リコッタの料理帳 またはくせのあるお客達のオーダーの記録

雪月華月

はじまり

元気になりたい人向けのお話

おせっかい母さんとがうがう鳥の煮込み


 朝目覚めたら、まずやること三箇条。

 

 カーテンを開ける。

 

 猫のミーシャを撫でる。

 

 そして……師匠グレゴッタの写真に

 

「おはようございます! 師匠!」


 そう、挨拶することだ。

 

 リコッタは窓から差し込む光のまぶしさに目をパチパチとさせる。

朝の光は元気でしょうがない。その元気の良さに対抗するには、水で顔を洗ってこちらもはっきりと起きるしかない。春、組合アパートの周りはばっと緑の息吹が吹き出して、花は世界を謳歌するように咲き出す。

 窓を開けて朝の空気を吸っていると、階下から大きな声が聞こえた。

 

「こら、リコッタ。今日は朝当番だろ! 支度をおし」


組合長ローランの声だ。

やや間延びした声の女性、妙齢というには年を食っている感じはするが、料理人を派遣するサービス「ローラン派遣組合」の長だ。好きなモノは金。


「はいはい、ローラン、今日私、朝当番だっけ?」


「昨日リゼリーが風邪をひいて変わったんだよ!」


「あー、そういやそうだったなぁ」


 長い栗色の髪を一つにまとめ、リコッタはキッチンに向かう。

 朝当番といっても、料理人だらけの組合だから、自炊は誰もが出来る。

実際の所、自炊が唯一出来ないローランに朝ご飯をつくる係なのだ。


「今日はどんな気分? パンなの? ごはん? それとも野菜だけで決め込んじゃう?」


「そうだねぇ、昨日はカレーを食べ過ぎて胃が重いんだ、ごはんはだめだ、パンでも軽くしておくれ」


「はーい、じゃあバゲットにしようかな。薄く切って、材料をのせちゃいましょ」


 リコッタは台所で手を洗う。小さく鼻歌を歌う。するとそれに呼応するように、野菜たちが囁いた。


 トマトは声を上げる。


おい、リコッタ! 昨日の当番が俺を使うといいながらとりやめたのだよ!


ベーコンの相棒と言えば俺だろ、なあ!


 バナナはけらけら笑う。


ベーコンの相手をバジルにとられて悔しがってるの-


ベーコンのお相手はいろいろといるものだよ


それよりも私、良い感じに熟してきたのだ。生産のウオルのおかげだな


甘いソテーにしてくれないかい?


 トマトは憤慨する。

 

なんだと、リコッタを口説こうっていうのかい! キザなバナナは嫌だね、嫌みにも程がある。


 バナナは……言葉を出そうとして、さっとリコッタに皮を剥かれてしまった。

 

ひゃ、いきなりはセンシティブにひっかかりますよ!


「もう、ふたつとも、一緒に作ってあげるから、安心してよ」


「ほうれん草もゆがいてー半熟卵もあしらうのー」


 席について珈琲を口にしていたローランは呆れたように。

 

「あーお前の当番の日は、グレゴッタのことを思い出すよ。アイツも歌いながら料理を作るもんだから、うるさいったらありゃしない」


「料理は楽しく愉快でいかなくちゃ、師匠の言うことを守ってるだけよ」


「私は静かに珈琲が飲みたいよ、静かな朝のひとときはサービスにないのかい」


「ないですねぇ」


「その口に、ハシュクミントを放り込んで、封じてしまいたいね!」


「やだなぁ、こわいぃー! 口の中が寒いほど爽快になっちゃう」


「そうだろうね、あんたの口はきっといつも熱に浮かされてるんだ。だからそんな軽口になる……冷え冷えになっちまいな」


「いじわるローラン、趣味は金の声をきくこと~10セルはうめいて、100セルはからから笑い~」


「また変な歌を……ああ、グレゴッタ、なんという置き土産を置いてったの」


 ゆがいたほうれん草は水気を切ったら、ざくざく切る、半分はほうれん草のスープにしてリゼリーへ。

 やや半熟の卵も用意。ココナッツオイルでいためたバナナ。チーズと焼いたプチトマト、オリーブオイルも少々。扱いやすいものばかりだけど、黄金の組み合わせだ。

 

