第4話

 昨日、速瀬伸を見舞った病室の窓の外に、気になる影を見つけたのだと、志門は言った。

「窓の外……別に、変わった物はない筈ですが……」

 病室でベットに腰かけた伸は、窓の方へと目を向けながら答えたが、少し挙動がおかしい。

 怪我無く眠らされていた医者と看護師たちは、その後診察を再開し、経過は良好とのことだったが、先程の騒動のショックで、落ち着けないのだろう。

「ええ、どこにでもいるような生き物です。ですが、このような所でのんびりと寛いでいるとは、思わなかったのです」

 それは、少し毛の長い、黒猫だった。

「え、それって、前からこの辺に出没してる、ポチですか?」

 健一の問いに、黙って聞いていた蓮が、つい返した。

「ポチ? お前、その猫に、名前を付けてたのか?」

「呼んだら近づいて甘えて来る、可愛い奴なんです」

 にこにこと答える弟子を凝視し、蓮は溜息を吐いた。

「……? 師匠?」

「その猫が気になって、昨日の今日で、お前は見舞いに来たって訳か」

「はい。昨日聞いた、警察が関連したお話が本当ならば、単に気まぐれで通っているだけなのもあり得ると思ったのですが、どうやら違うようです」

 真顔で会話する志門と蓮に、伸が戸惑った顔で言う。

「あの、すみません、その猫がどうかしたんですか? 入院していると暇で、ついついあの猫に、話しかけていたんですが……それこそ、よからぬモノが憑いている、とか?」

「おい、よせよ。野良っこみたいなのに。そんな怖い目に合ってるなんて聞いたら、オレ、探し出して家に入れちまう」

「それは、やめとけ」

 本気の、師匠の制止だ。

「何でですか? 別に、猫は嫌いじゃないんでしょ?」

「お前な、今の話で、少しは察しろ」

 怒る気にもなれない若者は、そう健一に嘆き節で言ってから、表情を改めた。

「しかし、あいつが、二万で殺しを受けているとはな」

「ナイフを持っていた方が、仲間なのでしょうか?」

「目的は一緒だろうが、利用した、と取る方がしっくりするな」

 廊下で暴れた男は、地元の警察に引き渡され、今頃取り調べられているはずだ。

 その経過を教えてもらうため、速瀬医師と河原刑事は病院を後にして、所轄の警察へと同行している。

「正気を疑われて、精神病院行きになりそうだな。そいつの事情は、大方の予想が出来るが」

 恐らくは、薬欲しさでの犯行だろう。

「通り魔の方もですか? 何か、あいつも、異常な興奮状態でしたよ」

「そいつの方は、会ってねえから分からねえな」

 蓮は、とある人物の依頼で、伸の護衛を頼まれた。

「いつですか? 一体誰に……」

「依頼人の名は出せねえな。だが、始めたのは……」

 そこで伸を見つめた若者は、静かに言った。

「お前さんが、歩道橋の階段から転げ落ちた後、だ」

「……」

 その前に、自動車に追突されているとは思っていなかったが、それ以降は自然に見える方法で、少年に襲い来る攻撃を人知れず消していた。

 健一が絡み始めてからは、更に気を張りながら仕事に臨んでいた。

「言ってくれれば、手伝うのに」

「お前は、本業を優先させろ。聞いたぞ、休み前のテストの成績、とうとう、オール赤点だったそうだな」

「うっ、いいじゃないですか、無事元気に育てばっ」

 確かにそうだが、本人が言う事ではない。

