09 私が守ってあげる

 ミシェルの言う通り担任の先生に適当な理由を告げて早退してきた。帰るといっても施設にではなく彼女の店にだった。2階は自宅になっておりリビングに上げてもらい手当てを受けた。


「ごめんね。殴られる前に止めたかったんだけど…」


「いつからあそこにいたんだ?」


「お昼頃にだよ」


「わざわざ学校にきて待ってたのか?」


「まあ、それはいいじゃない。とにかく、これで彼らは亘に手出ししたりしないよ」


 それとなく誤魔化ごまかされたが、冷静に考えてみれば彼女の行動はおかしかった。待ち伏せにしても脅しにしても限度を越していた。何より、何故そこまで自分に構うのかがわからない。


「ねぇ、亘。もっと早く誰かに助けを求めるべきだったんじゃない?私じゃなくても学校の先生でもクラスの他の人でも…」


「助けを求めたって無駄だよ。あいつらは俺をリンチしたわけじゃないんだ。ずっと陰険いんけんないじめをしてただけ」


「だからって、何もしなかったら付け上がるだけだよ」


「言ったらひどくなるだけだ。だったら、我慢したほうがいい」


 亘の言はいじめっ子達のことを言っているのではないとミシェルはすぐに感じとった。


「それって、虐待してた父親のことを、言ってるの?」


 亘はうつむくちびるんで、こぶしを固く握りしめる。


「父親なんかじゃない。そう、呼ぶなって言われた。お前は俺の息子なんかじゃないって」


 亘は先程、父親のことを"あの男"と呼称した。恐らく血縁上の繋がりはないのだろう。それから亘はせきを切ったように話し始めた。


「目が気に入らないって何度も殴られた。切れたまぶたからばい菌が入って、1度だけ病院に行った。その時、はじめて母さんに言ったんだ。あいつに殴られたって……。

でも母さんは"嘘をいうのはやめなさい"って。あいつは母さんの前ではいい人の振りをしてたから。でも、母さんが仕事に行くと殴りはじめる。

誰も俺を助けてなんてくれない。だから、早く終わることを祈って我慢してた」


 結局、亘の異変に気づいたのは学校の教師だった。ライターの火を押し付けられた火傷の痕に気づいて、その男は虐待の容疑で逮捕された。実母もネグレクトの気があったため、亘はそのまま施設に保護されたのだ。


「母さんも本当は俺がいらなかったんだ。不倫でできた子で、男親のほうは俺を認知しなかった。

時々、俺の世話をするのがめんどくさそうにしてたからさ。今はいなくなって清々してるんじゃないかな?」


 自虐的じぎゃくてきな言葉を並べ、まるで他人事のように話す亘。もはやそうやって切り離していかなければ、どうしようもなかった。実の母親にも愛されていなかったという事実を受け入れられないからだ。


 亘の独白は終わり、静かな時間が流れる。ミシェルは黙って亘の話を聞いていた。何故、彼女にすべてを打ち明けたのかは分からなかったが、今は同情でもいいから優しくされたかった。


 けれど、ミシェルは同情するでも憐れむでもなく亘に手を伸ばし彼を抱きしめた。胸元に引き寄せ背中に手を回す。ふわりと優しい匂いと感触がして温もりが伝わってくる。


「つらかったね。

ずっと、ずっと、ひとりで抱え込んで、耐えてきたんだよね。

でも、もう抱え込まなくていいよ。


私が守ってあげる」


 彼女が何故そんなことを言うのか、わからなかった。けれど彼女の言葉と波打つ鼓動に感情がれだし、そして涙となって流れだした。その後はミシェルにすがりついて泣いていた。




 眠りの中に歌声が迷いこむ。ソプラノ調の綺麗きれいな歌声なのだが英語で歌っているため何を歌っているのかわからない。けど聞き覚えのある曲調でよくミシェルが店でかけている音楽だとわかった。


 亘は目を開き声の所在を探す。


「Have you heard, I married an angel

私は天使と結婚したのだろうか


I'm sure that the change'll be awfully good for me

この変化は私にとって最良だとわかっている


Have you heard, an angel I married

私と結婚した天使を知っているか


To heaven's she's carried this fellow with a kiss

彼女はキスと共に彼らを天国へ運んできた


She is sweet and gentle, so it isn't strange

彼女は甘く優しいひとなので、なにも不思議なことはない


When I'm sentimental, she loves me like an angel

私が傷ついているとき、彼女は天使のように愛してくれる


Now you've heard, I married an angel

私はどうやら天使と結婚したようだ


This beautiful change'll be awf'lly good for me

この美しい変化が私にとっては最良なことだろう… 」


 歌い終わりミシェルはようやく亘の視線に気づく。亘が眠っていたのはミシェルのひざの上だった。あのまま泣き疲れて眠ってしまったようだ。


「おはよ。目が赤くなっちゃってるね」


 優しく微笑ほほえむミシェル。その眼差しを亘は温かいと感じた。そのまま彼女の家で夕食を共にし、家まで送ってもらった。施設の前まで来たとき、言わなければと思い亘は口を開く。


「あの、ミシェル。ありがとう。いろいろ助けてくれて」


「いいの。私が勝手にやっただけだから」


「それから……」


「明日、またお店に来てくれる。待ってるから」


 ミシェルは亘が何を言おうとしていたのかわかっていた。そもそも嘘から始まった雇用契約だった。事実がばれてしまったのなら、これ以上働く必要はないと思い辞めようとしたのだが、ミシェルはそれを阻止そしする。前と同じで押しきられた感はあるが店で働くのは嫌じゃなかったので亘も思い止まった。


「じゃあ。また明日」


 亘は車を降り手を振るミシェルを見送ってから玄関に入っていった。



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