第8話

 城でその交代劇を聞いた男は、呆れてしまった。

「儂と同じく剣術馬鹿のお前が、武家を貶める画策を考えるだと? できるはずがなかろう、蓮はあれでも頭が切れる故に、儂も信頼しておるのだぞ」

「ほう、聞き捨てならんな。オレが、頭をろくに使わん剣術馬鹿だと、思っているようだな」

「その通りであろうが。お前、儂と出会った時の事、忘れた訳ではあるまい?」

 遠慮のない鏡月に、浪人姿を解いた男は気楽に問いかけた。

 出会いは、それほど昔ではない。

 国の水辺を歩いていた侍が、どんぶらこと、川を流れて来た鏡月を見つけ、引き上げたのが始まりだった。

「桃ではなく、人間そのものが、流れて来るとは」

 どこかで水害が起きた、と言う話もないのに不思議な事もあると、救った若者に仔細を聞くと、呆気ない答えが返って来た。

「川辺で、素振りをしていたら、足を踏み外した」

 聞くと、剣の修業のために、諸国を回っているのだと言う。

 試しにと刃を合わせてみると、かなりの腕だ。

 鏡月の方も、侍の力強い剣を気に入ったようで、意気投合した二人は侍が江戸の殿として江戸に上がるまで、時に話を盛り上げ、時に剣を交わしていた。

「お前だって、一応の期待を持って、オレを江戸に呼んだんだろうが。少しは信用してみろ。それに答える努力は惜しまん」

「努力だけでは困る。旗本のあ奴を、よそ者の若者に、託してしまったのだ。うまく言いつくろえる罰し方を、考えてもらわねばな」

「要望が多いな」

 鏡月はのんびりと返し、深く考え込んだ。

 随分長く思考し、不意に顔を上げた若者は頷いた。

「何か良い案は、浮かんだか?」

「欠片も、浮かばん」

「……」

 やはりかと、呆れる侍に、鏡月はにんまりと笑いかけた。

「だが、良い案を考える事はあるまい? でっち上げなら、即席で出来る。そ奴らが城へやって来た時に、それ相応の騒ぎを、作り上げればいい」

「言うは易しだな。その騒ぎを、どうやって作るのだ?」

「会った事のない奴らのことなど、オレが分かるか。あいつから、その武家どもの名を聞いたのだろう? まずは、それを残らず言ってみろ」

 そうだったと手を打ち、侍は和紙に書かれた名を読み上げた。

 住まいの場所と、国の名も聞き、鏡月は頷いた。

「よし、後は任せて置け」

 頼もしさの欠片もない、請負だった。

 その後の音沙汰が、二日も途絶えている。

「無茶をしでかして、どこぞで捕まっておるのではなかろうな」

 日々の仕事をこなしながら、侍は鏡月の帰りを待っていたのだが、三日目の夜、妙な騒動が起こった。

 しかも、この城の中で、だ。

 城主の侍は、もうひと働きした後就寝する、そんな刻限だった。

 遠い廊下の方から喧騒聞こえ、何事かと廊下に出た侍の前に、一人の家臣が膝をついた。

 そして、驚きの知らせを告げた。

「……この刻限に、目通りだと? 儂にか?」

「は、火急の話にて、猶予もないと……」

 そんな例外を許すはずのない家臣が、戸惑いながらもそう告げる所を見ると、余程、切羽詰まって見えたのだろう。

「どこの者だ?」

 何気なく聞いたその答えに、侍は思わず声を上げた。

「な、何だと、確かであるか?」

「は」

 つらつらと家臣が連ねた武家の名は、全てあの悪行に係っていた家の名だった。

 どういう手を使ったのか、鏡月は全ての家の殿を、この城におびき出したのだ。

「……だが、何故に、こんな刻限なのだ?」

 感心しつつも得心が行かず、何よりまだどう裁くか考えていなかった侍だが、取りあえずは会おうと頷いた。

