第3話

 警察は、近くの監視カメラの映像を解析し、分かった。

「……どうやら、何も映っていなかったようだ」

 この事を教えてくれたのは、志門の担任の古典の教師、望月先生だ。

 なぜ、そんな話に答えられるのかと言うと、通り魔の件では当事者の一人で、知る権利を行使したからだ、という。

「角度が悪かったのか、敢てその位置で取引したのか。もしそうなら、相当頭が回る者が係わっていると見える」

「……」

 考え込む志門に、望月は問いかけた。

「速瀬の様子は、どうだった?」

「動けなくて、難儀しているとのことでしたが、そこまでひどい状態でもない様です」

「そうか……」

 女教師は溜息を吐いた。

「まさか、腕を折った状態で登校しているとは。それに、通り魔の件も、あの生徒を狙っていたとは」

「あの、どうしてそれを、ご存じだったのですか?」

 昨日の今日で、既に学校の方へも知られた事だとは、思っていなかった。

 そう言った志門に、望月は簡単な謎解きをした。

「雅に、聞いた」

「……」

 口止めるのを、忘れた。

 同時に、もう一つの口止めも忘れたと、少年は青褪めた。

「ああ、初等部の岩切の件は、きちんと口止めされた。心配するな」

「ほ、本当ですか?」

 つい訊き返した生徒に、望月は頷いた。

「雅が速瀬の事を話してくれたのは、私が気にしていたのを知っているからだ。いつもは、口が軽い女ではない」

「?」

「まあ、私が気にしているのは、仕事の一環でだが。あの生徒はな、秀才ではあるが、昔いた地元では、相当の悪だったようなのだ」

 意外な話だった。

「悪、とは、不良のお友達がいたとか、そう言う事ですか?」

「いや……」

 母親が体を崩し、働けなくなった時、金策に走っていたのだと言う。

 志門は、首を傾げた。

「それは、良い子だったのでは?」

 有名な悪、という話は何処から来たのか。

 望月は天井を仰ぎ、それから声を潜めた。

「速瀬の母親の再婚相手は、刑事なのだが……その出会いがな、どうも子供の補導、だったらしいのだ」

 しかも、調べた限りでは、とんでもない補導のされ方だった。

「とんでもないとは、どういう類の、とんでもないなのですか?」

 つい身を乗り出す志門に、望月は更に声を潜めた。

「……刑事の懐から、間違って警察手帳を、掏り取ったらしい」

「……誰が、ですか?」

「だから、速瀬伸が、だ」

 しかも、本当は財布を掏ろうとして、間違えたらしい。

 金目的の犯行だが、財布の中身ではない。

 怪しい仕事をしている男の財布から、脅しに使えそうなものを物色するために、掏り取っていたのだと、伸は自供したと言う。

「そ、それは、いつの話なんですか?」

 速瀬伸は、今年中学に上がったばかりだ。

 昔と言う事は、十代ですらないかもしれない。

 そう思っての問いに、望月は重々しく答えた。

「小学校に上がる前、だ」

 珍しく、志門は口を開け放った。

「その手帳を掏り取られた刑事が、母親の結婚相手、なのだが。その刑事は、そんな危ない事をしていた子供を持つ女を、連れ合いにするために、随分手を尽くしたらしい。結局、実の父親に、子は取られてしまったが」

「その、母上のお相手の方には、懐いていたのでしょうか?」

「そこまでは分からない。だが、突如現れた父親に、ついて行くと決めたのは、速瀬本人だったようだな」

 速瀬良には妻子がいたと言う事は、不倫の末の子供のはずなのに、どうして引き取ることにしたのか?

 どこかにいるはずの妻子は、この事を知っているのだろうか?