「で、結局今日の料理は何なの」


 リコッタはにんまり笑う。

 

「ブルスケッタ! 酒のつまみって感じだけど、材料次第で軽くなるから、疲れた胃にはどうでしょう」


 バケットの上に、材料をリコッタはどんどんのせていく。そしてたっぷりの紅茶をローランに差し出した。


「春告げ草の紅茶、ノンカフェインですよ」


「珈琲以外は飲まないよ」


「でも珈琲を飲むのもしんどいんでしょ」


 リコッタはコップを覗き込むと、なみなみと言わんばかりに黒い液体が揺れている。

 ローランは黙って唇を歪ませる。

リコッタは茶目っ気あふれる笑みを浮かべた。


「私、リゼリーにスープを出してくるから、後はご自由に。でも食べたらシンクに出しておいてね」


「お前は世界が自分の思うとおりに動いていると思ってないかい?」


 リコッタは愛想笑いを浮かべる。

 

「まさかー! でもそうだったら、ローランの皮肉が聞けなくなっちゃうから……でも、その方が良いのかなー」


「リコッタ!」


「ふふふ、じゃあとりあえず朝当番は終わったから、また仕事時に! チャオ ローラン」


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 ローランは、リコッタがバタバタと部屋から出て行った後……しばらく料理を眺めていた。

小憎たらしいことに、この料理、多少冷めても問題が無いものだ。思考タイムにはいることも加味していたのだろうか。うるさいながらも気遣いの天才、グレゴッタ……その師事をうけた弟子である。


 実は大の珈琲党だが甘党でもあるローランは、ココナッツオイルで炒めたというバナナのブルスケッタを口に入れる。バナナが甘いうえに、しかも炒めているから余計に柔らかい。半分ジャムのようだ。だがそれが軽く焼いたバケットによく合う。サクりととろり……この感覚に恋をしないものはいないだろう。

 

 珈琲でも存分に合う味だと分かっていた。だが昨日の料理で胃が疲れている身にはやはり珈琲は厳しい。

むぅと思いつつ、ローランは春告げ草の紅茶を手に取った。このお茶、春のはじまりの香りがするのだ。

それだけ野草に近いのだが……そのお茶としては、強く感じる味わいが、不思議とブルスケッタと合う。


 ローランは苦々しく笑う。

 

「あーイヤだイヤだイヤだ」


 けれど食卓の上のブルスケッタと紅茶は、すいすいと口に放り込まれていった。

 

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「ええと、この角を曲がった先の……アパルト三階……」


 夕方の五時過ぎ、リコッタは派遣先の家に向かっていた。

魔法とファンタジーあふれるこの世界の人々は働くことが大好きだ。

その分家事に手が回らないということも多い。

家事代行サービスが大流行なのだが、その中でも料理人を派遣することで、客のニーズを叶える

「ローラン派遣組合」は社名はダサいと言われるが、トップランカーの会社だ。


 ぎしぎしという音がする階段を上り、リコッタは東側に窓がある部屋にたどり着いた。

いつもは材料の買い出しも含めた派遣なのだが、今回は材料全部がお客さんの元にそろっているらしい。

土地の高い地域ではありがちな狭いアパルト。築歴も相当ありそうだ。

 そんな部屋のベルを鳴らす。

 少し待つと、はあーいと……ダルそうな声が聞こえた。扉もだるだるそうに開かれた。

 

「はいはーい、どなたって……あ、えーと……?」


 さすがのリコッタもこのときばかりは背筋を伸ばして自己紹介する。

 

「リコッタです……ローラン派遣組合から派遣されてきて、今日、料理を担当しに参りました」


 何故か黙り込む相手。段々思い出してきたのだろうか、あっという顔をした途端、室内から。

 