 いつもの謁見の間ではなく、少し手狭な座敷に通されて、身を固くして座っていたその武家たちは、上座に現れた侍を見て深々と頭を下げた。

「面を上げよ」

 慇懃に告げ、顔を上げた面々を見て、ぎょっとした。

 全員、妙にやつれた顔だ。

「いかがいたしたのだ。このような刻限に? 本来ならば、許せる行いではないぞ」

「申し訳ございません。実は、折り入ってお話が……」

 武家の中で、一番土地を持つ侍が、控えめに声を出した。

「な、何事だ?」

 つい身構えた侍に気付かず、その男はゆっくりと告げた。

「我々は、あなた様に、お願いの儀があって参上いたしました」

「ほう、どのような?」

「はい」

 男は薄っすらと笑った。

 その笑みが、正気のものではないと悟り、上座の侍が目を見開く前で、その場の全員が立ち上がった。

「あなた様のお命を、なにとぞ我らにっ」

 城内では禁じているはずの刀を、躊躇いなく抜刀する様を見つめ、侍は呆れて嘆いた。

「カガミよ、やり過ぎではないのか、これは」

 何も全部の家を、一度に罰するとは、言わなかったはずだ。

 しかも、完全にこれは、申し開きをさせられぬ所業だ。

「上様っ」

 側近たちが、すかさず侍を後ろに庇い、飛び掛かる侍たちを、次々と捕縛していく。

 突如始まった捕り物を、侍は呆れて見守っていたが、城の中は大騒ぎになった。

 興奮した城内が落ち着いた明け方、朝の仕事を終え一息ついた侍の元に、鏡月がひょっこりと戻って来た。

「お前、あ奴らに、何をやったのだ?」

「不思議話で誤魔化していた、奴らを見習って、連中の屋敷内で、遊んできた」

 物を動かす事から始め、殿の枕元で夜な夜な呟く。

「あんたが国を潰そうとしている云々を、延々と囁いてやったのだ。全部の屋敷で」

「……分身を作れるのか、お前は?」

「いや」

 鏡月はにんまりとして、袖口から一枚の紙を取り出した。

「知り合いにな、一つだけ教わった術がある。自分に似せた姿の、式を作る術、だ」

 少なくない血がいり、場所もしっかりと分かっていないと動かせない不便な術だが、後ろ黒い所のあった武家たちには、それだけで充分だった。

「まさか、こんなに早く動くとはな。オレも、思わなかった」

 のんびりと笑う若者に、侍は笑い返した。

「まあ、終わりが良ければよいだろう。後は、儂が裁けばいいだけだな」

「そういうことだ。ああ、ついでに、奴らの屋敷の枕元に、奉行所で頂戴した、禁制の薬を隠しておいた。何なら、それを使えばいい」

「妙な所で、気が利くのう」

 意外なほどの手際で、武家の方は片が付いた。

 後は、酒でも交わしながら、高みの見物でも行こうと、二人は笑いあったのだった。


 こちらの動きを、軽く上回る動きで、武家の方の片が付いた。

「あの方、やる気になれば、随分使える方なのでは?」

 ユズがつい、褒める程の手際だった。

「……やる気になれば、な。その、やる気になることが、どんだけ少ねえと思ってんだ」

 言いながら、蓮は頭を悩ませていた。

 若者にしては、珍しい。

「証になる者は、一人くらいいるのでしょう? 薬が抜けて、元気になった子もいると聞きました」

「しら切られりゃあ、おしまいだろうが。相手は、金持ちだぞ」

 袖の下一つで、片が付いてしまいかねない。

 それに、どうせならば、それに関わった者だけを、罰せられるように持って行きたい。

「……張り合わずとも」

 ユズが、呆れて呟いた。

「そんなんじゃねえよ」

 ただ、奉行が言った言葉も、胸にわだかまってしまっただけだ。

