彼方へと至る巡礼

伊島糸雨

彼方へと至る巡礼


 痩せ細った木々の亡骸が、大地の上に累々と横たわっている。

 季節を示すはずの彩りは遠く彼方に色褪せて、すべては燃え尽きた後の灰色に覆われている。陽光は重く垂れこめた雲間を抜けて陰鬱な影を落とし、その光景に死者の葬列を思う。

 列車の揺れる規則的な音が微睡みを誘うけれど、眠るのには飽きたからと頬をつねる。通路を挟んで反対側のベッドに横たわった子が、「何やってんの」とおかしそうに笑った。

「眠気覚まし」

 寝ちゃえばいいのに、と彼女は言って、その言葉通りベッドの中に身を埋めた。私はそれを見届けると、再び視線を窓の外に向ける。車内には太陽光を再現した照明が、旧世界の周期に則って動いている。それゆえ、採光用の窓は格子状になっていて、本当に最低限しか外を見ることはできない。

 つい数分前に通り過ぎた廃墟都市に屹立する高層建築群は、その威容を保ったまま静寂の中にあって、車窓の外で徐々に小さくなっていく。流れていく景色に代わり映えはなく、窓際の病床もやがて飽きがくる。とはいえ、日々の退屈を紛らわすのであれば、閉塞感がある窓なしの場所よりも、景色を眺めることができる方がまだマシだと言えた。

 昔、私が生まれるよりずっと前に、世界があらゆる病の巣窟になってからというもの、人々は安住の地を求めて彷徨い続けている。誰もが楽園を希求する旅人となって、それぞれのやり方で生き延びようともがくのが、今この世界に生きる人の宿命のようなものだった。

 両親は私がまだ幼い頃に病死して、私も先天的に病弱だった。だから、私はこの無菌室で、何も成せずに一生を終えていくのだと予感している。

 鋼鉄と浄化装置と防護ガラスと、たくさんの医療装置に薬剤が、あらゆる病原体に対する拒絶の証として私たちを包み込んでいる。乗客はそれを“防護隔離列車”あるいは“移動病棟”と呼び習わして、どこにあるとも知れない場所を探している。

 線路は続くよどこまでも。列車に搭載されたインフラ建設ドローンが、標準装備である3Dプリンターで線路をつなぎ、修繕し、延々と道を引き延ばしていく。

 線路建設のために停車すると、防護服に身を包んだ整備員が各車両の点検にあたる。私たちはそれを内側からぼんやりと眺めて、彼、あるいは彼女が無事に中へと戻れるようにとささやかに祈る。

 私がいる車両は、一年ほど前から一人の女の子が担当している。女の子、と言っても、実年齢はわかっていない。ただ、ヘルメットの奥の顔はまだ幼さを残していて、私と同じくらいなのではないかと勝手に思っている。接触する機会も話す機会もないけれど、窓越しに手を振ってみたり、微笑んでみたり、そういうちょっとしたコミュニケーションをとることは多かった。そうやって普段一緒にいない人と触れ合えるのは、内と外で隔てられていても楽しかったし、暗い表情の彼女が少しでも笑顔になると私も嬉しかったからだ。

 彼女が負っている責任の重さやリスクの高さを思えば、私なんて役立たずも同然だった。ただ人類の生き残りの一人として、数字の上での役割しか持つことができていない。自分以外の他者、誰か個人のために何かをするなんて、ずいぶんと長いことできていなかった。

 私は窓の内側から眺めているだけ。手を伸ばしても壁に阻まれ、私の足では届かない。私の頭では、力では、何一つとして解決できない。

 そしてだからこそ、私が生きながらえるのだとわかっている。現実は不均衡に、誰かの生のために誰かが死ぬ。どれだけ追い詰められても、システムがそのようにできているのだと思う。

 安息の温室から見える世界は、ひどく寒々しく、荒涼として、恐ろしげな影に覆われている。

 窓の外の彼女が、整備を終えて立ち上がる。その視線がこちらを向くのを見計らって、微笑みながら手を振った。彼女はそれに気がつくと、疲労を滲ませつつもぎこちなく笑って、手を振り返してくる。

「……何してんの?」

 背後で衣擦れの音がして、怪訝そうな声が届いた。私は言葉だけを向けて、

「異文化交流。寝てたんじゃないの?」

「なんか目が覚めた。映画でも見よ」

 背後でデータベースを立ち上げる軽やかな電子音が響く。私はそちらには目を向けずに、彼女が去っていくのを眺めて、その姿が完全に見えなくなると、ベッドに勢いよく身を投げた。ぼふ、と空気が跳ねて、私は深く息を吐く。

「あのさ、音出していい?」

「ダメ。骨伝導音響にして」

「臨場感が……」

「ダメ」

 ちぇっ、と声に出して、彼女もまたベッドに倒れ込む。それからはもう静かなものだった。彼女は映画に集中しているし、同室の他の子は、彼女ほどお喋りじゃない。

 出発のアナウンスから数秒後、かすかな揺れとともに列車は動き出した。私は寝返りをうって車窓に顔を向けながら、次に停車するのはいつになるだろうと考える。私たちは、いったいどこまで行けるのだろうと想像する。終わりの見えない旅路の中で、私はあと何度、あの整備員の女の子を見ることができるのだろう。

 ここから先の未来、病から遠く離れた安息の地に、私たちの姿はないのだと思う。いつかどこか、と夢見ながらも、自分がそこにいないことだけははっきりと思い描くことができた。映画を見ている彼女も、整備員の子も、そこに至る前にきっと死ぬ。病によって、この病んだ世界によって。

 殺されていくのだと、確信している。

 色褪せた病棟の中、いつしか果てる命を抱え、実在の証明もままならないまま、遥か彼方の楽園に夢を見る。

 私にとってそれは人生とイコールで、夢以上でも夢以下でもなく、その時が来るまで観測しえない未来へと向かう他に道がないのは、世界がこんなことになる以前から、ずっと変わらないことなのだろうと思う。

 順行する時間と、一方通行の線路はよく似ている。有限のどん詰まりだと理解しながら、見えない明日に期待して、ただただ前へと進んでいく。継接ぎされた糸を辿り、数多の結節を経る私たちは、聖地を目指す巡礼者だ。そして、退路も岐路も用意されずに、けれど、だからこそ、閉塞と抑圧の中から、籠の外へと思いを馳せる。

 窓から見える風景に、鮮やかな色が戻るのを想像する。

 青空と、太陽と、雲と、緑色の草木と、たくさんの色の花々が一面に広がっている。私はその中に立って、肺いっぱいに息を吸う。隣に誰かが立つけれど、私はその人のことをよく知らないから、友達から始めようと手を差し出してみる。彼女はそれをすぐに握り返して、二人一緒に、ゆるやかな速度で駆け出していく。

 あのヘルメットの向こう側は、何色をしているのだろう、と。

 この牢獄から逃げ出す夢を、ずっと見続けている。

「線路は続くよどこまでも──」

 灰色の景色が流れていく。巨大な霊柩が、灰色の大地を駆け抜けていく。

 彼方への巡礼には、まだ、遠い。

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彼方へと至る巡礼 伊島糸雨 @shiu_itoh

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