「がうがう!」という勢いある鳴き声が聞こえた。


「あーやっと来てくれたのね! もう今すぐ入って頂戴、今すぐ!」


「はい、ね、今後ろから聞こえたのってもしかして……」


「あー、わかる?」


 お客は顔だけ向ける。


「はい、がうがう鳥の鳴き声……すごく元気ね!」


 リコッタは嬉しそうにぱちりと手を合わせる。

それをお客、シャルロットはがっくりとした様子で。


「そうなのよぉ……元気良すぎて……うっさい……」


 疲れたような顔をしながら、シャルロットは少し頬を膨らました。


 シャルロットは近くの学校に通う学生だった。

数百キロ離れた土地から、一人で出てきたそうだ。

そんな彼女のキッチンは……


「わあ」


 思わず声が出てしまうほどに、食料が積もっていた。

野菜が特に多い、シャルロット自身でも努力しているのだろう、保存食にしたりなんだりで何とか消費しているようだ。実家が農家なのとため息交じりに教えてくれた。


「この量の食材を今の今までなんとかしてたとしたら、結構料理上手?」


「さあ、あんま考えたことない。腐らせちゃダメだからって本を読みながらなんとかしたから」


「なるほどねぇ……うわぁあ、このカボチャ、ああー……愛おしいくらいに身が詰まってるー」


 ぎゅっと抱き寄せて、リコッタはニコニコする。シャルロットは乾いた笑い声をあげる。

 

「あーうんうん、良い野菜でしょ……いいものなんだけど……こっちでも良い物は食べられるし、おせっかいなのよ、ウチの母さん」


「おせっかい」


「そう! いつも心配ばっかで、大丈夫だって言っても話を聞かないの……あげく元気になるからってあれよ!」


 びしっと指差す先は、冷蔵庫。そこから、はっきりと、がうがうという鳴き声が聞こえた。

 

「がうがう鳥よ! がうがう鳥!! そりゃ確かにおいしいけど、肉になってもあんな鳴き声をあげるのよ! 

調理しきれないわよ」


「まあ、切られても……嬉しそうに鳴くからねこの鳥」


「若干、それ聞いてキモいと思ってしまったわ、とにかくコイツを料理して火を通して黙らせて」


「はい! おまかせを!」


 シャルロットは軽やかにエプロンを身につける。まとめた髪に、さらに調理帽もつけ、準備万端だ。

まずはがうがう鳥の見分をしようと、冷蔵庫から取り出すと。

ねぇとシャルロットが声をかけた。


「あんた、目の色ちょっと変わってるよね、どこの生まれなの?」


「あ、気づいちゃいました? えへへ、どこでしょう」


「いきなりクイズを出されても……」


「チクタクチクタク、時間まであと三秒二秒一秒ー……デデン、お答えは」


「えー、わかんない……でもあんまり見ないと思う、その色の瞳」 


「でしょうねぇ、小さな島国特有の目です。まあ、あることでは有名なんですけどね……エンジィですよ、エンジィ」


「え……エンジィ」


 明らかにびっくりというか、動揺した目でシャルロットはリコッタを見る。

 

「あの、ごはんがおいしくないワーストとかの?」


「えへへ、大正解……でも私が料理をしだしたのは師匠が出来てからですよ。そこから各国を回って修行しました」


「はあ……そうなんだ……ほう」


「料理はもう、抜群においしいですから、任せて下さい」


「自分で抜群においしいって言っちゃうの?」


「ええ、もちろん」


 リコッタは頷いた。シャルロットははははと小さく笑う。

 

「すごい自信じゃん、うらやましいー」


「そうですか? ふふ、どうもどうもー」


 ……皮肉なんて通じないリコッタなのであった。

 

