心にぽっかり穴があいた人向けのお話
寂しい憂鬱な日の過ごし方とふわふわトマトの煮込み(前編)
「あなたが そう言ったのは 本当だったのにぃ~」
珍しく、はやりの歌をリコッタは小さく歌う。
今日も、リゼリーに鱈を食べさせた日と同じように
空が泣いていた。
秋は涼しくなっていいのだが、雨の日も随分と増えていた。
とある国ではそれを秋の長雨とも呼び、季節柄仕方が無いという。
レインブーツも大活躍だなと思いつつ、リコッタは今日の派遣先に向かう。
築がかなりのものと推測されるような、古い家だった。まるで物語に出てくるような魔女の家。
しかしその家から、眠そうに目をこすりながらリコッタを迎えたのは、イルペッタという青年だった。
指先が、少し虹色に染まっている。それを見て、リコッタは彼がどのような人物なのかを把握した。
魔道具修理工(レインボーフィンガー)ね、と。
本当は修理工(リペア-)という役職名なのだが、修理の際、錬金術で作られた様々な薬品に触れるため、虹色の指を持ってしまうことから、リコッタのようにレインボーフィンガーと呼ぶモノもいる。
ただリコッタ的には、以前会ったことのある修理工より色の染まり方が浅いので、イルペッタはまだ見習いといったところなのだろうか。
「ふあああ、結構早くに来たね、おどろいたよ」
「そうですか? ムッシュ。むしろ遅刻してないかと不安になったわ」
「え、うーん……今日は寝てばっかしで……時間が」
「グリーンティーの葉をもってるから、お茶でも作ります? 目が覚めますよ」
「ボク、苦いの苦手なの……あ、姉さんが、桃のシロップ置いてってくれたから、それで飲み物つくれない?」
「わかったわ、紅茶でシロップを割りましょ。手軽だけどおいしいわ」
「ありがとう……ああ、ねむいなぁ……」
大あくびをしながら家に招き入れるイルペッタ。
リコッタが靴からスリッパに履き替えると、まず鼻についたのは薬品の香りだった。家は修理工と呼ばれるモノの中ではすっきりしているが、家中に匂いがしみついている。
「なんでしょ、家に染みついているのね……この香り」
イルペッタは大きく頷いた。
「ここ、祖父の家なんだけど。うちって父親以外だいたい、リペアーしてるんだ。昔はここが工房だったりして……匂いが染みついちゃってるんだよね」
「すごいわね、由緒正しいお家じゃない」
「由緒正しいのはじいさまの代までだよ、父親はこの仕事嫌がって家出てったし、俺はなんつーかやらされてるだけ」
若干なげやりに言葉を吐くと、イルペッタはソファにゆっくりと身を沈めた。
「うちって、リペアーの才覚があるかどうか、試験代わりに一定期間見習いしなきゃならないんだよ」
「それはまた……やりたいとかの抜きの話ねぇ」
「そうそう、休みもろくにないし……今日の休みだってもぎとったんだけどなぁ……」
声がどんどんと力を失っていく。
すこし寂しそうな感情が声から透けて見えた。
「ムッシュ イルペッタ……そんなにソファに沈み込んでいたら埋もれるわよ」
リコッタは桃のシロップの紅茶割りを差し出した。
清涼感につながるかと、ミントで飾り付けしている。
イルペッタは、紅茶割りを視界に入れるなり、がばりと起き上がる。
そしてぐいっと飲むと、目をキラキラさせた。
「うわぁ、なんか甘いけど……バランスがすごくいい……香りも華やかだぁ……」
ごきゅごきゅと飲むイルペッタにリコッタは少し安心したように微笑む。
それから居間代わりつかわれているであろう部屋をぐるりと見る。イルペッタの趣味なのだろうか、シンプルではあるが、木目もよく見えて、部屋全体に温かみがある。
ふと、目についたものがあった。チェストの上に写真立てが置かれている。
それはイルペッタが女性と一緒に楽しげに笑ってる写真だった。女性の耳は、とがっている。
人間ではない種族のようだ。もしかして……彼女なのだろうか。距離感の近さが、とても親族の近さのソレでは無かった。
リコッタの写真への視線に気づいたのだろうか。イルペッタがどうしたのと聞いてきた。
「ああ、いえ……綺麗な女性と思っちゃって」
イルペッタはその言葉に自分の口元を隠した。