 その疑問にも、望月は首を振った。

「どういう心算で、この事態になったのかは、分からない。だが、調べた限りで、生徒本人への恨みで狙われるとしたら、その掏りを働いていた時期の、掏られた連中絡みだろうな」

「あり得るでしょうか? 当時と比べて、速瀬君もかなり成長しているはずです。顔つきも苗字も変わっているのなら、顔を知られていたにせよ、相手には分からないのでは?」

「だが、可能性があるのなら、調べるべき話だろう? 母親の方にも、今回の事は伝わっているはずだから、そのお相手もその可能性に思い当たって、調べ始めている頃だ」

 それが、解決のカギになるかは、また別問題だがなと、望月は苦笑した。

 そんな話をしたのは、昼休みの昼食の後だ。

 昼からの授業を終え下校しながら、志門は考えていた。

 昨日、病室に入った時、気になった事があった。

 見間違いかもしれないと、何度も思いつつももしや、と言う思いが消えてくれない、そんな事案だ。

 だから、今日は、一人で見舞いに行ってみよう。

 少年は、そう思い立ったのだった。

 

 これが修羅場、という奴か。

 本日も、面会時間ギリギリで見舞いに来た健一は、内心わくわくしながらそのやり取りを見つめていた。

 個室をあてがわれている伸の元に二人、父を名乗る男が来ている。

 診察中で子供がいないのをいいことに、二人はよそ行きの表情をかなぐり捨てていた。

「まさか、仕事を言い訳に会いに来るとはな。二度と会わないと、約束したはずだな?」

「ふざけるな、誰がそんな約束を了承した? 大体あんた、引き取った子供が狙われるような恨み、買ってやがるのか? 子を育てる気なのなら、先に身の回りの片づけをしてからと、相場は決まってんだろうが」