 ここにある野菜は強い味がする。

別に味わったわけではないが、そう思う。

匂いや質感がみずみずしく衰えを知らない。新鮮な食材なのだろう。

そしてそんな彼らが、リコッタに話しかけてくる言葉は、賑やかで騒々しく、ただ……一つの共通点を持っていた。


「がうがう、がうがう、鳴いてるがうがう、どこまでも~」


「あなたまで歌い出すの……」


「あら、ごめんね、がうがう鳥があんまりにも歌うからね、つい」


「あはは……そうなの。でもだいぶ大人しくなったわね」


「骨付き肉だったから、それを軽くばらして、鍋にぽいぽい入れちゃったからね」


 炒めたタマネギ、焼き目をつけたがうがう鳥、太めに切ったニンジンとキャベツ、味のキーポイントにハーブを少々。それら全てが今鍋の中で煮込まれている。

 

「ちょっと煮込むね、ソースもぱぱっと作っちゃいましょう」


「なんのソースが付け合わせなの?」


「ラグリソース! 、ラグリ島のワインをちょっと持ってきてね、コンソメはありますか?」


「うん、あそこの右棚に」


 シャルロットは指差す。

リコッタはコンソメの位置を確認すると。


「じゃあ、がうがう鳥の煮込みが完成する前に、ソースをつくって……それまではとりあえず待たなきゃねー」と持参した鞄の中を弄り始めた。


「え、待つの」


 台所に漂い始めた食欲をそそる香りに、お腹が疼くのを感じる。

シャルロットは少し焦った声で言った。

電気ケトルを拝借して、お湯を作り始めたリコッタは小さく微笑む。


「そうですよぉ、おいしい魔法になるまで、じっくりまたなきゃ」


「そ、そうなのね」


 声のトーンを落とし、すごすごと椅子に座る。


「そんなあなたに良い物をあげましょう」


「いいもの?」


「こっちは五分待てば準備できます」


 五分後、ケトルが鳴きだす。

小さなポットに、フレッシュなハシュクミントを二つ折りにして突っ込み、お砂糖もたっぷり入れる。

そしてお湯を勢いよく入れた。リコッタの一連の動作を、シャルロットは夢見心地で眺める。


「そのミント、やたら匂いが爽やかって言うか、爽快すぎない?」


「ハシュクミントですからね、爽快感に関しては、ぐんを抜いてる」


「罰ゲームでも使われるヤツじゃん、やばくない?」


「うふふー、今日も会社の上の人に、お前の口に放り込まれたいと言われるくらいでー」


「ええぇ……大丈夫なのそれ」


 リコッタは茶目っ気あふれる笑みを浮かべる。


「まあ、大丈夫かな? ただ今朝、その名前を聞いてしまったら、ミントティーが飲みたくなって」


 こぽぽぽぽとお湯が高い位置からカップに注がれる。

 カップからこぼれないのが不思議なくらいだ。

 

「こうしてお砂糖とミントを循環させるんです。ついでにカップも温めてー」


 カップに注がれたミントティーは再びポットにもどされ、再度注がれる。

 それをさりげない仕草でシャルロットへ差し出した。

 

「どうぞ、甘くて爽やかですよ……お腹もスッキリするから」


 カップはお茶が冷めないよう十分に温まりながらも、お茶自体はそれほど熱くなかった。

鼻を通る爽快感にいつも熱っぽい頭が落ち着いてくる。味も爽やかだが、お茶の温もりと砂糖の甘さで、強すぎると感じることは無かった。ハーブの独特さがかなりマイルドになっている。


「うわあ……」


 シャルロットは言葉をもらした。とてもおいしいのに、そのおいしさを言語化できない。むしろ妙に引くような声が出てしまった。我ながら嫌になる……。だから年頃の男の子に、可愛くないと言われるのだろうか。

 

