電波! 話がまるで通じない系少女 前編
――それは運命の出会いでした。
なあんて言うとあまりにも月並みな表現というか、ありきたりな言葉だけれども。わたしにとっては本当に、その出会いが人生を変えてくれたんです。
「彼」との出会いは天命です。運命です。
わたしの大好きな(言っちゃった)彼。神様。
神様です。人間より一段階も二段階も高い次元の生命です。
だから、
【わたしにとって絶対的普遍的真理天命運命の「彼」、その彼が他のメスと連れ立って休日遊び歩いている……デート、いわゆるデートをしている。
それを見つけた時、わたしは視界が真っ赤になって、眼球の奥が破裂しそうになるのを感じました。
そして身体が自然に動いていました。手提げから暴漢撃退用の催涙スプレーを取り出し……汚いあのメスの背後からゆっくり近づいて……】
*
「彼」との出会いのお話をします。
その日。
わたしはいつものように、叩かれていました。
パパはわたしのことをよく叩きます。なぜならパパは優しいからです。世の中ではこれを虐待というらしいですが、どうなんでしょう。わたしには虐待されているという認識がないし、パパは言うも愚か、でしょう。
パパ、というのはそう、わたしのパパです。
つまりはわたしのじつの父親です。わたしよりも25歳くらい年上の男性です。男性という生物は女の子であるわたしよりも、力が強くて声も太くて大きくて、かないません。ライオンとかトラとかゴリラとかそういうやつの仲間です。わたしは逃げることはできません。パパがわたしを叩きたくなったら、わたしは叩かれるんです。素直に。
パパはお金をたくさんもっているから仕事に行く必要がありません。パパはママと離婚してからたくさんお金をもっています。というのも、ママ、つまりわたしの実の母親は、ほかの男性とくっついていなくなった折、パパに莫大な慰謝料というのを支払いました。パパはそれで生活をしています。そしてありがたいことに、そのお金でわたしも生活をしています。パパはママに浮気をされて苦しみました。わたしはその苦しみでごはんを食べているのです。
パパはわたしのことを叩きます。パパはとてもやさしい男性です。パパが苦しみに耐えて、耐えて、そうしてわたしはごはんを食べることを許されています。
高校にすら行かせてもらっています。
パパはよくわたしのことをたたきながら、「叩かれれば叩かれるだけ、根性がついていい人間になれる」と言います。「教育」、ということなのだそうです。わたしはとても痛い。痛いけれども、いい人間になるために、痛みをたくさん我慢していました。我慢すると根性がつきます。根性、というのがなんなのかわたしにはよくわかりません。でも、いい人間になるためには必要な何か、みたい。パパがいうのだから間違いないんだと思います。パパが間違ったことを言ったことはありません。仮に、間違ったことがあったとしても、「パパ、間違ってるよ」なんて言った日には、わたしは、どうなるでしょう。たぶん、殺されるでしょうね。金属バットで頭を、2、3回。それで、終わり。だから、パパは間違ったこと言わない。優しいから教育してくれるんです。人間は教育を受けないとちゃんとした大人にはなれないんだって。
さて、 繰り返しになりますが、その日、わたしは叩かれていました。パパはアルコールで顔を真っ赤にして、激怒しながら笑う、という、とても変な表情をして、わたしをひたすら叩いていました。夕方のことでした。その日わたしは学校に行っていなかったんです。朝から叩かれていたから。食事もとらずに朝から昼、昼から夕方。学校は無断欠席というかたちです。そういうことがしばしば、過去にもありました。いまさら先生は不思議がったりしなかったでしょう。
先生は、でも、とてもよいことをしてくれました。先生はわたしの分の宿題のプリントを、「彼」にもたせてくれたんです。「彼」は放課後、プリントを、わたしの家に届ける役割を引き受けていました。先生のファインプレーです。
そして……忘れもしません。17時58分のことでした。わたしの視界に映り込んだ時計の、長剣と短剣は、17時58分を指し示していました。はっきり記憶しています。
まず、家のチャイムが鳴りました。
