87 あの方を、知っているのですか?

 二人は首領と呼ばれた女性に付いていき、茂みを歩いていくと法輪寺の境内に戻ってきた。電電宮の前に行き鳥居を背に並ぶ西の同種と対面する。


「お初にお目にかかります。私は天照あまてらすと申します。こちらは武甕槌と菊理姫にございます」


 刀を持った武士を武甕槌、飛び道具を持ったくの一を菊理姫という。ミシェルも彼女に倣い自分達の自己紹介をする。


「此度の件、荒事にしてしまったことに関しては深くお詫び申し上げます。

なれども、事の始まりはそちらの人の子が我等の同胞を誘惑したことが発端と聞きました」


 誘惑という言葉にミシェルは笑ってしまいそうになったが、本当に腹が割けそうなのでできなかった。


「とんでもない誤解なんだけれども、この子は彼女を誘ったのではなく、心配して声を掛けたにすぎません。

その辺の事情は清水寺にいたボブヘアーの女性に聞いてくれればわかりますよ」


 天照はミシェルの表情を観察する。にやけた面をしているが、取り繕ったり誤魔化そうという素振りはなく、真実を話そうとしているのだと見抜いた。


「判りました。どうやら此方こちらの早合点だったようですね」


「分かってくれればいいですよ。それにしても、京都は物騒ね。

少しでも人間に正体がばらたら、誘拐と薬物投与をしているの?おまけに武器まで持ち出して、よくそれで今まで問題にならなかったわね」


 いつも通り皮肉をいうミシェルに亘は心配になったが、天照は冷静だった。


「二人が駆り出されたのは、先に貴女が同胞を襲ったからにございます」


「そりゃそうよ。亘を拐われた上に相手は二人。そっちが強行手段を取るなら、私は何を敵に回そうと亘を守らなければならないからね」


「随分、その人間に肩入れしているのですね」


「私にとってはかわいい息子だし、大事な人なの」


 ミシェルの言い方に亘はちょっと顔をしかめるが、天照は鋭い眼光を向けた。


「余計なこととは思いますが、人間にあまり執着せぬほうが良いですよ。我々と彼等とでは生きる時間が違います」


「だから何だっていうの?いずれ別れるからって、人を愛しちゃいけないの?」


「人は悠久ゆうきゅうの流れに消えていくもの。どれほど、想い合っていても朽ちていく存在を止めることはできません」


「確かにそうだね。けど、あのひとは…

伊邪那美いざなみさんはそんなこと言わなかったわ」


 天照の表情が変わる。

 お面のように固まった表情筋は和らぎ、驚きで目を丸くしていた。


「人に寄り添い生きていた私のことを彼女は止めようとしなかった。心から好きになったのなら、最後まで一緒にいてやりさないって言ってくれましたよ」


「あの方を、知っているのですか?」


「東の同種であのひと恩恵を受けていない同種はいない。けれど、もうあの人の慈愛を受けられることはないのだけど…」


 ミシェルは伊邪那美の消滅と彼女への敬愛を語った。天照は俯いて黙って聞いていた。


「そうですか。あの方は、いってしまわれたのですね」


 先程までの冷淡れいたんな態度とは違い傷心した少女のように落ち込む天照。肩を落としている彼女に後ろの二人も不安げな目を向ける。


「伊邪那美さんは満足だったと思います。十分生きたと言っていました。けど、残されるほうにとっては寂しさが募るものですね」


 ミシェルの気遣いに天照は顔を上げる。彼女のような異国の同種にまで感謝され尊敬されていた伊邪那美は、300年前に生き別れた時のまま変わっていないのだろう。


伊邪那美いざなみ様の知人とは露知らず、失礼な事をしました。どうか許してください」


「いいえ、謝らないでください。無礼な事をしたのはこっちです」


「貴女方二人の処分を言い渡します。

我々の秘密を知ったわたる殿には黙秘もくひを求めます。

そして、同胞どうほうを傷付けたミシェル殿には、今回特別な罰は与えませんが、二度とこのような事がないように注意願います」


寛大かんだい御処置ごしょちに感謝します。天照さん」


 決着がついた所で、ミシェルは大きく息を吐く。腹を押さえて眉間にしわを寄せた。


「亘。悪いんだけど、ちょっとだけ血をちょうだい。お腹だけでも直さないと、痛すぎて歩けない」


 平然としていたが、かなり痩せ我慢をしていたらしく本当は立ってるだけでも辛かったのだった。亘は手を伸ばしてミシェルに血を飲ませる。


 ミシェルは取り敢えず、傷口を塞いでずれないようにした。肉体の全ては繋いで無かったが、動ける体になっていれば良かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る