「びっくりするほど、おいしかったんだ」


「え?」


 リコッタはニコニコと心を読んだみたいな言葉を吐いた。

ぎょっとしているシャルロットをリコッタは指差す。


「口元がほんのちょっぴり緩んでる」


 シャルロットは恥ずかしそうに頬を膨らました。

リコッタはくすくすと笑う。

不思議なモノだ、おいしい物は人と人との境を崩していく。

最初はリコッタに自分の困りごとをおしつけてきたシャルロットも、今はミントティーを一緒に飲み、時間を共に過ごしている。


「はああ、もういい加減、食料を送ってくるのやめてくれないかな。毎度毎度無くなったのを見計らったのってくらいなんだから」


 たわいない雑談をしていると、シャルロットは深いため息をついた。


「あのおせっかいなお母さんが送ってくる食料のこと?」


 リコッタが認識の確認のために聞くと、シャルロットは大きく頷いた。


「そうよ、そう! もうほっといてよって感じ、そんなに野菜処理したいのかなぁ……近所に配るにも飽き足らずって言うか」


 リコッタは持っていたカップをテーブルに置いた。

そして小首をかしげて、シャルロットを見た。


「シャルロット、ねぇ本当に、あなたはこれが、親が押しつけてきているものと感じているの?」


「え……」


「私には少なくともお母さんは、野菜処理なんて理由で寄越してると思えない」


「……あなたにうちの何が分かるのよ」


 ツンと明確に棘のある言葉。リコッタは穏やかに言った。

 

「昔の、こんな伝承を知ってるかな」


「で、伝承?」


「料理人は魔法使いや魔女でもあり、魔法で食べ物を変化させている」


「ああ……料理は食材の姿を大きく変えるから、魔を司るモノといわれたそれね」


 唐突な話に戸惑いながらもシャルロットは、話を飲み込もうとする。リコッタはエクセレントと呟き、またにっこりと笑った。


「私、魔女なんだよね……魔法一個しか使えないけど」


「は? 魔女????」


「そうだよぉ、魔女だよ。エンジィは魔女の里って言われるところなんだから、不思議じゃないでしょー」


「ちょっと待って、急展開すぎて……頭が……ってか、なんでそんなことを言い出したの?」


 リコッタはそれはと目を瞑り、そのまま語りかける。

 

「私の使える魔法が、食材の声、ひいては食材の生産者の声を聞ける……そういうものだからよ」


「食材と生産者の声が聞こえる……?」


「うん、料理人にぴったりな魔法でしょ」


 結構すごいことを言っているモノだと思いつつも、リコッタの迷いない口ぶりは圧倒的な説得力があった。

 気圧されるというか、それだけ彼女の言葉には重みがあった。

 リコッタは愛おしげにかぼちゃを撫でる。

 

「ここにある食材はみーんな、特別製よ。大事に大事に育てられたモノ……ああ、野菜に栄養がつくように、肥料の配分も工夫されてたみたい」


「……」


 シャルロットは黙り込む。リコッタはそんな彼女に構わず話し続ける。

 

「がうがう鳥、すごい元気でしょ。普通の流通はあそこまで元気じゃないのよ……でも元気であればあるほど栄養価も高い。よっぽどシャルロットに元気になって欲しいのね」


 リコッタはミントティーの最後の一口に口をつける。

 

「どの食材にも愛が詰まってる……素敵な愛がね」


 シャルロットは頬を膨らまして黙り込んだままだ。

リコッタが付け合わせのソース作りのために立ち上がっても、黙ってそっぽを向いていた。


 手間のかかる料理は最後の方に来ると集中力が欠けがちだ。

今回の料理は小休憩をはさめたからそこまでだが、根気がとにかくいるものだと、色々と投げ出したくなる。

師匠のグレゴッタは、気分を損ねたリコッタに、料理の極意をこう教えたモノだ。


 料理は楽しく愉快でいかなくちゃ。

 作った君も食べる君も双方、幸せでなくちゃいけないよ。

 

 料理を作っている最中に頭がぼぉとしかけたら、その言葉で心を引き締める。

 この愛の詰まった食材達をおいしくシャルロットに届けるのだ。

 