「その辺りは致し方ないのでは? その気であれば、奉公人たちは次の奉公先を、自分で探し出せます。それこそ、親兄弟が咎人になったのでは、ないのですから」

 誰に似たのか、口が達者な姪っ子の言葉に、蓮はようやく動き出した。

 動くと言っても、奉行所が出張る話を、目的の家で作り上げるだけだ。

 おおっぴらに盗みに入った形跡を残し、町奉行の者を家に入れれば、後は目的の形跡を見える位置に置いておく、それだけで良かった。

「それこそ、元気になったガキを使って、どこぞの座敷から、逃げた風を装う手もあるんだが、そこまですることも、ねえようだな」

 次々と罪を吐露し、暴落していく家を、蓮は静かに見守った。

 あらかたの吟味が終わったある日の夜、蓮は姪っ子と共に、ある家に様子を見に行った。

 話では、恐らくはまだ、そこに居座っているはずの者を見極めるため、だったのだが。

「……」

「お話通り、我々の御爺様は、奇怪な動きが、目立つお方なのですね」

 ある店に出て来ていた人物を見て、蓮が呆れ果てている横で、ユズがしみじみと感想を言った。

「オレの方の爺さんは、知られてたが、コウヒ方も相当おかしいな」

「調べではあのお店とあの職人方は、ご夫婦健在で子供も二人ずついるとか。一人足りないようですが」

「まさか、二役してんじゃねえだろうな。遊び過ぎだ」

 思わず言った言葉に、女は嫌そうに顔を顰めた。

「あれ以上の役を、御爺様方のどちらかが、ですか? 見たくないのですけど」

 まだ顔が見れていないのは、材木問屋の甚兵衛の、上の娘だ。

 こうと名乗っているはずの女の姿が、どこにも見当たらなかった。

「紺の方が明るい性分で、紅は全く外に出ない娘だったそうなのですが、嫁ぐことが決まっていたようで、ついこの間、婚家で婚礼が行われたようです」

 池上が言うと、ユズは首を傾げた。

「上の娘が? それに、妹が大変なこの時期に?」

「世間体を考えた、と見ているのですが。」

 病、と言っても、心の病ではない、と見せるためかもしれないという男に、蓮は頷いた。

「元々、上の娘が嫁ぐことになってたって事は、拾ったって子供は、そのお紺なんだな。もう一人は……」

「梅吉という、大工の棟梁の長子、でしょう。この家に婿に入ると聞いたのですが、そう言う器なのでしょうか?」

 それに何より、大工の棟梁宅も、後継ぎがいるはずだ。

 何とも不思議な縁組がユズの首を傾げさせるが、蓮は何やら考えながら答えた。

「器であろうがなかろうが、その二人のガキを、裕福な家庭から所帯を持たせて、更にいい暮らしをさせてやりてえ、ってのがこの猿芝居の理由だろうな」

 それも、二人が元気になれば、の話だ。

 カスミもヒスイも、病や薬漬けが消える事を望んでいるはずだが、下手に手を出す気もない様だ。

 ここで二人共死に至っても、致し方ない事と思っているのかもしれない。

「カスミの旦那が、あの姿になって暮らしている以上、本物のあの人は、死んでいるだろうからな」

 カスミには、奇妙なこだわりがある。

 誰に化けるにせよ、生きた人間の姿を借りない、というこだわりだ。

 紺と言う娘と、カスミが化けている人物は、親子に見える。

 つまりは、娘を頼む、と死の間際に言われた、と言うのが一番ありそうな話なのだが、カスミに限っては、一番あるそうにない。

「……どういう経緯だったんだ? 分からねえんだけど」

 言いながら、蓮は目の前に立った人物に声をかけた。

 材木問屋の娘が引き籠っている座敷の、箪笥の陰に隠れていた三人の前に、まだ働き盛りの女が立っていた。

