23 キスのこと?

 いつもより早い時間に閉店のプレートを出し店の掃除と食器の片付けをして2階への階段を上る。すると、居間の電気がついており物音が聞こえてきた。かけ寄ってみるとダイニングでミシェルが調理をしようとしていた。


「何やってんだよ。ミシェル、寝てなきゃだめだろ」


「もう、平気だよ。店の片付けも任せちゃったし、今から夕食作るから」


「いいよ、あんた体調良くないんだろ。夕食なら自分でなんとかするから」


 ミシェルの行動を諫める亘だが、ミシェルは髪をまとめながらにっこり笑う。


「でも、亘。料理できないでしょ。インスタント食品とかも置いてないし、ちゃんと食べなきゃだめだよ」


 自分の方が食べられてないのにと、亘は心の中でそう訴えミシェルに料理を止めさせようとするが、彼女も引き下がる気はない。

 論議の末、調理が亘が行いミシェルが座って助言するという形に落ち着いた。夕飯は無難にカレーになったのだが、亘は料理以前に包丁を使ったことさえない。野菜を切るのにも手間取る亘をミシェルは後ろで心配そうに見ていた。


「目にみる?」


 玉ねぎの皮を向いて半分に切っている亘に話しかける。玉ねぎの成分で目に涙がにじんだ。


「うん、ミシェルは平気なの?」


「私はそういうのないから」


 歪んだ視界で玉ねぎを切ろうとする亘。よく見えない上に慣れない作業で危なっかしかった。野菜をまともに切れない亘を見かねてミシェルは立ち上がり彼に近付いた。


「そんなんじゃ手を切るよ。ちゃんと野菜を押さえて包丁は真っ直ぐ下ろしてね」


 亘の後ろに回り手を握り切り方を教えるミシェル。添えられた手はまだ冷たく痩せ我慢をしているのだとわかった。亘は堪らず事実を打ち明ける。


「ミシェル。

さっきシヴァさんから聞いたけど、ミシェルは人間じゃないんだよな」


 ミシェルは驚き亘に視線を落とす。振り向いた亘の目がしっかり自分を見ていたので、これ以上は誤魔化ごまかせないと思った。


「そっか、シヴァから聞いたのか。

ごめんね、黙ってて。いきなり自分は悪魔だなんて言っても信じてもらえないと思ったから」


 それらしい言い訳をするミシェル。本当はミシェルが倒れたりしなければ、事実を知るのはもっと後になっただろう。


「血も涙もないって表現があるけど、私達は本当にそうなの。血を流すこともなければ、玉ねぎを切って涙を流すこともない。


人じゃない私を怖いって思う?」


「いや、そうは思わない」


 気を使ったわけではなく、本当に恐怖は感じなかった。ただ、大変だなと思っただけだった。


「もう1つ聞いたんど、ミシェルが倒れたのは俺を助けるために生気を与えたからだって」


 ミシェルの表現が変わる。唇を結んで眉間にしわを寄せた。


「あいつ余計なことを」


 低い声と静かな口調でぼそりと呟く。やはりシヴァの予想は事実だったのだとわかった。


「じゃあ、本当なんだな?俺に生気を与えたってのは。お前に、キス…された時にか?」


「ごめんね。変なことして、ああしないと亘を助けられなかったから」


「なんで、あんなことした?」


「キスのこと?もしかしてファーストキスだった?」


「そっちじゃない!」


 茶化して誤魔化そうとするミシェルに亘は声をあらげた。


「どうして俺を助けるために自分の命をけずったんだ!危険なことだってわかってたはずだろ!」


「いいの、私がどうなったって。亘が無事ならそれで」


 そう言って慈愛の顔を向けるミシェル。

 どうして血縁でもなければ、往年の仲でもない、会って1ヶ月ちょっとの自分にそこまでするのかわからなかった。それほど自分に期待しているのか、それとも見返りを求めているのか。けれど、自分に期待するほどの価値があるとは思えないし、ミシェルは何かをしてほしいとは一度も言わなかった。


 その無償の行為が亘には不気味で仕方なかった。


 亘はまな板の上に置いてあった包丁を手に取り手首に当てて力強く引いた。赤い血が流れるのを見てミシェルは驚いた。


「亘!何してるの!?」


「飲めよ!血でもいいってさっきシヴァさんが言ってた。俺の生気を吸えば体温が戻るんだろう!だったら、飲んでくれ」


 血が流れる腕を突きだして飲むように訴える。


「止めて、亘!そんなことしなくていいんだよ」


「俺が返せるものなんてこれくらいしかない。あの時貰ったものを返すだけだ」


 亘は強い眼差しでミシェルを見つめる。ミシェルの不調に責任を感じているからだ。ミシェルは亘の手を取り優しく掴んだ。


「亘、お願いだから、こんなことはやめて。

自分を粗末に扱ったりしないで、ね?」


 ミシェルは亘の血を飲むことを拒んだ。亘はどこまでも彼女の庇護に甘えてるだけの自分に不甲斐ふがいなさを感じた。


「ほら、傷の手当てをしないと…」


 ミシェルは流れる赤い筋を凝視きょうしした。

 溢れ出す鮮血せんけつを見て彼女の理性が少しゆるんだ。ミシェルは亘の腕を引っ張り血の線を下から舐めていった。傷口まで舐め上げると口を開けて手首にかぶりつこうとする。


 その時、ミシェルの犬歯が針のように尖っているのを見て亘は声を挙げた。


「ミシェル」


 亘の声にミシェルは我に返った。口をふさいで蒼白した顔をする。結局、後はミシェルが料理して亘はソファーで休んでいた。




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