 甘めだが肉に良く合うラグリソースを添え、がうがう鳥と野菜の煮込みがお皿に鎮座する。

パンも添えて、簡単なスープも添えて、ほかほかの食事が完成した。


「いただきます」


 ぼそっと呟くようにシャルロットは言い、がうがう鳥の煮込みを口に入れた。

 フォークやナイフがスッとはいったところを見ると煮込みとしてはちゃんと完成しているようだった。

 

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 がうがう鳥の料理はシャルロットの母親の得意料理だった。

母親の料理はリコッタの料理に比べると、よく言えば豪快、悪く言えば粗野という感じで、がうがう鳥を煮たり焼いたりしていた。周囲も農家で、実家も農家、そのまま住めば田舎住まいではかなり幸せな暮らしが出来ただろう。

 だけどそんな安パイな幸せを享受することに納得も出来なかったのも事実だった。

 

 自分は田舎で終わる人間ではない。

 

 もっと頑張れる人間だと都会まで来た。

 だがそこで知ったのは、自分の凡庸さ。

 

 生まれを呪ってもしょうがないことだが、田舎育ちと都会育ちでは環境が違いすぎた。

 どこにでもいる誰でも代用できるほどの能力しか自分には無い。

 持っている知識も少ない。

 湯水のように金をつかって教育を受けた選ばれた人は、皆、人が良かった。

 その優しさが、格差を感じさせた。

 シャルロットはぐっと奥歯を噛みしめ、がうがう鳥をほおばる。

 

 がうがう鳥の味は優しくて、シャルロットは母親の顔を久しぶりに思い出した。

 

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 持ち込んだ調理器具を片付けているリコッタに、食事を終えたシャルロットが声をかけた。

 

「ありがと、すごいおいしかった、がうがう鳥ってあんな繊細な感じにもなるのね」


「ええ、じっくり煮込むとああなるんですよ」


「うちの母さんじゃ出せない味だわ、すごい……」


「あはは、シャルロットのお母さんもお上手だと思いますよ」


「あの人は、ちょっと雑だからなぁ」


「そうなの? まあおいしければいいのですよ、結局の所は」


「確かにそうかもね」


 二人はあははと笑い合う。やがて笑い声が終わると、シャルロットは少し恥ずかしそうに言った。

 

「私さ……学生って言ったけど、休学中なの。もう二ヶ月も休んでる……」


「シャルロット……?」


 シャルロットはリコッタに笑いかけた。けれど目の奥は震えていて、笑っていなかった。

 

「なんかさ、こっちにきたら色々自信なくなって……学校も通えなかったの……バカだよねー……あんな威勢良く田舎から出てきたってのに、こっちじゃ借りて来た猫状態」


 リコッタは静かにシャルロットの話を見守り続ける。

 

「家族もさすがに休学だって知ってるの……見舞いにも来ようとした、だけど今でも断ってる」


「そうなの……」


「その代わり食材をいっぱい押しつけてくるんだけどね! あのおせっかい母さんは」


 シャルロットの目の端に、じわりと涙がにじんだ。

けれどもすぐにそれを拭い去り、シャルロットは強がった。


「あーあ! 連絡しなきゃね、私の今の状況とかいろいろ……言わないとわかんないんだから!」


「そうね……その方が良いとおもう。きっとね」


 食材達が一斉に、大きな声を上げて喜んだ。

そのざわめきを耳にしながら、がんばってと小さくリコッタはシャルロットに声をかけた。

彼女は……確かに頷いた。

 

「また頼むわね、リコッタ。今度は二人分かもしれないけど」


「まかせて、おいしい料理を届けるから。今度もがうがう鳥?」


「うーん、今度は、もうちょっと大人しい肉が良いな」


 二人はまた笑い合う。まるで十年来のトモダチのように。

そうして、リコッタは今日の派遣を終えた。


 とことこと石畳の道を歩いていく。

 すっかり外は夜だ。帰る人、店に向かう人、さまざまな人の姿が見える。

そこで、リコッタは心の中で呟く。


「師匠、今日の私は何点だった?」


 師匠の声は聞こえなかったが、見上げた夜空に星が一つ瞬いた。

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