くせっ毛天使と恥ずかしがりの鱈を揚げる

 秋の雨は、静かな庭に降る。

ローラン派遣組合の寮の前にある小さな庭

コスモスが雨音と雨を感じるように、しなだれていた。


自然にとっては恵みあるものかもしれないが、今リコッタの目の前でベッドに籠城しているリゼリーからすれば、唐突な雨ほど嫌なモノはないらしい。

リコッタは珈琲をすすりながら、呆れたように声を出した。


「リゼリー、そんなに布団を被っても時間は容赦なくやってくる、もう諦めたら?」


「いやよ! 雨は止むの、そしてカラッと良い天気になるの……そう、そうなのよ」


 ぶつぶつと祈るように呟くリゼリー、その勢いは高速で念仏をとなえているようだ。本日の晩の遅くは、リゼリーは意中の彼とデートらしいのだが、彼女の髪の毛は湿気で爆発していた。

彼女が言う表現を引用すればしっちゃかめっちゃかに。くせっ毛で普段だったら出来るだけ綺麗に整うようにするのだが、唐突な雨ではどうにも出来なかったらしい。


「私はカワイイと思うけどなぁ……小さな天使の髪の毛みたいじゃない、くるくるして」


「私が好きじゃないの! もうこんな姿を見られたら嫌われる……やだ、別れたくない……」


完全に発想がネガティブな方向に向かっている。

人間というのは向かいがちな思考がある。リゼリーの場合、髪に関わるととにかくネガティブになるようだ。まったくしょうがない……苦笑を漏らしつつ、リコッタはリゼリーが被っていた毛布をはぎとった。そこにはパジャマ姿の、天使がいた。くるくるな髪の毛が愛らしい天使のようなリゼリーだ。


「何するのよぉー毛布返しなさいよー」


「だめよ、だめだめ……このままだとダメダメなまま、時間が来るわ」


 それは確かにその通りと分かっているのだろう……リゼリーは口をへの字にした。

 

「はあ……一回生まれ直して、髪の毛のカスタマイズを変えればよかった」


「今から神様のチョイスに文句つけたってしょうがないでしょ。それなら珈琲をもっとおいしく入れられる方法を考えたら? そっちのほうが間違いない」


「ううーそうだけどぉ。その方が前向きだけどぉ」


 リゼリーはベッドの上で手足をばたつかせる。

 

「やる気が出ないのぉ」


「現実逃避って人を子供返りさせるのね」


 リコッタはぎゅっとリゼリーの手を握る。

びっくりという顔して体がかたまるリゼリーに、リコッタは笑いかけた。


「じゃあそんなお子様リゼリーに、おいしいものをつくってあげる」


「おいしいもの?」


声の調子が急に良くなる。

一本の筋が通るような、綺麗な声。

こみ上げる可笑しさを喉の辺りで抑えながら、リコッタは頷いた。


「ええ、そうよ……とってもおいしいんだから」


 リコッタは空中に魚の絵を描く。

 

「鱈を揚げて、甘酢漬けにするの……そこにタルタルソースをちらちらってね」


「鱈……」


 神妙な声を出すリゼリー


「甘さと酸味……そこにマヨネーズのクリーミーさ……後ピクルスのしゃりしゃりした感じ……」


 そこでリゼリーはリコッタの言葉を遮るように言った。

 

「分かった、分かったわ、すぐに作って頂戴。頭、綺麗にするから」


「ふふ、かしこまりました。リコッタにおまかせあれ」


 仰々しくお辞儀をし、リコッタはさっと長い髪の毛を一つにまとめた。

エプロンを着けると、早速部屋を出て厨房に向かう。


 その騒々しく階段を降りる様は、事務所で、派遣組合長のローランが聞いており

「またなのか」と頭を抱えた。

いよいよもって、この建物も古いのか。若い女の走るような足音で、こんなに地震のように揺れるのだから。


 その日の鱈の切り身は恥ずかしがりだった。

塩こしょうをかけていると、申し訳なさそうな声を上げる。


「どうしたの、そんな声をだされるとこっちは困るわよ」


ああ、ごめんなさい、塩分で身が引き締まるのが嬉しくて

しかもこの塩、なんだか良い匂いがします……

こんな良い物をかけられるなんて……ああ、はずかしい……はずかし……


身を縮こませる鱈にリコッタは声をあげないように笑う。

片栗粉をぱたぱたとかけていくなかで、リゼッタは鱈に話しかける。


「あれはハーブを少し織り交ぜた塩なの、普通のでもいいかなと思ったけど……さっすが師匠伝来の塩ね」


 リコッタの師匠グレゴッタは笑顔の似合う料理人だった。

エンジィという世界有数のメシマズ国出身のリコッタが、こうして人に振る舞える料理をつくれるのは、

この偉大な師匠のおかげなのである。


「さあさ、オイルのお風呂が待っている~、からりと揚げましょ、そうしましょ」


 リコッタは歌うように声を出し、そして鱈の端をつかむと、そっとオイルの入ったフライパンに落とすのだった。じゅっと鱈の身が焼け揚ってていく音に、リコッタはうっとりした感覚を覚えていた。

 

「どうしてオイルの……こういう音は……聞いてて、気持ちいいんでしょ」


 タマネギを刻みながら小首をかしげるリコッタなのであった。

 

