで気遣う必要はない」


「その怪我はミシェルがつけたものです。けど、ミシェルは俺を守るためにあなたを攻撃しました。なら、元を正せばその傷を付けたのは俺になります。ですから、これはその償いなんです」


 武甕槌たけみかづちは視線を天照あまてらすに向ける。彼の申し出を受けるかるか判断をあおぐ。天照はうなずいて武甕槌たけみかづちに指示を出す。


「受けてあげなさい、武甕槌」


 武甕槌たけみかづちは亘の手を取り手首から血を吸った。その様子をミシェルは黙って見ていた。亘の判断を尊重したいからだ。


 武甕槌は右目を直すだけの生気だけを吸いとり、目を直して口を離した。流石に同種二人に生気をやるのは体力を奪われ、少し目がかすんだ。けれど、怪我をさせた同種はまだいたことを思い出す。


「あの、出来れば、最初に仮死状態にしてしまった。二人にも…」


「もうおよしなさい。これ以上は貴方の体が持ちませんよ」


 天照は亘の言葉を遮り彼の無茶を止めた。亘は天照の忠告に従ったが、自分の失態はちゃんと詫びなければならないと思った。


「あの、本当にご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」


 頭を下げて謝る亘を見て、今回の件は本当にただの事故なのだと理解した天照。亘に近付き肩を持って亘の視線を上げる。


「頭を上げて下さい。貴方の謝意は十分伝わりました」


「……はい」


「貴方は、何故彼女と一緒にいるのかしら」


 亘は天照の冷たい目を見る。どうしてか彼女の目には畏怖いふを感じる。


「ミシェルが育ての親だからです」


「養い親だから身をていして彼女を守ったというの」


「そうですね。

でも、それだけじゃありません。俺にとってミシェルは初めて信頼してもいいと思えた相手だからです」


 亘は天照の目を真っ直ぐ見た。彼の瞳には小さくも強い意志が宿っていた。


「母親は俺に興味がなく、連れの男は恐怖の対象でしかなかった。身も心も傷付いて、人を信じられなくなっていた俺を、見つけて側に置いてくれたのがミシェルでした」


 亘の話に天照は亘を過去の自分と重ねていた。



 存在したばかりの頃、天照あまてらすはのぶせりに捕まり慰み者として彼等に囲われていた。野良犬のらいぬ以下の扱いをされていた彼女を見つけ側に置いてくれたのが伊邪那美いざなみであった。


 戦国の世において、伊邪那美いざなみは情勢を読むのにたけけていた。常に強い勢力を持つ領主に取り入り、多くの同種が彼女を頼りに集まってきた。

 人に正体を知られても決してののられることも恐れられることもなく、人の心に安穏あんのんをもたらし敬愛されるような存在であった。


 天照の目から見ても美しく気高いひとであった。


 戦乱の時代が終わり、治世ちせいが平定してくると今度は同種同士の対立が起きた。二つの勢力に分かれ衝突寸前の所で、伊邪那美いざなみ須佐之男すさのおをつれて江戸に下ることで争いを避けたのだった。


 天照あまてらす伊邪那美いざなみと共に行きたかった。


 連れていってほしかった。


 けれど、伊邪那美は彼女を置いていった。


 再び伊邪那岐いざなぎ須佐之男すさのおの対立が起きた時、自分達が仲裁に入らないといけないために天照を京に残したのだった。


 "こちらは貴女に任せます"と、月明かりに美しく照らされる伊邪那美の笑みを天照は思い出す。


 それ以降、伊邪那美に会うことはなかった。明治維新から大正・昭和、国土が燃えた第二次大戦を乗り越え、平和な時代を迎えようとも、天照は伊邪那美との誓いを胸に、同種が人の世に振り回されないように守り続けた。



「貴方が彼女にどれ程の信愛があろうと、貴方は人間です。いずれは彼女を置いていかなければならないのですよ」


 同種でさえ別れは避けられない。命の周期が短い人間ではなおのことである。


「確かに俺はミシェルよりも先に死ぬでしょう。けど、それまではミシェルから受けた恩や愛情を忘れることはありません」


 真っ直ぐな亘の眼に天照は息を呑む。幼いながらもこの世の辛苦しんくを味わうってきた彼には、何が信じるべきものかが分かっているのだった。


「それに、ミシェルならきっと、俺が死んだ後も大丈夫だと思います。切り換えが早い奴ですし、別の誰かと生き続けるんじゃないかなって」


「ちょっと、私がほいほい乗り換えるみたいな言い方やめてよ」


「実際そうだろ。俺は2番目なんだから」


「今は亘をいっちばん愛してるよ」


「っつ…やめろよ、そーゆーの」


 顔を赤くして小さい声でぼやく亘。ミシェルには聞こえなかったが、目の前の天照には届いており、彼女はふと笑ってしまった。


 天照のほころんだ表情に、亘は見蕩みとれてしまう。やはり彼女も同種なのだと再認識した。


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