 その腕に、この国では珍しい、毛の長い黒猫を抱いている。

「随分堂々と、忍んできたな、蓮」

「どうせ、見つかると思えば、小細工なんざ無意味だろう? また訳分からねえ話に係りやがって」

 つい、身を縮めてしまったユズと池上に構わず、蓮が小言を言うと、この家のおかみの藤は、真面目に返した。

「致し方なかろう、ヒスイが、国抜けの百姓に、情けをかけてしまったのだ」

 ある国の百姓の五家族が、夜に国を抜けようとして捕まる場に、ヒスイは行きあった。

 この国では、五つの家を一括りに組とし、粗探しし合う掟を作った。

 逃げるにせよ、国に逆らうにせよ、一つの家族が起こす騒ぎの責を、他の同じ組の家族も負う。

「子供の事を考え、他の家族も連れ立って逃げようとしていたようだが、すぐさま捕まり、刑が決まったようだった」

 ヒスイは、子供たちの泣き声が、気にかかってしまったと、後に言い訳した。

 そして様子を見に、その五家族が入っている牢に行った時、頼まれてしまったのだと言う。

「うち二組の家族に、二人ずつの子供がいたが、一人は死に、一人はどこかに連れていかれてしまったらしい。年頃の女子だったようだから、先の事は考えられるが」

 紅と言う娘は、この家に元々いない。

 名前だけ家族に連ねているだけで、奉公人ですら、その姿を見た事はないのはそのせいだ。

 嫁入り先もでっち上げで、婚家など、ありはしない。

「……」

 ヒスイに気付いた家族は、残った子供たちだけでも、連れて行って欲しいと頼んだ。

 その想いに答えた男は、弟にも手を借りる事にしたのだった。

「そう呆れてやるな。情にもろいとはいえ、あのような厄介な場から、子供を連れだすような事をした罰が、今のあの役なのだ」

 と言っても、人前に出たがらない為、松吉のおかみは、病弱と思われているそうだ。

「その松吉さんは、女の方ですよね?」

 黙り込んだ蓮の代わりに、ユズが首を傾げると、藤は真面目に答えた。

「姉上だ。名をコハクと言う」

 娘が婿を取り、気になることが旦那の事だけになったコハクは、ヒスイの頼みに乗った。

「ああいう事は、余りしない方でな、楽しんで下さっている」

「そうですか。ご挨拶した方が、いいでしょうか?」

「ヒスイにも、会ってやってくれるなら、引き合わせるが」

 真面目な言い分にユズが困った時、不意に蓮が舌打ちした。

 何事かと振り返る女に構わず、池上に声をかける。

「あの旗本の治める国に、まだあんたの所の手の奴、いるな?」

「は、はい」

 目を瞬く男に、若者は厳しい目で切り出した。

「そこの庄屋一家の身柄を、早急に捕らえろ。急げ」

「はい」

 厳しい声に、池上は疑問を浮かべる前に動いた。

 そんな様子に、呆気にとられるユズの前で、藤が真面目に声をかけた。

「何だ、今頃気づいたのか。もう遅いのではないのか? お前は、寿命持ちの命知らずしか知らんから、致し方ないが」

 そうだ。

 蓮は再び舌打ちしそうになりながら、藤の言い分に頷くしかなかった。

 セイの率いる連中は、夜叉集団には勝てない、と思ったのは思い込みだ。

 主が斬って捨てている場も見、カスミの娘だったランも、そこまで強いわけではなかったから、そう思ってしまったのだ。

 だが、本当のところはどうなのか。

 先日、葵が妙な話をした。

 蓮の父親とセイが顔を合わせる場に、葵が居合わせたと言うのだ。

「おかしいよな。あいつ、自分が眠らせられるかも知れねえって分かってたのに、お前の親父と、二人で会ってたんだぜ。そうまでして引かせねえでもよくねえか? エンたちが、簡単に倒されるか?」