「どこに、そんな相場がある? 父親としては、引き取る権利を主張するのが、当然だろうが」

 乱暴な口調の男と、冷静に返す男の言い合いは、平行線をたどっている。

 殴り合いにまで発展するか? と期待している健一の前で、もう一人の成人男性が溜息を吐く。

「そう言う内輪の喧嘩は、後でお願いいたします。そのお子様と同年のお子さんが、ここにいる事をお忘れなく」

 二人より年若い、見目のいい男だ。

 銀縁の眼鏡を定位置に押し上げ、少年を見ながら言ったが、その目は笑っている。

 ワクワクする気持ちを察しているその顔に、少年は照れた笑顔を返す。

「それよりも、何か新しい事は、分かったのですか?」

「分かったと言えば、分かった」

 健一も顔見知りの若い男、塚本つかもと伊織いおりの問いに、乱暴な口調の男が苦い顔で答えた。

 この男も、顔見知りだ。

 河原巧と言う刑事で、昔からよく叔父を訪ねて来ていた人だ。

 まさか、玲司が言っていた同年の子供と言うのが、伸の事だったとは。

 世の中、広いようで狭い。

「ネットで人を募り、金を渡していた奴が、待ち合わせ場所周辺の、監視カメラのどこにも、入り込んでないって事がな」

 金を貰った例の通り魔も、ベンチの背中越しだったため、顔を見ていないと言う。

「それだけか。そんな報告しかできない癖に、よく会いに来れたもんだな」

「……確認したいことも、あったんだよ。まさか、今になって、そんなはずはないとは思うが」

 含みのある言葉に、伸の実の父親の良は眉を寄せただけだったが、伊織は首を傾げた。

「その件は、完全にもみ消せたのでは、なかったんですか?」

「ああ。お前にも手伝ってもらったんだから、確実だとは思う。だが、万が一と言う事もある。あいつ、あの時も……」

「ああ、そうでしたね」

 新米ながら、確実に力をつけてきている検察官の男は、僅かに目を伏せた。

「今回は、腕だけで済んでよかった」

「……どういう意味だ?」

 患者に見せる表情とは違い、厳しい顔つきの良に、伊織は凄みのある笑顔を向けた。

「深い意味は、ありません」

「お前……」

「それよりもまず、あなたに思い出していただきましょうか。あなたがやらかしたはずの、悪行の数々を」

 言いながら、巧と目を交わした男は、病室の扉の前に立つ。

「素直に吐いてもらわなくても、構わないぞ。うちの親父に便宜を図ってもらったお蔭で、いい自白剤が手に入ったんだよ」

 何やら雲行きが、合法ではないように思えるのは、気のせいだろうか。

 そう思いながらも、健一はそのまま見物していたのだが、思い出したように伊織が言い出した。

「健一君、伸君と、売店にでも行ってきなさい」

「ええっ。見てちゃだめですか?」

「気分のいいものじゃないぞ。何を口走るか、こいつに限っては、分からないからな」

 巧の言いようも、刑事と言うより、後ろ黒い会社の人だ。

 それが面白いのに、と不服そうな少年は、伊織に上手に宥められて、病室から廊下へと送り出された。

 閉められた病室の扉を見返し、仕方ないかと廊下を歩きだした健一は、診察室へと足を向けた。

 健康になってからも、再発の恐れを危惧した親と担当医の意向で、この病院を行き来していたので、どこに何があるのかはよく知っている。

 常連の上に、経営者の血縁者の少年は、看護師たちにも顔を知られている。

 気楽に挨拶を交わしながら診察室に向かったのだが、そこでもひと騒動起きていた。

 男の奇声じみた声が響き、女数人の悲鳴が続く。

 男の声は、何かを喚いているが、何を言っているのかは分からない。

 まさかこんな所で……健一は、足早にその診察室へと向かう。

 扉が半分開いた診察室の中で、喚く若い男が見えて、少年は躊躇いなく扉を開けた。

 診察室内の医者と、看護師が振り返った。

「健一君」

 知った顔の女の看護師から若い男に目を向けると、血走った目の若い男が、刃物を片手に、右手を肩から吊った少年の前に立っていた。

「折角近づけたのに、何ですぐに見つかんだよっ」

 喚く言葉は意味不明だが、それを聞いた伸が溜息を吐いた。

「何だ、お前、馬鹿にしてんのかよっ。ふざけんなっ」

 すぐに激高した男は、伸に飛び掛かった。

 危ない、と思った時には、健一の体は動いていた。

 男の体に飛びついて羽交い絞めし、まずは同級生から引き離すべく、診察室から廊下へと放り投げた。

 廊下で、悲鳴が上がる。

 診察中だったのか、丸椅子に座ったまま健一を見上げる伸の無事を一瞥で確かめ、少年は放り投げた若い男を追って、廊下へ出た。

 遠巻きに見る患者や、何とか宥めようと声をかける病院スタッフに向けて、ナイフを振り回しながらも、男は廊下を走って逃げ始めている。

 向こうは待合室だ。

 通院患者がいるような時間ではないが、万が一と言う事もある。

 そうでなくても、客商売の一つの病院で、この騒ぎは痛手だった。

「……」

 叔父が院長になる前に、そんな痛手は負わせたくない。

 健一は拳を固めて、男を追い始めた。

 幸い半狂乱の男は、喚きながらナイフを振り回している為、足は遅い。

 怪我の責を負うのも癪だから、一撃で沈める。

 そんな覚悟を秘めて追っていた少年は、目当ての男の前を歩いてくる二人を見つけて、つい叫んだ。

「危ないっ」

