67 今、思い出した
アンドレの車で家まで送ってもらい、玄関を入って階段を上がると、ミシェルがリビングから顔を出した。
「遅かったね」
「うん、ちょっとアンドレさんの家に行ってて」
ミシェルは亘が抱えているぬいぐるみを見て状況を察した。
「ああ!それ、もう直してくれたの。流石、アンドレ!キレイになってる」
「これ、どうしたんだ?」
「香菜さんに貰ったんだよ。少ないけど、彼女が持ってた亘の所持品を色々ね」
あれほど険悪にしていた母親と連絡先を交換し、あっさり仲良くなってることに亘は驚きを隠せない。この女の
「ちっちゃい頃に持ってたお気に入りのぬいぐるみなんでしょ?寝る時いつも持ってたって聞いたよ」
「まぁ、そうだったかも」
素っ気なく返答する亘。男なのにぬいぐるみを抱いて寝てたなんて、今考えると恥ずかしくなった。
「もしかして、いらなかった?」
「え?ああ、いや。そんなことないよ。ありがとう」
戸惑うミシェルに気を使い、とっさにお礼を言う亘。不必要かどうかなんて考えていなかった。ただ、どう処理していいかわからないのだった。
風呂から上がると、廊下の明かりだけがついており、ミシェルは既に就寝したらしかった。電気を消した薄暗い廊下を歩いて、部屋に戻る。明日の授業の準備をしてからベットに潜り、窓際に置いたぬいぐるみの事を考えていた。
これは母に買ってもらった物だった。亘に物をほとんど与えない母だったが、デパートの売り場で物欲しそうに見ている亘を見て、珍しく購入してくれた。その事が嬉しくて宝物のように大事にしたいた。
そんな思い出があった事を…今、思い出した。
亘は過去を全て切り捨ててきた。
母親との生活もあの男から受けた暴力も、すべて封印し忘れるようにした。切り離すことで生きてこれたし前を向けた。けれど、そうすることでしか自分を守れないのはとても弱いと感じた。
思い返せば、母も少しは自分を気にかけてくれたこともあったし、穏やかな時もあった。寂しさと苦痛のせいで全てが悪い思い出に塗り替えられてしまったのだった。
亘は横に置いたぬいぐるみを引き寄せる。それを見つめながら母のことを想った。一月前に彼女を突き放し別れを告げてしまったが、本当にそれで良かったのかと考え直した。
無論、一緒に暮らすことはできないけれど、今なら違う視点で母親と向き合えるかもしれない。そう考えながら、亘は目を瞑り眠りについた。
カメラのシャッター音と共に画像を保存する。別の角度からとも二枚撮り、満悦した表情をするミシェル。撮っていたのは、亘の寝顔だった。今までも寝ている亘の顔を写真に収めていたが、猫のぬいぐるみを抱えて安らかに眠る亘の姿が、愛くるしくて思わずスマホを取りに行ってしまった。
彼を起こすのはもう少しこの寝顔を堪能してからにしようと、ミシェルはベットに腰を下ろした。
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