「情にもろいところがあるからな、躊躇う心配をしたんじゃねえのか? それにしても、無茶は相変わらずかよ」

 話はそう治まり、その後は葵とも話す余裕は無くなったが、あの時ならまだ、間に合ったのかもしれない。

 セイがのんびりと自分たちを見守っている間に、殆んどの主力が動き、旗本の国に向かうのを、止められたのかもしれない。

「完全に、後手じゃねえか」

 蓮は、つい嘆いてしまった。

 そして、そんな若者を見て、藤の腕の中で小さく笑う黒猫を睨む。

 エンを含む主力はすでに、庄屋の屋敷に押し入っている事だろう。

 いや、既に終えて、こちらに戻り始めているかも、知れなかった。


 長閑な昼下がり。

 国を治める殿は、今は江戸にいる。

 その間、留守を務める者たちの、やりたい放題だ。

 それを知ってはいるが、殿も留守中の苦労を考えて、目をつむっている。

 が、百姓達には、とんでもない話だった。

「口では皆、とんでもないと言っておるようですが、所詮は貧乏人。貢ぎを軽くすると約束すれば、すぐに差し出してまいります」

 その村の庄屋は、そんな事を言いながら、客をもてなしていた。

「身売りで、どことも知れぬ場に連れていかれ、身を沈めるよりは、身近で同じように身を落とし、家族のためになる方が、女子たちも幸せであるはずです」

「まさか、そのような待遇が、このような田舎で味わえるとはな」

 やんわりと言って頷いた男は、武士にしては張りのない、優し気な侍だった。

 永く浪人していたが、この度国に戻って仕官が望めると、嬉しそうにしている。

「しかし、良いのか? もしも女子が身籠ってしまっても、私は国に戻る身だ。引き取るためにこちらに来ることも叶わぬ」

「ご安心下され。しかるべき場へ落ち着かせますゆえ」

「そうか」

 庄屋は愛想がいいが、目だけはどんよりと男を見つめる。

「どのような女子が、よろしいでしょうか?」

「このような事には、慣れておらぬ故、大人しい者を頼む」

 深々と頭を下げた男は、下男に女の名を告げる。

 このような田舎で、女子に手を出そうとする輩は、後ろ黒い所のある者に違いない。

 女郎よりは安いが、口止めにかかる金が、庄屋の懐に残る。

 これを始めたのは、庄屋の父親の代からだ。

 後ろ黒い企みに、百姓たちも不満を覚え始めた頃、宥めるために始めたのだと、父親は言っていたが、元々は、懸想した娘の父親の百姓が、妾にと言う庄屋の申し込みに、やんわりと断りを入れて来たのが始まりだった。

 後継ぎと長女以外の子供は、城に召し上げられるが、里帰りは出来ずとも元気にやっていると、百姓たちは思っていたはずだから、父親の言い訳は矛盾する。

 父親は百姓たちを言葉巧みに騙し、二女以降の娘を、まずは己の懐に持ち込んだ。

 己らで子供を作り、年頃の子供が育たぬ時だけ、百姓の残った子供たちを召し上げる、そんな仕組みを作り上げた。

 聞いた時は眉をひそめたが、これも中々旨味がある。

 秘かに思っていた娘が、城への奉公の前の行儀見習い、と言う名でやって来た時には、しみじみとそう感じたものだった。

 城では殿様の思うままだが、この家では自分の思うままだ。

 どんな娘でも、孕んでしまえばつまらなくなる。

 母親となった娘たちが、産んだ子供の行く末を思うようになると、興ざめしてしまうのだ。

 寄る年端にも勝てなくなった庄屋は、倅に後を託し、今は後ろ黒い性分の、国へ帰る途中の武家を捕まえ、私腹を肥やし始めていた。

 庄屋は下男に連れて来られた娘を、身ぎれいな侍の前に座らせた。

 青ざめた女子を見る目も優しい侍は、静かに声をかけた。

「お主、年は幾つだ?」

 身を縮める娘の代わりに、庄屋が答える。

「十四にございます。幼く見えるのが、皆さまの琴線にも触れる様で、人気の娘にございます」

「……」

 男が、何故か黙り込んだ。

 気に障る事でも言ってしまったかと、庄屋が言葉を探す前に、侍が口を開いた。

「よもや、このような事が、本当に起きておるとは。聞いた時は、耳を疑い、話す者の正気を疑ったものだが」

 低い穏やかな声が、何故か庄屋の舌を凍らせた。

 そんな男の方には見向きもせず、侍はやんわりと娘に声をかけた。

「本当の年は、幾つなのだ?」

 すがるような娘の目に頷き、男は穏やかに言う。

「心配はいらぬ。申して見よ」

「……十二」

「その年で、母となったのか」

 優しい声音に、娘の目から涙があふれだした。

「お武家様、この者で気に入らぬのなら、そうおっしゃって下されっ。他の女子を……」

 子供らしく泣き始めた娘に焦り、庄屋が訴えると、侍は穏やかに笑いながら答えた。

「話には聞いておるぞ。お主、随分人道から外れた行いをしておるそうだな。奉公の前の行儀見習いと名売って、連れて来られた百姓の娘に手を付け、産まれた子供を城に召し上げる。その見返りに、江戸での実入りのいくらかを、戴いていると聞いたが、真の事なのか?」