 長閑に談笑しながら歩いていた二人は、健一の声に顔を前に向けた。

 声の主を見止めるより先に、その前を走って来る男に気付く。

「どけえっっ」

 血走った目でナイフを振りかぶる男の前で、玲司は目を見張って立ち止まり、志門は首を傾げた。


 古谷志門は、中学一年の年に、セイと初めて会った。

 その時は堤姓だったが、その姓を名乗った事はおろか、名すらも名乗った事はなかった。

 名乗る機会がなかったのではなく、明確な名で呼ばれたことが、その年まで一度もなかったのだ。

 仕事で失敗し、姉の手配で北九州のある人を訪ねて、一人列車に乗ったのは年末に近い冬だった。

 普通座席に乗るのも初めてだった志門は、落ち着かないまま列車に乗り、無事目的の地に降りたのだが、そこで文字通り奇襲に遭った。

 その駅が終点だった列車の、次に来た列車に慌てて乗り込んでしまい、その奇襲を振り切って下りた所は、九州の中でも南の駅だった。

 振り切れたことにはほっとしたのだが、そこが何処なのか、分からなかった。

 頼れと言われた人に会えず、人知れず回避した奇襲の多さに、ここまで不要とされてしまったのかという絶望が、志門を強く襲った。

 見知らぬ地の駅のホームで、ぼんやりと立ち尽くしていた志門が、アナウンスを聞き流しながら、足を踏み出した時、不意にその肩に手が置かれた。

 我に返って立ち止まったその目の前に、列車が滑り込む。

「飛び込みたい事情が、あるんだろうけど、この列車は、やめてくれるか?」

 無感情な、若い声が頭上から聞こえ顔を上げると、そこには声と同じような、無感情な顔が見下ろしていた。

「この地は、列車の本数が少ないんだ。これを逃したら、一時間近く待たないといけない。事故処理なんかしてたらもっと、時間を取られる。予定が詰まってるのに、それは勘弁してくれ」

 それが、セイだった。

 無意識に無銭乗車してしまっていた志門を矢面に立たせず、駅員に便宜を通してくれたのは、その時一緒にいた古谷氏だ。

 志門が知る誰よりも綺麗な、しかしあまり愛想が良くない若者は、その後古谷の養子となった少年が生活に溶け込み、かつ己の身を守る力をつける、手助けをしてくれた。

 結果、学校に通えるほどになり現在に至る志門は、周りが認めてしまう程、弟子らしい一面があった。

「……事情が、半分も分からないのですが、何事ですか?」

 やんわりと志門は言いながら、初対面の男の顔を見上げた。

 流石に驚いた玲司の前に進み出て、ナイフを学生鞄で受けながらの、問いかけだ。

「オレも、よく分からないんで、その辺は後で。先輩、ナイスです」

「護身術が、役に立つ日が来るとは、思いませんでした。やっておくものですね」

「正当防衛と言い張れば、お前さんたちは言い逃れできる。幸い病院だから、怪我の治療はできるから、健一も遠慮はするな」

 立ち直った叔父の申し出に、甥っ子はつい歓声を上げてしまった。

「やった、流石は叔父貴、話が分かる」

 素直に喜ぶ少年の方へ、男を押しやりながら、志門は言った。

「では、お願いいたします。私は、速瀬君の病室に、用があるのです」

「? 速瀬なら、まだそこの診察室ですよ」

 何でも、二人の父親の見舞いが長引き、診察時間を過ぎてしまったらしい。

「……リヨウさんには、規約は守るように、言い含めていたはずだが」

 特権をフルに使っている自分が言える事ではないがと、付け加えつつ呟く叔父に、健一は報告した。

「しかもまだ、いるんだ。喧嘩の真っ最中じゃないかな」

 玲司が、溜息を吐く。

 その傍で、志門は健一を振り返ったまま、立ち尽くしていた。

「……? 先輩?」

「健一さん、もしかしてこの人、その診察室から出て来た、のですか?」

「そうなんですよ。速瀬をナイフで……」

 後輩の言葉を最後まで聞くことなく、志門は走り出した。

 珍しいものを見た健一が、声をかけながら近づく警備の人たちの足音で我に返り、男を引き渡して後を追う。

 診察室に戻り、中に入ったすぐのところで、志門の背にぶつかった。

 何事かと前を仰ぎ見ると、そこにも男がいた。

 先程の男と同じく、見覚えのない男だ。

 だが、二人の少年を見返す目は、しっかりとした意思を持ち、笑った。

「何だ、寄り道と言う奴を覚えてしまったのか、志門?」

 全身黒づくめの男は、緑色の瞳を志門に向けて笑いかけた。

「お前と昨日、目が合ったから、早急に実行しようと思ったんだが、お前が家に戻らず、そのまま来る子になったとは」

 知り合いかと、先輩を見ようと目を動かした健一は、足元に倒れている者たちに気付いた。

 診察室で伸を診察していた医者と、看護師たちが床に倒れ込んでいる。

 一瞬身を竦め、伸が座っていたはずの丸椅子へと目を向けると、少年は変わらず座っていた。

 が、当然ながら事態に思考が追いつかず、目を剝いて固まっている。

「さっきの男はくれてやるから、代わりにこのガキは、貰って行くぞ。ちと、話があるんだ」

「どういうことなのですか、どうしてあなたが……」

 呆然としたまま問いかける少年に、男は天井を仰いでから答えた。

「どうしてと言われてもな、答えようがない。元々オレは、性別年齢関係なく、命は平等だと思っている口だ。金を貰って、片付ける様言われた相手が、偶々このガキだった、そういう事だ」

