とりあえず、大休憩
気が付くと夕刻になっていた。体が痛い。やっぱり寝方に無理があったようだ。
あの後、大きな女、ヴァネッサを背負い、なんとか帰路についた。押しかけるようで悪いが、ウェブの家で休ませてもらっていた。気絶したままのヴァネッサをウェブの寝台へ寝かせて、ウェブと僕は、床に毛布をひいて、それぞれ横になった。
ぼんやりと意識を手放したら、もうこの時間である。ただ、そけも無為じゃない。久方のぶりの睡眠はようやく事態を整理させてくれた。
今更だが、今起こっている夢じゃない。眠りを経て思ったことだった。床の黴臭さも寝汗で湿った毛布の感覚も偽物ではない。
「起きました、か」
「あ、あ。おはよう」
「おはよう、ございます」
目隠しの女、スパイダーウェブはすでに起きていた。部屋着だろうか、ゆったりとした貫頭衣姿だ。
そのまま、ぼうっとしていると水の入ったボウルと布をこちらに持ってきてくれた。髭剃りナイフもあるが、たぶん、フラッシュボルトのお下がりだろう。
「どうぞ」
「どうも」
受け取って顔を洗う。マシになった気がするが、やはり髭が気になる。とはいえ、ナイフの使い方は知らないし、そう器用でもない。仕方なしに仮面を被り、カザンになるが、当たり前だが、剃れない。オレはさっぱりしたが、僕はダメだった。
自分でやるしかないのかと、ナイフを恐る恐るあてるようとした。
「いや、その、危ないですよ。貸してください」
彼女は僕の手からナイフをすっと取ると、そのまま手慣れた様子で、僕の髭をざりざりと剃ってくれた。やっぱりあのヒモ、ここまでやらせてたな……
「すみません、ありがとうございます」
それにウェブがかすかに笑いかけてきた。
「おゆはん、出来てます。こちらにどうぞ」
「ああ、うん」
言われるがまま、彼女の誘導に従う。台所近くに、こじんまりとしたテーブルがあった。だが、椅子は二つだけしかない。
「ヴァネッサは?」
「白湯だけ飲んでもう一度、眠りましたよ。まだ、だるいみたいです」
戸棚からパンを出し、ポトフのようなものを深皿によそる。ポトフには腸詰や季節の野菜が雑多に煮込まれているが、ひとつひとつの品質は悪くない。
「どうぞ」
「あ、あ。いただきます」
しっかりとうまい。それに勢いづいて、あふあふとポトフを食む。
食べれば、食べるほど腹が減ってきた。少し、体が熱くなるのは、香辛料がしっかりと効いているためだろう。胡椒と鷹の爪が分かるだけで確認できる。そのおかげか、しんなりとしたキャベツや玉ねぎが甘い。芋も煮崩れしないように下処理がしてあるようだ。それでも口に運ぶと、ほくほくと崩れた。
しかし、残念ながら腸詰はポトフ全体に味を染み出してしまっている。
「はい、芥子です」
「あ、すいません」
彼女はさっと粒マスタードを出してくれた。つけるとぼんやりとした味が、締まっていく。パンはそのまま食べるには、少し硬いものだ。スープに少しづつつけてやると丁度いい。
にこにことウェブがこちらを見ている。なんだか、気恥ずかしさで顔が緩んだ。そのまま、されるがままに世話をされた。
食べ終わる頃には、さらりと酒とつまみが出てきた。盛られているのはチーズと豆。癖の強い匂いと炒った香りが鼻をくすぐる。横には冷えた蜂蜜酒が添えられている。
ゆったりと楽しむ。会話はあまりない。塩気の強い硬い豆をかりかりと食べていく。焼けるような甘い蜂蜜酒を呑む。僕はさすがに炭酸水で割ることにしたが、ウェブはストレートでちびちびと舐める。時折摘まむのは柔らかいチーズ。優しい塩気が心地よい。
その合間にぽつぽつとウェブが話してくるが、とりとめもない。仕事のグチが主だ。当たり障りのなく、頷いていく。その度に、盃が乾く。そして彼女は無造作に、手慣れたように手酌を繰り返していった。
「だから、あの人があ、いったんですよぉー、ひどいですよぉ」
「そうだなー、ひどいよねぇー」
何杯繰り返されたか。とうとう敬語が切れたウェブをなだめた。すでにふらふらとしている。蜂蜜酒は見た目より強い酒だ。出来上がったウェブが虚空に二三、胡乱な声を上げた。その後にへなへなと机へと崩れ落ちた。
やっと寝かしつけられた、と嘆息する。このままというわけも行かないし、どうしたものか。思案する間に扉が開いた。
疲れた顔をしたヴァネッサがよろりと現れた。足取りは重いが、寝起きと言う雰囲気ではなかった。どうも、ウェブが寝付くのを待っていたようだ。
「騒がしいな、まったく」
余った豆をつまみ、酒の割材だった炭酸水を瓶から、がぶりと飲んだ。気が抜けてしまっていて、あまり美味そうではない。それでもヴァネッサは、飲み干して、ふうっと息を吐きだした。
「悪いな」
「いいさ、不覚を取ったのはこちらだ」
「まあ、このヒモが思ったより難物だっただけだよ」
机の上にぱらりと紙束、フラッシュボルトのキャラクターシートを取り出した。
「比較的、弱い奴だったんだがな……」
「ウェブが手を貸してくれなければ、危なかった」
「そうか」
ヴァネッサは静かに紙束を掴む。彼女が確認すると唸る。
「事前情報より、大分に変わっているな。装備、呪文が増えて」
お互い見込みが甘かった。これ以上に強い相手なぞ、ざらにいる。先行きはいいとは言えないだろう。ヴァネッサの表情が暗いのも灯のせいではない。
「まあ、今は勝ったし、明日のことは明日考えよう。疲れるし」
「そう、だな」
頷くと、キャラクターシートをすうっと撫でる。がちがちと固まって、あの仮面になる。白磁のような色合いをしており、その上に黒い紋様が描かれている。だが、カザンのものと違い、目に当たる場所には宝玉がはまっていない。
「あー、こいつは“死んだ”のか」
「“死んだ”?」
「人格が消えているってことだ」
「うーむ。南無南無」
ほんの少し、自分が欠けたような気分になった。あんなんでも僕の作ったキャラクターだった。一度拝んでから手に取る。さすがに今被る気も起きず、しまい込んだ。
なんともかさばる。一枚ならともかく、二枚三枚と溜まると取り出しづらくなりそうだ。後々、装備方法も考えないといけない。
「体勢を整えたいし、明日は一度、戻らないか」
「パパが言うなら、そうするか」
「ほんとやめて」
こちらの反応にクスっと笑う。そうしてからヴァネッサはひとつ伸びをしてから、ウェブを抱き上げた。
「こっちで寝かせておく、ゆっくり休め」
「助かる」
立ち上がるのも、厳しいので彼女に任せた。そのまま毛布へと倒れ込むように、もう一度、眠り込んだ。
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