22 悪魔なんだ

 亘は1階に戻りミシェルが落としたグラスを洗っていた。幸いヒビは入ってなく使えそうだったので水分をとって棚に置いた。すると2階からさっきの男性が下りてきた。靴を履いて亘に近付く。

 改めて顔を見ると端整な顔立ちをしており、瞳の色はルビーのように赤かった。


「あの、ミシェルは?」


「しばらくは平気だろう」


 ミシェルの無事を伝える彼を亘はじっと見つめる。何度か店に来ているのは見たことあるが、彼の名前までは知らなかった。亘の視線に気づいたのか彼は赤い瞳を亘に向ける。


わたる、だったな?俺はシヴァという」


「しばさん?」


 "シヴァ"という名前を名字の"しば"だと聞き間違えた亘。しばらく沈黙が続き何か失態しったいをしたかと気に病んでいると"しばでもいい"と小さく答えた。


「あの、ミシェルの具合は本当に大丈夫なんですか?病院に行ったほうがいいんじゃ?」


「病院じゃどうにもならない。さっき血を与えたから、少しは良くなるだろう」


「血って、献血が必要なぐらい重大な病気なんですか?」


 "血"という単語から亘は献血を連想したがシヴァの言う血を与えるとは意味が違っていた。


「おまえ、何も知らないのか?」


「何をですか?」


「あいつが何者かも知らずによくあんな胡散臭い女の養子になったな」


 シヴァはミシェルを胡散臭い女と吐き捨てた。確かにミシェルを一言で言い表せばそうなるのだろう。


「あの、何のことです?」


 亘の質問にシヴァは少し考える。組んでいた腕をほどき体を亘の方に向ける。


「あいつは自分からは言わないだろうから、俺から説明する。ミシェルは人じゃないんだ」


「人じゃない?」


「悪魔なんだ」


 いきなり非現実的なことを言う相手に目をぱちくりさせる亘。冗談を言うような人には見えないが、本気にしていいのかもわからない。


「俺の言う悪魔とは、聖書や神話に出てくる神と敵対するものという意味ではなく、かといって人を惑わし陥れるという抽象的な意味でもない。


俺達は人の生気を吸って生きるもの。人の命と引き換えに存在するものだ」


 亘はシヴァの話を黙って聞いた。彼は真剣に真実を話そうとしているのを感じとったからだ。


「悪魔、吸血鬼、淫魔いんま業魔ごうま、魔女、喰鬼グール魔羅マーラー、鬼、悪鬼。

人からは様々な呼び方をされているが、俺達は俺達のことを"同種"と呼ぶ。」


「……同、種?」


「同じ種、または人とは違った種族ということだ」


 シヴァは少し話を止める。半信半疑はんしんはんぎの亘がついてくるのを待っていた。


「何か、証拠はあるんですか?あなたが人間じゃないって」


 シヴァは調理場に置いてあった包丁を手に取った。急に刃物を手にしたので亘は身構えたが、シヴァは左腕の服をまくり肌を見せると。そのまま手首を包丁で切ってみせた。


「!?」


 シヴァの行動に亘の顔色は青ざめた。血が流れ出すと思い一瞬目を反らしたが、細目で彼の腕を見返してみると、不思議なことに気づく。シヴァの腕はぱっくり切れていた。かなり深く切りつけたらしく肉も大きくかれていた。けれど、そこから血が一滴もあふれ出さなかった。少し近づいてよく見てみると、開かれた肉は赤くなく肌色の断面があるだけだった。


「この体には血が流れていない。

肌の感触も肉の厚みも骨の硬さもあるが、皮をいだ先には血も肉も骨も存在しない。全て人に似せて造られているだけだ。鼓動こどう脈拍みゃくはくも息もあるが、それも人だと思わせるためのカモフラージュに過ぎないんだ」


 手品だとか特殊メイクだとかそんなものではなかった。何より彼にはそんな小細工をして亘をだます理由がない。シヴァは大きく開いた手首に手を当てて体を修復しゅうふくする。腕を元通りきれいに直し包丁を元の位置に戻す。


