恐怖! 顔の見えないストーカー後編
公園についた。いちめん芝生。
その朝露に濡れた緑の絨毯が、何とも言えない青々しい匂いを発している。
ぼくと月舞さんは木の陰に腰を下ろした。
ぼくはそのまま崩れ落ちるように、芝生に全身を預けた。
「ちかれた……」
まだ視界がぐわんぐわんする感覚がある。でも休めばよくなりそうだ。
月舞さんは心配そうに、
「無理しないで。もし辛かったら学校休も?」
「ぅうありがとう」
「もし学校休むことにしたら、わたしも休むからね」
「ええなんでっ?」
「だってきみひとりだけじゃ心配だから」
「心配って……家に戻って寝てるだけだよ大丈夫だよ!」
「わたし看病するよ毎秒ポカリとか買ってくるよ」
「ええ…………」
「あ、そういえば」
と言って、月舞さんは自分のバッグをまさぐりはじめた。そして、
「おなかすいてない? つくってきたの」
取り出したるはお弁当箱。ゆうに二人分はあろうかという大きさだ。
ちょうどビンゴタイミングでぼくのおなかがぐうぅぅううと野獣の咆哮。
なんせぼくはストーカーの精神攻撃のせいでまともに食事が摂れていないのだ。朝食たべてないし、昼食もお弁当つくれなかったから抜きかも。
そこへこの月舞さんのお弁当箱が大変おいしげなスメルをただよわせてきたものだから、必然的にぼくの表情もちゃ~るを前にした猫(=^・^=)猫のごとしってわけ。
月舞さんは笑う。ぼくの顔を見て笑う。
よっぽど物欲しそうな顔してたんだにゃあ。
月舞さんはそのきれいな両手でそっと、お弁当箱の蓋をあけた。
なんでお弁当が二人分あるのか、とか、どうしておひる用のお弁当なのに、いま食べちゃう流れになっているのだそんな親切生まれてこの方受けたことがない、とか、いろいろ頭のなかでは考えた。
でも、そんなことより、全身の注意は、お弁当箱の中身にビシビシッと向けられていたのだった。これ動物の性ってわけ。
「おいしそうでしょう? ふふっふふっっっ」
封印解かれた月舞さんのお弁当箱。
おいしそう――というより、まず、「きれいだ」という感想だ。
なにせ、お弁当なのに、その色彩は沖縄みたいなマリンブルー。
ごはんの上には青いきれいなふりかけ的なサムシング――さくらでんぶ? 青だからさくらじゃなくてなに? くじらでんぶ? 知らんけど。そんなんが載っていてとても色彩美しい。
そこへカットした海苔でなにやら文様を形作り――かわいらしい輪郭ができあがっている、ように、見えるが……?
あ、これは!
あの、国民ならみんなが知っている、未来系猫型ロボットだ!
そう。これは青いさくらでんぶと海苔とを駆使してつくりあげたきれいなキャラ弁、猫型ロボットのキャラ弁だったのだ!
なんでやねん。
「わたし考えるの、ときどき」
月舞さんはお箸をその手に取りながら、しんなりと言う。
「もしひみつ道具がひとつだけ使えるなら。いったいなににしようかなって」
「わかる。ぼくもわりと毎日考えてる。ぼくはもしもボックス一択だ」
「刷りこみたまご」
断言。
月舞さんは、このこだわり一歩も退かんぞという決意の瞳で、宣言した。
「刷りこみたまごこそ究極にして至高。そう思わない?」
「いや、もしもボックスのほうが……」
「刷りこみたまご!」
Shout!
「あ、はい」
Agree.