「それに、速瀬と仲良くなれば、勉強だって教えてもらえるかも、知れないじゃないですかっ」

 とってつけた言い訳に伸は目を剝いたが、蓮は天井を仰いで唸った。

「そう言う友人が出来るのは嬉しいが、どうなんだ、お前さんは?」

「……ちょっと、そう言う話は、苦手で……」

 真っすぐ問われ、しどろもどろの少年の先輩に当たる志門は、神妙に頷いた。

「分かります。友人と言うものには憧れますが、どう対応していいのか、私もよく分からないのです」

「そうなんです。気心知れた兄ならまだしも、全く見知らぬ同年代に、いきなり親しくなれと言われても……」

 志門が天井を仰ぎ、引っかかった言葉を反芻する。

「兄? お兄さんがいるのですか?」

「ええ。……河原家に、いるはずです」

 伸は頷いてから我に返り、勢いを殺して答えた。

 急に歯切れが悪くなった少年を、蓮が黙って見守る中、志門は慎重に問いかけた。

「もしや、そのお兄さんの話と、混同しているのでしょうか、補導のお話は?」

「補導?」

 健一が目を見開く中、伸は別な意味で目を見開いた。

「なぜその話を? もう誰も、知らないはずなんですけど……」

「お前、補導経験があるのかっ? すげえ」

「何が、すげえんだよ」

 呆れた蓮が窘めてから、小さく笑う。

「まあ、お前さんの場合は、本当にすげえ話だったがな」

「速瀬君本人の、お話なのですか、あの話は?」

「僕一人の話ではありません。兄と、協力して……ちょっとした金策を……」

 恐ろしく歯切れが悪い少年に代わって、若者がきっぱりと言った。

「実行したのは、こいつの方だ。兄貴の方は、人相を見てこいつはって奴を選んで、弟のこいつは、その獲物にわざとぶつかって、懐のもんを掏り取る」

 その上で、あらかじめ色々なラジオ番組やCDで拾った声を繋げて、脅迫電話の内容を作り、その人物を脅して金を奪う。

「結構、儲かってたんだってな?」

「……」

「しかも、補導されたって言っても、本当なら捕まらなかったはずだ。お前が、その一週間前に、自動車にはねられてさえいなけりゃ」

 しかも、今回の様に、腕だけで済んだ怪我ではなかった。

 まだ小さかった伸は補導される一週間前、気づかれた相手から逃げる途中で、車の前に飛び出してしまい、完全にはねられた。

 怪我の功名で、辺りが騒がしくなったため逃げきれたが、その後は更に危険な状態で、作業をしなければならなくなった。

「すげえな、お前」

 目を輝かせている、健一の視線に困った伸が、蓮に問いかける。

「どこから聞いた話ですか? その話を知る方は、限られている筈なんですが」

「それは言えねえな。だが、お前さんが、考えてる奴らが漏らしたわけじゃ、ねえのは確かだ」

 そして、それを話した者が、蓮の依頼主だった。

「こういう事は、引き受けてねえんだが、昔馴染みどもに切にと頼まれりゃあ、仕方ねえよな」

 それに、先程の男の登場で、一筋縄でいかないと、気を引き締める必要が出て来た。

「後ろに、厄介な奴がいないのなら、問題ねえが。志門にまで刃を向けると言う事は、それぐらいは了承されているか、後ろにいるのが……あいつではないか、だな」

「若は、今、この国にはいません」

 あいつと示された人物の名を察し、志門がきっぱりと答えた。

「急用で、ある国の、殲滅に行っておられます」

「……殲滅?」

