遊びと神々と被害者たち
「おら、起きろや」
あの女の声がした。体を引き起こすと、だだっ広い野原が見えた。写真や動画で見た阿蘇高原を思い出す。風は気持ちよく吹き、山々が見える。なだらかな丘があり、青々とした草が生えていた。
だが異様なのはギリシャ神話に出てくるパルテノン神殿めいた建築物にいることだ。そこには件の女が自身が主神であるかのように柔らかなそうな革張りのソファーにどっしりと座って、こちらを見ている。
「どーも、西湖 呂古さん」
「なぜそっち?」
生き返り、異様な状況、より先に純粋な疑問が立ち昇る。いや、TRPG向けのハンドルネームで、いきなり呼ばれるとは思わない。身内でしか使わないのだ。西湖呂古、すなわちさいころふる、サイコロ振る。
混乱がなんだか落ち着いていく。本名より慣れ親しんだ名前だからだろうか。それとも、妙なことに対処することが多いTRPGと今ある現実を、脳が混線させているためだろうか。ゲーム脳と言われても仕方ない。
「だから、なんでゲームの話になるんだ」
首を傾げて、うめく。確かに僕の半生はTRPG、すなわちテーブルトークロールプレイングゲームと共にあった。
TRPGは紙や鉛筆、サイコロ、トランプなどのアナログな道具やダイスボットや専用のサイトを用いる。、言葉によって空想を育てて、データによって物語を紡ぐ。あるいはデータによって空想をまとめ、それを言葉にして遊ぶもの。
解釈は人それぞれだが、とにかく人間同士のやりとりによって、遊ぶRPGだ。
さてTRPGというものは、すごいメジャーというわけではないが、決してヤクザな趣味ではない。こうした非合法団体の方に絡まれる要因にはならないはずである。
「そりゃあ、そうさ。そっちが本題だ。アタシはオーバーロードの端末、かの存在はアタシという端末を経由して翻訳し、貴様に通告している」
「オーバーロード、上帝の?」
サイエンスフィクションでお馴染みの言葉をぼんやり思い出す。本来の意味はともかく、ここでは上位存在ぐらいの表現だろう。
「どちらでも構わない。翻訳として適切かもわからないが、そう言うぐらいしかできない。造物主でもいいが、貴様らを作り出したわけではないからな。異界の創造神だとでも思うがいい」
端末と名乗った女は深く息を吐いた。表情を消し、静かに告げてくる。
「我々、オーバーロードは世界を創生し、管理するものだ」
「はあ」
いきなりそんなこと言われましても、と。ぼんやりとした返事を漏らす。声を消すように、さらさらとした風が吹いて、辺りを薙いでざわざわと草を揺らした。
「無から有を作り出すことはできるが、基礎がなければ手間だ。故に情報リソースの収集するために既存世界から情報をいくつか引き出して生成する。今回の作り出した小規模世界もそういうものだ」
「ほうほう」
「その上でな、滑稽なもの極端なものは弾かれるはずだったのたが、ある端末がやらかしてな。たまたま、貴様らのお遊びの情報を大量に流入させた」
「へえへえ、へ?」
素っ頓狂な声を漏らす。僕は嫌な汗が額からじんわり広がるのを感じた。こういう時に限って風が止む。
「えーと、うちのセッション、あー、つまりTRPGで遊んでいる時の内容やデータをコピペした、ということですか」
「そういう認識で構わない」
そう言った後、端末と名乗った女は呆れたような声を漏らす。動作ひとつとっても、圧力を感じてしまう。やはりどこかで見たような、知っているような動きだ。
「いや、お前らの遊びに文句つけるのは筋違いなんだが、もうちょっと良識を持って遊べないのか」
「あ、はい、すみません」
絶対、端末という割には個別の自我あるよね、この人。そんな思考をしながら、思い返す。どうがんばってもTRPGはゲームだ。ゲームというのはやはりままならないこともある。人と人で遊ぶなら猶更だ。
特に我々のプレイグループは中々ハッピーエンドまで行かないわ、世界一つがキャンペーン、その失敗の積み重ねで『お前らのせいです あ〜あ』な状態になったりする。いやね、ちゃんと終わらせたものもあるけど、ね。
「いや、本当すみません」
「我々の落ち度でもある」
やはり、すっと表情が消えた。端末として告知している場合はこうなるのだろうか。
「それらは、な。なんらかの手段で自分たちが被造物であると認識し、そして、世界を食いつつある。膨張していると言ってもいい」
「あー、あ゛ー」
そういえばメタ視点持つキャラとか作ったなあと逡巡する。
「崩壊すれば、この小世界は膨張して、縁のある原世界へと流れ込む」
「原世界……」
「この場合、汝らの地球だ。小世界が噴出し、地球の一部と交じり合うだろう」
「ええーと、つまり全世界へ向けて、僕の考えた黒歴史が放出される?」
自分で言っていてわけが分からない。