えー。
そもそもどうして猫型ロボットのお弁当なんだ。
好きなのか。猫型ロボットが。
たしかに国民はみんな好きだけれどもなあ。
おれも好きだよ。
「ふふふ……ふ……」
笑み。
なにがおかしいのか、月舞さんは、静かにわらいながら箸を動かす。
箸の先にのせたブルーのごはんは、ぼくの口に運ばれていく。すいすいと。
(ぼくはいつのまにか「あ~ん」されていた。しゃべってたので気づかなかった。それほど自然かつテクニカルな「あ~ん」だったのだ)
ぼくは口に運ばれたごはんを吐き出すわけにもいかず、おいしくもぐもぐする。
おいしい。
「おいしい」
感想を口に出して言ったら、月舞さんは満足そうにうなずいた。
*
食べ終わったら眠くなった。
なにせ人間は、そういう風にできているから。
満腹ぷくぷくになったらねむねむになります。
月舞さんは瞼重そうにしているぼくの様子を見て、
とんとん、
と自分のももをたたいた。正座した姿勢で。
これは、あれだ。
ひざまくらwelcomeの構え。
それに加えて誘うような蠱惑的ななんか凄い笑顔を浮かべ。
おいで、おいで、とぼくを誘う。
ぼくはもう精神の髄までがやられていたものだから、灯火に吸い寄せられる蛾みたいに、同じく昆虫じみた本能で、月舞さんのおみ脚に、ふらふらと吸われていったのもやむをえないことというほかあるまい。ねえ。
ふらふら、ふらふら。どら、失礼しますよ。
後頭部を、月舞さんのふとももに乗せますと、
ふにゅり、と、神々しい感触がして電撃が走った。
こりゃ、ヤバ。
月舞さんはぼくを、まるでまるで慈母(マリア)のような表情で見つめ、笑い、涙ぐんで、やっぱり笑った。心底うれしそうにしている。
ぼくは、なんか流れとはいえ女の子と密着するようなこんな経験めったにないもんだからドギマギだし、どっか雰囲気がヤバな感じがする。
月舞さんがぼくに向ける視線が、どうもこう、野獣がウサギを狙うみたいな、そんな感じだ。
そこには「喰欲」がある。
肉を食らおうという、なんかそんな感じの。
ぼくとしてはなんか、そういうの、免疫ないからむずむずする。
月舞さんどういうつもりかしら。
そんなにぼくを見つめて。
ぼくと月舞さんはそんな絡みなかったと思うし。
急に距離を詰められても困惑する。
かわいいから、その、いやじゃないけどむしろうれしいけどめちゃくちゃ。
それに。
こうしていては、やっぱりどうしたって月舞さんが学校にいつまでも行けなくて、申し訳ないので、まことに惜しい限りではあるが、ひざまくらほっこりタイムは終了するべきと考える次第。
ぼくはぐいと上半身を起こそうとする。
でも起こせなかった。
なんか不自然に眠すぎる。
上半身がアザラシみたいに重い。
やばすぎ。
その時、
「まだ寝てようね」
あろうことか。月舞さんはぼくのおでこを押した。
自分の脚に押しつけるように。
ぼくは抵抗する術を持たず、寝かされてしまう。
ふわりと、レモンバームの香り。どこかで嗅いだような甘い。どこかで……。
月舞さんはぼくの髪をそっと撫でて言う。
「こうして二人でゆっくりした時間を過ごしていると、幸せだね」
「うう……」
なんとまあ大変だ。こんどは呂律がまわらなくなってきた。
舌がもつれて言葉が出てこないのだ。
ぼくはだんだん怖くなってきた。これはおかしい。
普通じゃない。この眠さは絶対に疲れが原因のものじゃない。
もっと化学的な、人工的な、変な、なんというか、そう、薬でも盛られたかのような……。
まさか。
月舞さんはそのうっとりとした顔をキスしちゃいそう(?)なくらいの距離まで近づけてきて、ささやく。
「市販できないほど強烈な睡眠薬の類はね」
その声色は、かつて聞いたことがないほど、冷たい緊張感に満ちていた――
「青く着色されているんだよ。食事に混ぜて人に食べさせたりとか、そういう悪用がされないように――」
睡眠薬は青く着色されている?
う……。
まとまらない頭。重苦しい思考。
それらを極限まで酷使してぼくは推理する。
ぼくのいま感じている眠気はとても人工的なものに感じられる。
人間が自然に感じる眠気にしては、あまりに強烈すぎるのだ。
そしてぼくがさっきまで食べていたのは青い食事。
猫型ロボット色のお弁当。
そんでもって月舞さんが言うには、ある種の睡眠薬には、青い着色が施されているとかなんとか――。
「うご……」
ぼくの頭の中にとんでもない結論が導き出される。
恐怖の結論が。
月舞さんの身体から発せられるレモンバームの甘い香りが、ぼくの鼻をこしょこしょとくすぐる。
とても近い。距離が。体温をもろに感じる。
えろい。
とかふざけていってられる雰囲気じゃない。
月舞さんなんかめちゃくちゃ怖い。
レモンバーム。レモンバーム。
なんかどこかで嗅いだことのある匂いなんだよな。最近。
思い出せ。なんかこれは非常に大事なことだった気がする。
ぼんやりした頭、はたらけ。最後のひと踏ん張りだ。
このミッションが終わったら存分に寝ていいぞ。だからがんばれ……!