 物騒な言葉に、眉を寄せる師匠に構わず、健一が問いかけた。

「あ、着いたんですか、その国に?」

「ええ、帰宅した時には、その連絡が入っておりました」

「……それは、静の件か?」

 二人の少年は、静かな問いに、ぎくりと体を強張らせた。

「珍しく一緒じゃねえから、おかしいとは思っていたが、そうか、あの国、結局なくなっちまうか。まあ、その場しのぎの約束じゃあ、この程度しか、効果はねえか」

 上面だけの約束と、高をくくっていた結果、折角取った国を追われ、下手すれば命が危うい事態になった、今の権力者の器のほどが知れる。

 そう鼻で笑った蓮は、後ろめたそうに自分を見る二人を見返した。

「心配するな。鏡は、自分が手を出すまでもねえと分かれば、その国に乗り込む方には動かねえ。これまで黙っていたのは、責められるだろうがな」

 その辺りは、取り繕っておくと請け負ってくれ、少年二人は胸をなでおろす。

「そっちは、解決が近い。問題は、こっちだな」

 最もな意見に、見舞客の二人は、口を噤んだまま何度も頷く。

「……お前ら、こいつを助けたいのか?」

「勿論ですっ」

 蓮の突然の質問に、健一は即答した。

 志門の方も、その質問の意図が分からず戸惑いつつも、頷いた。

「まだ、あまり知らない間柄ですが、知ったからには放っては置けません」

「そうか……」

 二人の返事に頷き、蓮は小さく笑った。

「これも、経験になると、割り切るしかねえか」

「……?」

 意味不明な呟きに、目を瞬く二人を見返し、蓮はきっぱりと言い切った。

「病院内では、大っぴらに狙う奴はいねえよ。だから、お前らは心配せずに、帰れ」

「……師匠、さっきのは、大っぴらとは、言わないんですかっ?」

「言わねえな。あれは、騒ぎに乗じて、どさくさ紛れに、拉致しようとしてただけだ」

 どこがだけ、なんだろうか、と頭を抱えそうな弟子を見ながら、蓮は少し口調を和らげた。

「警察が絡んで来たからには、人知れず事故に見せかけて狙うのは、もう無理だ。プロなら、暫く鳴りを潜め、警察の目が逸れた頃に狙う。さっきの男は、それをよく分かっている奴だから、あいつに狙われる心配は、まだしなくても大丈夫だ」

 問題は、金に目がくらんで焦る、中の下のプロたちだ。

「そう言う奴らは、こんな警備の固い場所に、短時間で入る技術はない。数で押しかけて来るなら話は別だが、あの報酬額で、それはねえだろう。分け前が少なすぎる」

 後払いの成功報酬を、先払い分以上に貰える保証が、薄い。

「誰が金を払ったのか、それが知れるのも時間の問題だ。そいつを特定し、依頼を受けた奴らを根こそぎ検挙できれば、こいつも安全になる。退院前に解決するかも知れねえ位余裕だ。お前らが出る幕じゃ、ねえよ」

「……」

「何だ、その目は?」

 健一が何故か、懐疑的な目を師匠に向けていた。

「師匠、オレをこいつから、遠ざけようとしてませんか?」

「悪いか? こいつといると危険だと、そう言う事だろうが。分からねえか?」

 すねた顔の少年を見て、蓮は思い当たって目を細める。

「おい、誰に言われたか知らねえが、そう言う神がかった話を、真に受けるなっ。オレだけじゃねえ、他の奴らも、失敗する気はねえが、万事に物事を解決できるわけじゃねえ。万が一にも、お前らまで危険にさらしたら、何人の奴らが泣くと思ってんだ?」

