いじめ

05 二人とも釣れるしね

 ランコントルの店で働き始めて2週間が経った。接客業はもとより働いたことさえない亘は最初は慣れるのに四苦八苦しくはっくしていた。店は繁盛はんじょうしているという訳ではなく、されど閑古鳥かんこどりというわけでもない。まばらにお客が訪れその大半は男性客が多かった。目を奪われるほどの美女が営む喫茶店。駅からは離れているのにすたれてないのは彼女目当ての客が多いのだろう。しかも、大体のひとは食事をしに来たというよりもミシェルとおしゃべりに来ている様だった。


 今も一人の女性がカウンターを挟んで恋愛相談をしていた。


「でね、ちょっと距離置こうって言われちゃったんだ。私そんなにベタベタしてたかな~?」


 悩みを打ち明けていたのは、赤毛のボブヘアーをきつめに巻き、背中の開いた華やかなドレスを身にまとった女性だった。瞳の色が緑色なことから恐らく日本人じゃないだろうと思った。


「キャシーは元気が良すぎるのよ。そこが良いところでもあるけど、一歩引いて遠慮えんりょしてみると奥ゆかしさが出るし、配慮があると思わせられるよ」


「でも~それじゃ~餌にありつけないじゃない?キスするだけでも嫌がられるんだよ?」


「そういう時は他の人にも誘いをかけとくの。うまくすれば二人とも釣れるしね」


 果たして今のが適切なアドバイスなのかと亘は思った。


「ミシェルみたいな練達れんたつした域にはまだいけないな~」


「どうする?恋人と上手くいってないなら誰か紹介する?」


「ううん、いいよ。しばらくはお客さんか、SNSで知り合った人にするよ」


「そーお?でもよく知らない相手は気を付けたほうがいいよ。昔私もひどい目にあったからね」


「え~!何があったの?」


「そろそろお店にいかないといけない時間じゃない?」


 ミシェルはそれとなく話を反らし彼女を仕事に向かわせる。


「ああ、そうだね!じゃあね、ミシェル。わたるんも仕事がんばってね!」


「ありがとうございました」


 キャシーは奥で立っていた亘にも明るく挨拶して去っていく。亘は席に残されたカップを回収しに行った。ミシェルと話すだけの人は多くの場合お茶だけ飲んで帰ってしまう。加えて、その代金を請求せいきゅうしない。知り合いの家でくつろいでいるかのようだった。


「ここって人生相談するところなのか?」


 亘の質問にミシェルは彼に目を向ける。敬語は使ってないのは、ミシェルに普通に話してくれてよいと言われたからだ。


「みんな、ミシェルと世間話しているだけだよな。お金も貰ってないし」


「そうだね。あまり売り上げとか気にしてないから。私自身お客さんとおしゃべりするのが好きだからこの店をやってるの」


 20代の女性がそんな気構えでいいのかと不信に思ったが、もしかしたら彼女は働く必要がないのかもしれない。着ている服や持っている車からお金持ちなのかもしれないと薄々うすうす感じていた。


「人には様々な悩みや不安があるからね。それに対して何かしらのアドバイスが出来たらいいなって思うだけ」


二股ふたまたを勧めるのがいいアドバイスだは思えないけど?」


「あっはは、たしかに」


 ミシェルは笑って誤魔化ごまかす。呆れた顔をして食器を運んでいく亘にミシェルは話しかける。


「亘はないの?悩み事。学校とか、家とか、良かったら聞くよ」


 亘は足を止める。彼には学校生活でも家庭事情でも深刻な問題を抱えていた。だが、それはミシェルに相談して何とかなるものでもなかった。


「ないよ……」


 端的たんてきに答えて奥に入っていく。ミシェルは亘の嘘に気付いていたが今は黙っておくことにした。




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