ピンポン、とバカみたいに明るい音が鳴りました。こちらはパパがわたしを叩く鋭い音、手の平とわたしの皮膚とがぶつかる空気の破裂した音が、ひっきりなしに鳴っているというのに、チャイムの音は明るかった。無邪気だった。パパはチャイムを無視しました。わたしがパパの真似をしたのは、言うまでもありません。パパがチャイムに反応しないなら、わたしだって、そうするしかないんです。
そうしたらチャイムがまた鳴りました。1回で諦めず2回チャイムを鳴らすお客さんといえばだいたいテレビの集金か新聞の勧誘か、そんなところと相場が決まっています。町内会のおじさんとか、保健師のおばさんとかは、部屋の中から聞こえる打撃音にびっくりしてすぐに帰ってしまいます。ですから2回鳴ったチャイムにはパパは無視を決め込みます。わたしも同じ。パパは苛立ってわたしの脛を蹴りました。叩くのは教育ですが蹴るのは愛情だそうです。これはパパの口癖です。パパは2回鳴ったチャイムに苛立ちながら、わたしに愛情表現をしているというわけです。わたしは平手打ちの痛みはわりかし我慢できます。でも蹴りはズンと響く痛みがして、やです。それが愛情表現だというのなら愛なんていらないかも、とちょっと思ってしまうかも。でもわたしはパパのおかげで、いいえ、パパの苦しみのおかげでごはんを食べて生活しているので、その愛を拒絶する権利なんてないのです。平手打ちでも、キックでも、なんでもかんでも、受け入れる義務があるんです。やだ、と思うのは失礼、失礼です。
3回目のピンポン。
……さすがにパパはぶちぎれました。
パパは玄関に突進してドアをキック(このキックに愛情は皆無)であけて、大声で罵詈雑言の限りを尽くし、チャイムを3回も押した来訪者を殺しかねない剣幕で応対しようとしました。しかしパパは、おそらく、人生ではじめて「間違い」ました。これまでひとつも間違いを犯したことのないパパですが、そう、それは「間違い」以外の何事でもありませんでした。
どういうことかというと。そのお客さんは、「彼」だったのです。
「彼」。「彼」だったのです。すなわち「神」だったのです。
神様に逆らう人間は、愚かです。愚かなことをするのは間違いです。
パパは間違いを犯しました。
パパは神様にたてつこうとしました。
「彼」は「神」です。
わたしにとって「彼」は神様なんです。
「彼」は酔っぱらった中年男性(パパ)と半裸で横たわる同級生女子(わたし)を見て、荒れ放題の部屋の様子を見て、すべてを察してくださったのだと思います。
「彼」はパパの懐に一瞬で飛び込みそのみぞおちに強烈な打撃を食らわせました。パパは泡を吹いて倒れました。
「彼」はためらいなく部屋に踏み込み、わたしを優しく抱き起しました。
ここから逃げよう。
やばすぎだろなんだよこの状況。
お前、家庭環境どうかしてる。
「彼」はそう言ってくれました。
吐息がかかるほど近い距離です。あまりに急なことでした。どきどきします。「彼」のその海のように深い目には慈愛の心が光っています。その温かくて太い腕には絶対的な安心感を与えてくれるような、優しい、勇ましい、正義の腕力が宿っているのがわかります。「彼」は先日はまで、わたしにとってただの同級生でした。でも今は違います。わたしにとってはわたしの生活の全てを支えてくれていたパパを、つまりわたしにとっては絶対的権力者であり独裁者であり皇帝であったパパを、一撃でのしてしまった。
「彼」は皇帝殺しの簒奪者であり、神の化身です。あるいは神様そのものです。
その後はとんとん拍子でものごとが進みました。パパは病院に運ばれそのまま入院です。暴れるので、閉鎖的な病棟にいきました。わたしはといえば、彼の助言もあって、部屋で暮らしながら学校に通うことにしました。彼は優しいので、何か困ったことがあったら何でも相談してと、そう、言ってくれています。
問題のある家庭専門の看護師さんが部屋の掃除とわたしの精神的ケアを受け持ってくれました。でもすぐに要らなくなりました。わたしが精神的にすごく安定しているから。ぜんぶ、神様のおかげです。
学校に登校するとみんなが野次馬の目でこちらを見てきます。でも神様が連中を睨みつけると、それで解決です。神様はわたしをずっと守ってくれている。とても心強くて、なにか、ぽかぽかするんです。
はい。正直に言います。
知ってるよ。これを恋って言うんだよね。
わたしは神様に恋をしました。
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