 少年たちの親兄弟だけの、話ではない。

 そう弟子に言い含める若者を、志門はしみじみと見ていた。

 それに気づき、蓮が珍しくたじろぐ。

「な、何だ?」

「いえ。それぞれ、違うのだなと」

「?」

 蓮は、言い方は乱暴だが、真っすぐ説得する人のようだ。

 鏡月は、全く別な用を押し付けて遠ざけ、セイは自由にさせて見守り、危ないと思う寸前で、助けてくれる。

「あの二人は、説得を面倒がってんだ。オレは、それをしねえと、逆に面倒な事になるから、初めからやるだけだ」

「なるほど」

 咳払いして言い訳する若者に、つい笑ってしまいながら、志門は健一に声をかけた。

「帰りましょう。親御さんたちに、何も言ってきていないのでしょう?」

「……叔父さんから、話は行くと思うけど……」

 不服そうな少年を促し、伸へと頭を下げる。

「また、顔を見に来ても、構いませんか?」

 俯いて会話を聞いていた少年が、志門を見返した。

 その戸惑った目を見返し、微笑んだ少年はゆっくりと言った。

「お大事に。また参ります」

 意外にも、大人しく一緒に廊下に出た健一は、無言で出口へと歩き出した。

 病院の外で、足早な後輩に追いついた志門は、ゆっくりと声をかけた。

「蓮殿は、背後の者の見当を、つけているようですね」

 立ち止まった少年は、先輩を振り返った。

「さっきの男が、糸を引いてるんじゃ、ないんですか?」

 だから危険だと、自分たちを遠ざけようとしていると、必死に納得しようとしていた健一に、志門は困ったように眉を寄せた。

「そうなのかも知れません。別な可能性を考えているように、私は思ってしまいました。そちらの心配で、私たちを遠ざけようと、していると」

「別な、可能性? 何ですか?」

「いえ。変な事を言いました。忘れて下さい」

 慌ててそう言ったが、疑い深くなっている後輩は、引かなかった。

「変な事でも、思いついたなら言ってくださいよ。オレ、頭が悪いから、師匠の考える事が、全く分からないんです」

「私だって、分かるわけではないんですよ。違う可能性もあるんですから、そんなに気にしなくとも……」

 落ち込んでいる後輩に困った志門は、暗くなった空を仰ぎ、溜息を吐いた。

 仕方なく、全く別な話を持ち出す。

「……望月先生が、速瀬君の過去を、知っていました」

「へ? 何で?」

 望月千里は、高校教師で中学生の伸とは、あまり面識がないはずだ。

「学園の意向で、調べていると言うこともあり得ますが、あの学園の懐具合から考えて、それはないのではと思うのです」

「噂が、耳に入る程有名だった、って事ですか?」

「いいえ。単純な理由なんですが……」

 望月先生が同居している、保健医ともう一人の女。

 志門は、その正体を知っていた。

 健一も知るその二人の女が、恐らくは情報源だ。

「あの二人が、オレ達みたいな子供に、興味を持ったんですか?」

 確か、女の一人が保健医として学園に入れたのも、子供に興味がないのが理由だと聞いている。

「速瀬君の事に限っては、子供であろうが大人であろうが、関係ないように思えます。妙な、体質があるようですね」

「?」

 つい含みを持たせてしまった志門が、完全に混乱している後輩に、取り繕うように切り出した。

「速瀬君と、仲良くなる手を、一つだけ思いついたんですが、やってみますか? 師匠に叱られる覚悟が、おありなら……」

 蓮に帰るように言われた健一は、志門の最後の言葉で一瞬迷った。

 が、直ぐに頷く。

「どういう方法ですか?」

 食いついた少年に、先輩は微笑んで言った。

「一石二鳥の方法になるはずの、狡い手です」


 見回りの看護師をやり過ごし、速瀬伸はそっと病室を出た。

 見舞客が帰った後、小柄な若者もすぐに姿を消したが、自分が気づかぬだけでどこかで見ているかもしれない。

 だが、ただ寝ていると言うのは、伸には拷問の様に辛く、昨夜からこっそりと屋上へと上っていた。

 ただ単に、外の空気が吸いたいだけなのだが、昼間はどうしても人の目が気になり、鍵がかかっている屋上の扉を開いての、無断の侵入だった。

 誰かが気づいて、自分を締め出して鍵を閉めても、朝には洗濯物を干すために開けて貰えるからと、気楽に考えて、この日も屋上へと上がった。

 昼間はまだ暑いが、夜はひんやりと心地よい涼しさが、肌を通り抜けてゆく。

 夜中に近い時刻の町は、街灯がちらほらと見えるだけだが、この辺りは星空が綺麗だ。

「……」

 金網が張られた柵に近づき、夜空と町を見つめる。

 あと何回、この景色を拝めるのだろう。

 警察が動いていると言う事は、もみ消された自分の過去も、洗い直されている可能性が高い。

 それを知った父親が、どんな反応をするのか、伸には想像もつかなかった。

 いや、一番恐れているのは、それではない。

「……無謀、だったか」

 状況の最悪さに、つい勢いで、父親について来た。

 だが今、父親の背負う物の重大さに、伸は気後れしていた。

 それでも、事実を口にしていないのは、未婚のまま自分たちを生み、体を壊しながらも育ててくれた母が、ようやく幸せに暮らしているのに、余計な話でぶち壊したくないからだ。