「我々としては貴様に申し訳ないことをした。が、これは汝らが生み出したものでもある」
「えーと、つまり」
「この異界で、汝らが産みだした子らを確保し、拘束。あるいは排除してほしい」
「できるかッ!」
TRPG、いやゲームのキャラクターと実際に相対するとしよう。ゲームのキャラクターというのは大概、常人ではない。超人、達人、英雄、奇人変人の類が主だ。どうしたって凡庸な日本の成人男性がどうにかできる存在ではない。特に、うちのプレイグループではファンタジーやときおりSFといった感じで、現代人の感覚持ちの連中は少ない。
「やらねば、帰れないぞ。ここはすでに小世界の内だ」
「ですよねー」
白目をむきそうな気分なまま、頷く。阿蘇にギリシャ神殿があるわきゃない。たぶん、ここも旅行行きたいなー、とか思いながら作った世界設定の一部が元なのだろう。
「何も無策でやれというわけではない。端末は同行するし、可能な限りの援助はしよう」
端末の女がそういうとソファーから立ち上がり、数枚の紙を渡す。
「汝らが、遊んでいた情報体から引き抜けるものを用意した」
キャラクターシートだ。、プレイヤーが操るキャラクター、プレイヤーキャラクターすなわちPCがゲームで使うのに必要なデータ、が書かれているものだ。なお、ゲームの進行役であるゲームマスターと呼ばれる存在が操るキャラクターはノンプレイヤーキャラクター、すなわちNPCと呼ばれる。
「おお、こいつは……」
ほうっとした声がもれた。
このキャラクターシートには見覚えと郷愁がある。ボロボロでぐちゃぐちゃで汚い字で書いてあり、へたくそな肖像画が書かれている、それは確実に自分のものだ。刻まれた名は、懐かしいものだった。昔、僕がTRPGをはじめたての頃、作ったキャラクターだ。長い戦いを共にした、かつての相棒といってもいい。
手に持っていた紙束は薄い光と共に形を変えて、一枚の仮面になる。真っ赤に染まった色合いで、その表面には奇妙な文字、いや文章らしきものが刻まれている。おそらくオーバーロードの言語なのだろう。表を撫でた持った感触は鉄や金属のそれだった。瞳の在るべき場所には黒々とした宝玉がはめ込まれている。裏を覗くと表と違いシンプルなもので、つるりとしていた。
ふーんと眺めた後、なんとなく、被ろうとした。
「おまえ、説明書、読まないタイプだろう」
「あだだだだッ! だってルルブみたいに楽しくないしぃぃぃ」
一瞬だけ捻じられた腕から、からんと仮面が落ちてしまう。ルルブ、すなわちTRPGのタイトルごとにあるルールブックだ。基本となるルールブックでは世界観やシステム、使うデータをまとめるシート類などが書かれていて、これと一緒に遊んでくる人とダイスがあればだいたい遊べるようになっている。ちなみに拡張したルールを記しているものは、サプリメントと呼ばれ、基本的に単体では遊べないので購入時は注意だぞ。
「おい、ぼーっとするなよ」
「いや、現実感がなくて、つい」
「しっかりしてくれよ」
長い息を吐きだすと彼女は仮面を持ち上げて、くるりと回す。赤い軌跡を描くそれを、自分の顔を半分覆うように構えた。
「この仮面、キャラクターシートというんだったな。これを被れば、そのキャラクターに『成る』ぞ。人格もそれに寄ってしまうからな、注意しろ。オーバーロードからは以上だ」
そう言い切ると神殿は、元からなかったかのように消えた。そして、疲れたような顔をした端末の女だけが残る。そしてぐいっと赤い仮面を押し付けるように渡してきた。
「しっかり頼むぞ、サイコ、ロウフル。」
「ああ……なんとかするよ、あー、そうだ。貴女の名前は?」
「忘れちまったのか、生みの親の癖に」
皮肉気に女は笑う。
「ヴァネッサ、ブラックウィドウ所属のフィクサーだよ」
「ああ……悪いかったよ、顔を合わせたのは初めてだから」
悪辣に笑う女。ヴァネッサはPCではない。ピカレスクやノワールもの近いTRPGで僕がゲームマスターした時に出した依頼人NPCだ。酒場ブラックウィドウにいる、いわゆる依頼人枠だ。公式で提示されているNPCではない。必要だったので作り出したNPCだったが、使いまわしやすく便利な依頼人だったので、割と長いこと使っていた。
「そういうことにしてやるよ、パパ」
「やめてくれ……」
自分より圧の在る娘にぞわぞわとした声で言われるのは、なんとも言えない。
「と、とりあえず、落ち着ける場所に行くか」
「アイアイ」
ぱちんっと指をならすと、件のワンボックスワゴンが草原の果てからゆっくりと近づいてきているのが見えた。部下たちが待機していたらしい。
「じゃあ行こうか、パパ」
「やめい……」
うんざりしたを絞り出すとヴァネッサは心底、楽しそうに笑った。
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