 雨の日の自分は嫌いだ。

 そうリゼリーは断言できる。

 髪の毛がくるくるでイヤだし、それで外に行くやる気を失ってうだうだする自分も。

自分の髪の毛をなおすために作ったハーブオイルを振りかけ、よくなじませる。

あまりつけすぎないことがポイント、ハーブ独自の香りが少し鼻につく。

 自分の髪にもっともなじみ、自分の中ではなんとか一目につけられる髪になるのだが、いかんせんハーブ……いやもっと正確に言おう……ちょっと薬のようなのだ。これで人混みの中を歩く恐怖感といったら、すさまじいものがある。けれどひどいくせっ毛で行くよりはまだ幾分かまし……そう考えると、リゼリーはため息をついた。

 リコッタは身を整えるということにあまり興味が無いという感じだが、自分は違う。自分を着飾るのが好きなわけじゃないけど、こんな「私」を外に出せない。寝る時ですら好きな男性の前で化粧を外せないという女性もいるそうだが、少なくとも理由がみっともない自分を見せたくない……そんなものであるなら、リゼリーは手に取って、一緒に乾杯しようと言い出すだろう。

 それくらい自分にコンプレックスを抱えているのだ。

 

 今日、会う約束をしているキールはまだ知り合って間もない。それでも人となりは良さそうと思うから、自分も彼に気に入られるように振る舞いたい。普通の日であれば、それほど気張らないのだが、しかし雨……唐突な、雨……。ずーんと沈みこむリゼリーだった。

 

「うう、ドタキャンはイヤだけど……大丈夫かな、これで……」


 不安になって、占いで今日の運勢を見始めたところに、勢いよくリコッタが入ってきた。

 

「あ、髪の毛がさらさらになったのね! 私はさっきの髪でも良いと思うんだけどなぁ」


「別に良いでしょ、私の好きなとおりで……! って、ここに戻ってきたのは、もしかして」


「そうよ! 出来ました。さっそくテーブルについて、食べましょ。私、お腹ペコペコなのよ」


 リコッタはお腹をさする。

実は今日は朝食を食べて以降、リゼリーの部屋で何ともなしにすごしていて、食事のタイミングをすっかり見逃していたのだ。

 

「あ」


 リコッタの言葉にさすがのリゼリーも、自分も食事をしていなかったことに気がつく。

思い悩み始めるとうんうんと悩み続けてしまうんだよねと、リゼリーは頭の奥がじんと痛くなった。 


「揚げた鱈にタルタルソースだっけ?」


「そうそう、でも鱈を甘酢漬けにもしてるから、油をつかっても口当たりはすっきりよ」


「なるほどねぇ……それにしてもさくっと作ったよね。私の気分にぴったしな料理」


「あはは、それはリンゴが……」


「リンゴ??」


 いぶかしげな声を上げるリゼリー、リコッタは慌てて手を横に振った。

 

「いや、なんでもないの! そう、勘! 勘で分かったの!」


 まさか部屋に置いてあるリンゴが

 

今のご主人様の口には、好物しか受け付けない


 そう言っているのを聞いて、友人だからこそ知っていた、好みの魚を持ってきた……

 

リコッタが持つ能力は、食べ物・食べ物から生産者の祈りを聞くこと。

食事時の話にはあまりに荒唐無稽すぎて、話したくはない。

もっと別のことで話に花を咲かせたいものだ。

 リコッタは心の中でそう決めている。

 

「まあ、いいわ……でもありがと……おいしくて好きよこれ」


 丁寧にリゼリーは鱈を食べる、その姿を見ているとリコッタはリゼリーの育ちの良さを感じる。

食事の仕方は、人の育ちを感じさせずにはいられない。グレゴッタも食事のマナーには一家言あるひとだった。


「そうね、テンションが上がるよね、ほんと」


「あなたは人一倍だけどね、上がり方」


「そりゃー、神妙な顔で食べるご飯はおいしくないでしょー」


「はああ、私もリコッタくらいにテンション上げて生きたい……」


「じゃあ、まずは食べることねー、食べたら自然に笑顔になるわ!」


 リコッタは華やかな笑みを浮かべた。

それを見て、リゼリーは完敗したわと言わんばかりに、笑みを返した。


「正直私はリコッタみたいになれないけど……あなたの考えは好きよ」


「ふふ、ありがと」


 ふっと、リゼリーは窓の外を見る。するとさぁさぁと窓越しから音が聞こえるほどだった雨音が止まっていた。雲のスキマから星が瞬く姿が見えた。

 

「雨が……」


「ああ、うん」


 リコッタはテーブルの端にあるブローチを手に取った。

それはリゼリーがデートにつけていくつもりの、花のブローチだった。


「つけてあげる……天使を飾り付けられるなんて光栄だわ」


「私は天使じゃ無いわよ」


 リコッタは小さく頭を横に振る。そして耳元で囁いた。

 

「いいえ、天使よ。神様って、こんなかわいいオンナノコを作っちゃうんだから」


 耳の奥をくすぐるような笑い声。

リコッタからすれば、いつものこと。リップサービスにすぎないのだろう。

しかし、しかしだ……リゼリーからすれば……。


「あなた、料理作るよりナンパするほうが向いてるんじゃないっ」


 そんなことを言ってしまうほどに、顔が真っ赤になってしまった。

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