 だが、まだ未成年の自分では、己の身を守る術が、どこにもなかった。

 だから、誰に心配されようが、これをやめるわけには、いかなかった。

「これしか、方法が、ない。諦めろ」

 言い聞かせるように、伸は呟きながら金網を握りしめる事で、その感情を抑え込んだ。

 依頼主の正体が分かるのが先か、自分の命が尽きるのが先か。

 どちらが先になるか、自分の未熟な頭では想像できない。

 そのまま動かずに、感情をやり過ごしていた伸は、重い扉が開く音で振り返った。

 先程、しっかりと閉めていたはずの扉が静かに開かれ、見知った顔がきょろきょろと辺りを見回した。

 そして、伸が身構えて立っているのに気づき、破顔した。

「やっぱりここにいたのか。一人になるなら、ここに限るよな」

「金田、帰ったんじゃなかったのか?」

 つい脱力して、金網に背を預けた伸に近づき、健一は気楽に答えた。

「一度は帰ったんだけどさ、やっぱ、気になっちまって。師匠には内緒な」

「……内緒にするのはいいが、バレバレだろう」

「……多分」

 見た限り、隙のなさそうなあの若者を思い出し、つい言った伸に、同級生は首を竦めた。

「あの人、叱る時も乱暴なんだよな」

 だが、手を上げるのは、一発だけだ。

 その一発が張り手ながら強力で、恐ろしく効くのだが、棘と毒のある言葉が、その後説教と共についてくる。

「お前も、兄弟いたんだな」

「ああ。それが、どうかしたか?」

 町の方へ目を向けながら、伸が何でもないように返すと、健一は気楽に言った。

「オレにもいるんだ、年の離れた兄貴が。健康な癖に、弱っちい、直ぐ泣く兄貴だけどな」

「そうか」

 気のない返事の同級生に、少年は何気なく訊いた。

「お前の兄ちゃんは、何歳なんだ?」

「同い年だ」

「へ?」

 間抜けな声に、思わず笑いながら、伸は続けた。

「双子なんだ、一卵性の。どちらが先に出て来たのかは知らないが、弟に割り振られた」

「へえ。兄ちゃんは、お袋さんと暮らしてんだろ?」

「ああ。多分、な」

 曖昧な答えに首を傾げる健一に、伸は気のない言葉を続けた。

「オレが家を出る時は、街で見かけた綺麗な人について行ったっきり、行方が分からなくなってたからな。戻って来たのかどうか、分からない」

「……お前が、親父さんの所に来たのって、小学校を卒業する前だろ?」

「ああ」

 相変わらずの答えに、健一は眉を寄せた。

「お袋さんの選んだ旦那が、嫌いだったんじゃなかったのか?」

 伸がようやく、健一の方へと目を向けた。

「何で、そうなるんだ?」

「だってよう、速瀬先生は、後を継いでくれる子供が欲しいって、常々言ってたんだぞ。普通は順番から言って、上の子供を引き取ろうとするだろ? お前が進んで父親について来たってことは、家族と折り合いが悪かったからだと、そう思ってたんだけど、違うのか?」

