夜半
夜更かしして小説を書いていると、静まり返った夜半の中で、自分一人だけが取り残されたかのような、そんな心持ちになってくる。経験的に夜中は特に集中できてしまい、大抵午前三時くらいまでが集中のピークで、そこからだんだんと疲労と睡魔が増してきて、やがて窓の外が明るくなってくると、後悔と疲労と夜を徹したことによるそこはかとないいらだちに苛まれることになる。――要は日中しんどくなる。
そんなことはわかっているのだが、静寂と、その静寂がなぜだか異様に集中できる夜に小説を書く心地良さにどうしても抗えず、ここのところしばしば夜更かししてしまうようになってしまった。
*
集中の淵は、深い海に、息継ぎなしで素潜りするような感覚に似ている。
ディスプレイの前に座って、キーボードに指を置くと、調子のよいときは、我知らずいつからか暗い夜の海の底に沈みこんでいるのだった(調子の悪いときはこうはいかない)。それから、ずっと息を潜めながら、言葉と、続く言葉と、その次に続く言葉とを手探りで探り当てていく。たまに消したり戻ったり付け加えたりして、順当にそれを繰り返していき続ける。文脈と、文章のリズムとを感じながら、そうして闇の中を這うようにずっと進み続けて行くと、次に我に返った時には、大抵覚えがないほどの時間が過ぎていることがよくあって、しかしその割に文章自体はそれほど進んでいなかったりもする……。
今日もそんな風にして我に返ると、キーボードの横に置いたコーヒーはすでに冷め切っていた。
ディスプレイから視線を外し、時計を見ると、今は午前三時を回ったところだった。窓の外はまだ暗くて、少し安心してしまう。薄暗い室内。間接照明の橙の光が柔らかく壁と、ベッドと、本棚とを照らしている。
*
何となく息苦しく感じ、大きく息を吸い、吐いた。
とたん、口元から大きく泡が立った。驚いて仰け反ると、跳ね上がった視線の先に、ゆらゆらと銀色に揺らめく大きな月があった。
いつしか冷め切ったコーヒーが中空に溶けだし、暗い室内に、更に暗い褐色の染みを作り出している。ディスプレイもキーボードもフワフワと浮き上がりだし、しまいに自分の体が持ち上がり始める。
ぐっと上体を前に屈めてみる。地面を蹴る。浮遊感があって、体が宙に向かって滑るように前進する。
水面に向かって上昇する。室内はもはや浮かび上がる調度品と本たちとに埋め尽くされ、銀色の月光に照らされるそれらがまるで魚群のように見え始めると、地面はもうはるか下方にほとんど見えなくなってしまった。
後はただ、夜の底から浮上し続けるのみ。
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