「人と違う点はもう一つある。俺達の食糧が人の生気であることだ。人が肉や野菜を食べてエネルギーとするように、同種は人の生命をエネルギーとする。

吸い取る方法は何でもいい。血液や口吸い、または性交渉でも可能だ」


「性交渉?」


「セックスだ。

男女問わずしてる最中に生気を奪い取れる」


 率直な説明をするシヴァに亘は気まずくなって視線を反らす。シヴァも真面目に答えすぎたと反省しながら体の向きを変えた。


「ミシェルのあの症状は生気の補充ほじゅうがうまくいかずになるものだ。体がいちじるしく冷たくなり動かすのも困難になってくる」


 亘は前に閉店後に店に来た女性を思い出した。彼女の手もミシェルと同じように冷たかった。


「そういえば、前に手が異常に冷たい女の人が訪ねて来てました。あの人も同じなんですか?」


「ああ、ケリーか。あいつはまだ子供だからな。補充するタイミングがうまくいかなかったんだろう」


「あの、20代ぐらいの女性の人だったんですけど…」


 "子供"という言葉を亘は疑問に思い、人違いをしているのではと聞き返す。だが、シヴァの返答は驚きのものだった。


「俺達に見た目の年齢は関係ない。ミシェルはああ見えてもう100年生きている」


「ひゃ、ひゃくねん?」


 突飛な言葉に亘は驚く。

 流行りもの好きで若々しく見えるミシェルが100年前に生まれた人だなんて、信じられない。


「あなたもそんなに生きているんですか?」


「俺は50年ぐらいだ。

俺達は生気さえ吸い続ければ何年でも生きられる。だが、同種が長く生きるのは存外難しいんだ。絶えず人から生気を分けてもらい関係を保つのは楽なことじゃない。

人を惹き付け人心を掌握しょうあくするだけの魅力がなければならないからだ。」


 亘はミシェルの人に対する接し方を思い出す。誰に対しても優しく親切なうえ、細かなところまで気遣いができ、一度聞いた人の名前は忘れない。

 見た目の良さも去ることながら、彼女には相手をとりこにさせるテクニックがある。


「今さらあいつが自分の体力を読み間違えるわけないんだがな。何か心当たりはないか?」


 暮らし初めて5日経つが、普段のミシェルの暮らしぶりを知っているわけじゃないので、亘には想像がつかない。だが、シヴァには一つ思い当たることがある。


「君は2週間前に死にかけたと聞いたが、その時ミシェルがその場にいたというのは本当か?」


「ええ、何でかあいつ施設にいて、応急処置をしてくれたのもミシェルです」


「その時、何かされなかったか?」


 亘は今一度あの夜のことを思い出す。必死に呼びかけるミシェルの顔をぼんやり眺めていると何故か彼女にキスされた。

 その事を記憶から引っ張り出し、くちびるを指で撫でる亘をみて、シヴァは何かを察した。


「やっぱりな。ミシェルは瀕死ひんしの君を助けるために君に生気を与えたんだ」


「え?」


「自分の命と引き換えに君の命を助けたんだよ」


 シヴァに言われて亘はミシェルの行動の真意を知る。あの瞬間体の冷えはなくなり、痛みも和らいでいった。


「確かに俺達は生気の受け渡しは可能だが、それは自滅行為じめつこういだ。普通はそんなこと絶対にしない。けど、自分の生気を削ってでも君の命を助けたかったんだろう」


「じゃあ、ミシェルがああなったのは、俺のせい?」


「ミシェルが勝手にやったことだ。君が気に病むことじゃない」


 責任を感じて落ち込む亘をシヴァは励ますが表情は暗いままだった。ある程度現状を説明したところで、シヴァは最後に忠告をする。


「君があいつの餌になることは決してないだろうが、ミシェルが人とは違うことは認知したほうがいい。同種と人が共に暮らせないわけじゃない。けど、そこにはズレが生じることは理解しておいてくれ」


 亘に店仕舞いを指示してシヴァは2階へ向かう。ミシェルのスマホで適当な人に連絡をとり約束を取り付ける。


「21時に店に来てくれる。対応してやれ」


「わかった。ありがと」


 手で目元を覆いひどく気だるそうにしているミシェルに、シヴァは眉間にしわを寄せながら話しかける。


「お前、何故亘を引き取ったんだ」


「事情が事情だったから」


「あの子は"彼"じゃないんだぞ」


「………わかってるよ。そんなこと」


 ばつが悪そうに体を反らすミシェル。シヴァもそれ以上は何も言わなかった。



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