 何でもないように言う男は、取り乱す様子はないが、それが逆に恐ろしい。

 動けない志門から、丸椅子に座る少年へと目を向けた男は、静かに言った。

「怪しまれない方法で、お前さんをこの世から消し去る、そんな依頼だったんだが、警察沙汰になっては、それも難しい。そこで考えたんだが、行方知れずになって、生死が分からんようになる、というのはどうだろうな?」

「……本人に、訊くんじゃねえっ」

 言いようのない何かを振り払い、健一が怒鳴りながら、男に飛び掛かった。

 殴りかかった拳を流し、面倒くさそうに少年の体に拳を叩きこむ。

 軽く吹っ飛んで、床に転がる後輩に駆け寄ろうとする志門の前に、いつの間にか近づいた男が言う。

「お前を相手にすると、後が厄介だから避けたかったんだが……今、いないんだろ?」

 含む言葉は、少年の体を固まらせるのに、十分な凄味があった。

「あいつが戻るまでには、治る怪我なら、問題なさそうだ」

 首筋に、ひやりと、冷たい物が当てられた。

「だが、そこまですることは、なさそうだ。な? 速瀬伸?」

 志門に、今では時代劇でしか見られないような、長い刃物を突き付ける男を見つめ、伸は顔を伏せた。

「ふざけるなっ」

 起き上がった健一が再び叫び、飛び掛かる。

「健一さんっ」

 珍しく声を張り上げ、制止する少年から剣を引き、男は無言でその剣を振った。

 勢いよく転がり、そのまま動かなくなった健一に、志門が今度こそ駆け寄る。

 今度はそれを見守って立ち尽くした男は、うっすらと笑った。

「……やはりいたか。気配を断てる奴を相手にすると、どこにいるのか把握するのに難儀する」

「そりゃあお互い様だ。あんたが相手とはな。考えもしなかったわけでもねえが、このガキを葬る仕事を受けてるとは、思わなかったぜ」

 不敵な笑いを浮かべているその声に、健一が勢いよく起き上がった。

 血が流れていない後輩に、ほっとしつつも驚いていた志門も、その声に振り返り納得する。

 男の刃から健一を救ったのは、どこかで子供絡みの仕事を受け、鬱憤をためているはずの、若者だった。

「し、師匠っっ」

 ついつい感激して叫ぶ弟子に、蓮は溜息をつきながら嘆く。

「はあ、何で、こんなに早く見つかっちまうかね。人知れず守りながら、黒幕を探そうと思ってたってのに。つうか、あんた、わざとだろう?」

「ああ、わざとだ」

 睨まれた男は、悪びれなく答え、続けた。

「これまで、これと言った人材が、この件には係わっていなくてな、いずれお前でなくても、誰かが巻き込まれると踏んでいたんだが……随分、長かった」

「うちの弟子に斬りかかって置きながら、訳分からねえこと、ほざいてんじゃねえぞ」

「助かったと言っているんだ。ようやく、ここから、事が動く」

 何を言っている?

 そんな顔の蓮に笑いかけ、男は伸の方へと目を向けた。

 つられて怪我人の少年を見た志門は、その目が恐怖や混乱の色をしていないのに気づく。

「?」

「また日を改めて来る。その時には、いい加減、事を治められるはずだ」

 慎重に言い、男は踵を返した。

「おいっ」

 窓を開き外に躍り出る男を追い、蓮も窓に近づくが飛び降りる前に、健一が飛びついた。

「師匠っ、ここ、三階ですっっ。まだ日も高いです、流石に目立ちますっっ」

「っ、お前は、一々、うるせえっ」

 喚く弟子を一喝しつつ振り払って窓に飛びつくが、すでに男の姿は何処にもなかった。

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