 中々、鋭い事を問う少年に、伸は小さく唸ってから答えた。

「ああ、折り合いが悪かったんだ。だから、父親について来た」

「……」

 健一が、目を細めながら黙った。

「な、何だ?」

「いや、お前、補導云々の過去がある割に、嘘が下手くそだな」

「な……」

 まっすぐな指摘に、伸は詰まった。

「折り合いが悪かったんなら、心配して見舞いに来るはず、ないだろ」

 さっきの騒動の後も、実の父親の良を差し置いて、真っ先に駆け寄り、伸の無事を確かめ、その様子に少年が嬉しそうにしていたのを、健一はしっかりと見ていた。

「……仲が良かったはずなのに、何で引き取られることを、拒否しなかったんだ? 戸籍上は、親子になってたんだろ? 速瀬先生とは血縁上だけの、親子なんだろ?」

「……そんなこと知って、どうするんだ? そこまで親しくもないのに」

 思わず話してしまった自分に舌打ちしつつ、伸は顔をそむけた。

「お前は、同級生と言うだけで、面識はないはずだ」

「同級生と言うだけで、心配するのは、おかしいのか?」

「知らん」

 吐き捨てるように返す少年に、健一は呆れた声を上げた。

「知らないなら、おかしくないかも知れないじゃないか。分からないなら、文句言うなよ」

「心配されても、気が休まる訳じゃない。放って置いてくれ」

 頑なに言う伸に、少年は溜息を吐いた。

「分かったよ。でもさ、この件が片付いたら、友達の件、考えてみてくれよ。しつこいかもしれないけど、お前となら、気が合う気がするんだ」

「……気のせいだと思うが。分かった。この件が片付いても、お前が心変わりしないんなら、考える。だから、もう帰れ」

 一体、どうやって入り込んだんだと、伸が嘆くのに笑いかけ、少年は頷いた。

「お前も、気が休まったら、ちゃんと病室で休めよ。お休み」

 頷き返した伸は、扉に向かう少年が振り返り、笑いを強張らせるのを見た。

 健一が見ている先を振り返ったが、何もない。

 何もないが、何かが遠くで、僅かな光に反射して、光った。

 まさか、そんな方法で……信じられない思いが頭をよぎり、そのせいで、反応が遅れた。

 立ち尽くした少年に、健一が体当たりする。

 音もない攻撃で、それを庇った少年が、伸の上で倒れ込む。

「か、金田?」

 起き上がって健一の体をゆすると、少年は薄っすらと目を開いた。

「怪我は?」

「何、言ってるんだっ、お前が……」

「オレは、大丈夫だ。良かった。お前、撃たれても、直ぐに起き上がりそうだもんな。こんな事で死なれたら、死んでも死にきれない」

 それは、こっちの台詞だっ。

 伸は、射撃手がいるはずの方角を睨み、扉の方へと向かいかけるが、立ち上がろうとする少年の手を、意識が混雑した少年の手が攫んだ。

「心配、してくれるのか?」

「当たり前だろうっ、お前、今どう言う状態か、分かってるのかっ?」

 怒鳴りながら、伸は怪我の具合を心配する。

 その様子に嬉しそうに笑い、健一は目を閉じた。

「金田? 気をしっかり持てっ。今、人を呼ぶから……」

「なあ、約束してくれよ。この件が終わったら、絶対、友達になってくれよな」

「分かったから、喋るなっ。お前が、ちゃんと生きてるなら、友達でもなんでも、なってやるから、少し黙ってろっ」

 言い切った伸を見上げた少年が、不意に力強く笑った。

「本当だな? 約束だぞ?」

「……?」

 目を瞬いている少年の腕から起き上がり、健一は力強いガッツポーズをした。

「よっしゃ、一人ゲットっ」

「……は?」

 声が上手く出せない伸を立ち上がらせながら、健一は声を弾ませながら言った。

「ほれ、こんな所に座ってると、風邪ひくぞ。病室に戻ろうぜ」

「……待て、今のは、どういう事だ?」

「ん?」

 きょとんとして見る同級生に、伸は低い声で問う。

「怪我は、してなかったのか?」

「しないよ。言っただろ、蓮師匠は、凄腕なんだ。音を消したライフルの銃弾も、弾けるんだ」

 健一が指さす方を見ると、呆れ顔の若者が立っていた。

「何だ、今の猿芝居は?」

「その猿芝居に、まさかこうも簡単に引っかかるとは。案外、ちょろいな、速瀬」

 師弟の会話を最後まで聞く間もなく、伸はつい右手で、健一の胸倉を攫んでいた。

「っ、おい、そっちの手は……」

「黙れっ、この、大馬鹿野郎が。一発、殴らせろっ……」

 意外に、力が強い。

 内心舌を巻きながらも、同級生の左手の拳を、必死に両手で抑える。

「落ち着けっ。まだ、射撃手が、あそこにいるかもしれないだろっ」

「知るかっ」

 二人とも本気の取っ組み合いだが、蓮にはじゃれ合いにしか見えない。

 やれやれと首を振り、銃弾が飛んできた方を見た。

 二発目が来るか、その把握に神経をとがらせていたが、遠目でありながら何かを感じ、つい笑った。

「おい、健一。お前も志門も、ちゃんと親の許可を得て、来てるんだろうな?」

 顔はそちらを向いたまま問われ、弟子は伸の拳を抱え込んだまま答えた。

「はい。古谷さんにも、ちゃんと知らせてから来ました」

 ならいいと頷き、二人の少年を促して屋上を後にした。

 喧嘩でも何でもやれと、病室に二人を押し込め、一人外に出る。

 蓮の勘では、大っぴらな攻撃をする者は、もういない。

 恐らくは今、志門が捕まえようとしている奴が、一番それをやりそうな奴なのだ。

 だが、蓮がそこに向かうのは、志門を心配しての事ではない。

 恐らくそこに、先程逃げた男も、待ち受けている。

 そこにいる二人の狙撃者が、この件の解決の糸口だと、確信していた。

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