「そうだよ、カワイイでしょ。マ モワティエ……ボクの半分だよ」
リコッタはイルペッタの瞳が急に澄んだものになったことに気づいたが、それには触れず、小さく言った。
「熱烈ね」
「……我ながら、そう思う」
話を切り替えるように、イルペッタは依頼について言ってきた。
「今日さ、改めて言うけど有給で休みを取っててさ……でも食欲ないし、元気もないし、寝っぱなしなわけ……それを元気にしてくれる料理が良いな。明日からまた修行だし」
「なるほどねぇ……そういえばさっき台所で、ビールを冷やしているの見たけど、好きなの?」
「……それが飲めないんだよねぇ。酒も甘いのしか受け付けないんだ」
「なるほどなるほど」
リコッタはメモをとる。ビールは飲めないと。じゃあなんでビールが冷やされているのかという疑問は蓋をして。
「結構むちゃというか、指定もなにもないから大変だと思うけど、よろしく頼むね」
リコッタは元気よく了承する。
「ええ、まかせて! ちょっと冷蔵庫を見直してくるわね、それから買い物行くわ!」
「うんうん~よろしくねー」
またイルペッタは、糸の切れた人形のように、ソファーへ倒れ込む。
それを尻目に、リコッタは冷蔵庫のビールを手に取る。
結構庶民が買うには躊躇する良いビールだ。香りよく、口当たりもいい。全体的に女性受けがいいだろう。
けれど飲んだ後、しっかりとあるアルコール感。酒好きも酒に不慣れでも好まれるものだ。
師匠グレゴッタはこのビールを造っている醸造所の、別のビールが好きだった。酒を飲むと声が大きくなるので、リコッタはその酒好きな面には辟易していたが。
「かわいそうにねぇ、しばらく飲まれないのかな」
リコッタが思わず呟くと、ふとこんな声がビールから聞こえた。
――――喜ばれると思ったのに……どうして……
ビールが放つ言葉はそれだけだった。
リコッタはその言葉を精査するように目を細めた。
ここには、どんな物語があったのかしら。
そんなことを考えていた。
イルペッタの家の側にあるスーパーで、リコッタは今日はどんなものを作ろうかと考えていた。
元気になるモノがほしいと言われたが、どのように元気にすればいいのか……それが悩みどころだった。
もっと詳しく聞いておけば良いと思う、安請け合いで頷いてしまう癖もいけないと思う。
単純に元気にするなら……香辛料たっぷりのお肉とかがいいのだろうかと思うし、胃腸が弱まっているとしたら……薬膳っぽいものがいいのだろうか……辛くない大根おろしとか胃腸にいいよね……そんな具合に思考がぐるぐると回っていく。調理時間も考えると買い物に手間取っているわけにいかないのだが……卵を手に取ったり戻したりしている時、すっと隣から卵をとっていく人がいた。
リコッタは自分が邪魔では無かっただろうかと気になって、ちらりと横目で見る。……声を出しそうになった。
イルペッタと一緒に映っている女性だった。近所に住んでいる女性なのかと思うと驚きのあまり、口がぱくぱくとしそうになる。
まるで地面にあげられた金魚のようだ。
いや、驚きすぎなくらい驚く理由はもう一つある。卵を手に取った彼女は、買い物カートを押す男性の元に行き、連れだって買い物をしているところだ。男性と連れ歩いているだけで、全てを判断してはいけないだろうが……哀しいくらいに二人の様子は夫婦のソレだった。五歩譲って、同棲カップルなのかもしれない。
色々と邪推できることはたくさんあった。
けれども……実際何が起きているのかは誰からも説明がなく、何一つ確証もないのだ。
私は雇い主の望む料理を作るだけだわ。
リコッタは心を入れ直す。その時だ、タイムセールの呼び声が聞こえてきた。
「ふわふわトマトのつかみ取りだよー! 今から10分限定!」
ハッとその声を聞くなり、思いついた料理があった。元気に出て、飲めずに困ったビールを楽しく使えるもの。
そうよ、こんな時こそ楽しまなくちゃ。
リコッタはそう呟く。
そして、けつまずきそうになりながらも、ふわふわトマトを掴むべく、走り出した。
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