「……………………ああばああ!」
ぼくの口から間抜けな悲鳴が漏れる。
月舞さんに「盛られた」睡眠薬のせいで、呂律がまわらないから、だ。
ぼくはすべてがわかってしまった。
真相を知ってしまった。
理性に基づく推理により、たった一つの真実を解き明かしてしまった。
レモンバームの香り。それは……ストーカーの髪の毛の香りだ。
ぼくは思い出す。昨晩ぼくの部屋に侵入したストーカーの変態的犯罪を。
ぼくがストーカーを捕まえそこねて部屋に戻ると、布団にはストーカー本人のものと思われる髪の毛がばらまかれていた。
その髪の毛からはほんのりとレモンバームの甘い香りが漂ってきていたのだ。
そんでこれは動かぬ証拠だが、目前の月舞さん、どうやら「ごく最近」髪の毛を切ったらしい。
そして月舞さん、偶然にもストーカーと同じレモンバームの匂いを発している。
偶然? いや違う。これは必然。
そう、ぼくは断言しよう。
ストーカーの正体は月舞さんだ!
そのぼくに向ける野獣の目からしても、この推理が正しいことは、明らかだ!
「あごう……あば!」
ぼくは歯を食いしばって、月舞さんをにらみつけようとする。
月舞さんはそれだけで、ぼくが「何を考えているか」すっかりわかってしまったらしい。
「ふふふ……毎晩疲れた? 疲れたよね?」
どの口が。疲れただって? お前のせいだろうに。ぼくを衰弱死に追い込もうとする変態的ストーカーめ。
「理由はどうあれ疲れたなら、ちゃんと癒されないとね。癒しを受けて体力を回復させないとね。うんうん。だからわたしが存分に癒してあげるからね。たっぷり楽しく気持ちよくここちよくさせてあげるからね。ね。ね」
ねねねじゃない。ねのおばけか。
ねが三つでねーさん(姉さん)ってか。アホか。
こんな恐ろしい人間に付き合っている義理はない。
たとえどんなに体調が悪くても、たとえどんなに眠気に襲われていても、目の前にクマやトラがいたらまず逃げることを考えなくちゃいけない。
だからぼくも、ひざまくらの呪縛から解き放たれて、逃げ出さなければならない、と考えた。
だがそんな考えは変態ストーカーにはお見通しだったし、そもそも肉体のほうがふらふらだから、抵抗のしようがない。
「逃げちゃダメ」
死力の限りを尽くしてぼくは、ずいと起き上がったわけだが、ダメ。
ストーカーの無慈悲な足払いによって、芝生に覆われた大地に突っ伏すこととなった。
「お察しの通り、わたしは変態なの」
自ら潔くそう名乗った変態ストーカーは、ぼくの肩を強くつかみ、ぼくの背中を木に強く押し付けて、狂ったようにまくしたてる。
「わたしはあなたみたいなまるで女の子みたいな容姿のかわいい男の子が大好きなの。恋人にしたいの。恋人にする前に、徹底的にわたしの手でもって弱らせて、その力を奪い、あらゆる意味でわたしだけのものにしたいの。支配したいの。その過程においてあなたが弱っていく姿を見るのが、とてつもなくわたしにとっては気持ちよく感じられるの。ねえどう? こういうわたしのことをどう思う? ねえ? どう? わたしあなたこと入学式で見かけたときからずっと好きだったの。瞳の中ハートだったの。ねえどう? どう? どう思う?」
怖い。怖い。怖い。殺される。やだ。殺される怖い。
ぼくは相手の剣幕に気圧されて、身体が震えだすのを止めることができない。
四肢が言うことを聞かない。あいかわらず全身が重い。
そんでも逃げろ。逃げろ。逃げろ。
「逃げないで。わたしの手で、わたしの身体で、癒されて。癒されなきゃだめ。癒されなさいよ。癒されなさい!」
まるで赤子の手をひねるように。ぼくは変態ストーカーに転がされて。上に、跨られて。
強引に唇に蓋をされた。その気持ちの悪い唇で。
最悪の感触。気持悪い。気持ち悪い感触。
いつまでそうしていただろうか。息が苦しくなって視界が白くなってきたところで、
パシャリ、と妙な音がした。
見ると、すっかり衰弱したぼくの姿を、変態ストーカーはスマホで撮影していたのだった。
「最高の写真っ」
あたかも古典画家のすばらしい作品名を読み上げるかのように、変態はそう唸った。
それから変態ストーカーは、動けないでいるぼくをずいずいと引きずって垣根の陰に突っ込もうとする。いったいなにをするつもりなのか?
「きょうはね、あなた、わたしの理想の弱り方をしているから」
それはぼくにとって、死刑宣告だった。
「これから毎日、わたしなしでは生きられなくなるくらい、「癒して」あげる」」
ぼくの首筋に舌をはわせる変態。死ぬほど不気味な感触に身もだえするぼく。
「通報とかしても意味ないからね。もしもそうした場合、カウンターで、わたしが「あなたに乱暴された」とデマを流布すれば……どうなるか、わかるよね」
「……」
変態ストーカーは満足そうに笑う。
ぼくの地獄は、こうしてはじまったのだった。
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