「だ、誰が、そのような事を……」

 侍の姿をした男が、その話を聞いたのは、ここに来る二日前だ。

 ゼツが聞き込んだ話とセイが聞いた話、そして、ロンがかき集めて来た話。

 ゼツは、低い声で告げた。

「百姓たちも、うすうす気づいているようです。その上で、要らぬと思われる子供を、敢て庄屋に引き渡している」

 要らぬ子とは、病を持って生まれた子や、力のない者の事だろう。

「そういう、直に城へと召し上げられる子供を差し出せば、その年の貢ぎ物を少なくしてもらえるとか」

 だから、国ごと消してしまおう、というのがゼツの言い分だった。

 確かに、貢ぎ物を減らすために、子沢山にしている家族もあるかもしれないが、庄屋を直に叩けば、子供が生き残る望みのある方へと、暮らしは持って行けるようになるだろう、というのがロンの言い分だ。

 どちらも一理あり、セイの言い分を聞こうと顔を向けると、若者は見返して言った。

「あんたがその目で見てから、どうするか決めればいい。この件は、あんたに任せる」

 セイは、大元の方の始末で忙しい。

 だが、そんな理由だけで、こちらに全て押し付けているわけではない。

 今若者の元に残っているのは、オキを含めた数人の気心知れた者たちのみで、自分を含めた数人がここにいるのだ、残りの烏合の衆をまとめ上げるのは、骨がいる作業だ。

「あなたが怒ったら、この家で動くわね」

 気楽に、ロンは言っていた。

 この国の、民の処遇をどうするかを考えるのは、その後だと。

「だ、旦那様っ」

 引き攣った声の下男が、庄屋に呼び掛けた。

「ど、どうしたっ?」

 侍の変貌を気にかけながらも一礼し、襖を開けた男に、下男は縋り付いた。

「た、た……」

「嫌だ、言葉すら話せなくなるの? そんな事でよく、臨月の娘さんを手にかけて、腹を裂くなんて行い、やってこれたわねえ」

 やんわりとした、太い声が背後から投げられ、襖を開けた下男の首に、後ろから手がかかった。

「……おっと、お腹の子には、衝撃だから、目を閉じていなさい」

 侍姿のエンは穏やかに、涙にぬれた娘に声をかけた。

 素直に目を両手で覆う娘に笑顔で頷くその前で、庄屋が悲鳴をかみ殺した。

 下男に伸びた色黒の手が、後ろから鷲掴みにした首を高々と持ち上げる。

 苦し気な男に構わず、もう一つの手がその肩を攫んだ。

「あら、意外に固いわね」

 言いながら、その手に力を込めた。

 途端に、下男の肩が裂かれ、潰れたような悲鳴と、骨を力任せにおられる音が響いた。

 鮮血が、庄屋の顔にも飛び散る。

「ああ、鼻も塞いだほうがいいかな。血の匂いも、子供には良くないからね」

 穏やかな侍の声が、一層不気味に聞こえる。

 そんな中で、絶命した下男の体を、ようやく姿が見えた大きな男が、小さく引き裂いてゆく。

 座ったままその有様を見届けてしまった庄屋は、ようやくここで、家の中が静かなのに気づいた。

 騒がしいほど賑やかな家の中が、静まり返っている。

 いや、音がしないわけではない。

 何かを斬り刻む音と、助けを求める声が、遠くから聞こえている。

 その声が、自分の倅の声に聞こえ、庄屋は青褪めた。

 思わず立ち上がった男が、肩を後ろから攫まれて振り返ると、接客していた侍が、笑っていた。

 その後ろで、おっとりと笑顔を浮かべ、娘に笑いかける女がいる。

「さ、あなたも、他の娘さんと、行きましょう。ここは、本当に見てはいけないものだらけだから」

「ジュリ、出来るだけ遠くに、連れて行っててくれるかな? 少し細かく潰そうと思うんだ」

「あら、あなたらしくないわね。でも、そんな様子で次の動きを決められるのは、釈然としないものね」

 庄屋の前で手を振り血を払うロンの言い分に、エンは苦笑しながら頷いた。

「そう言う事です。諸悪はあの旗本ですが、ここでの諸悪はこの男ですからね」

「ち、違うっ、私の父親が……」

「馬鹿ですか」

 冷ややかな声が、庄屋の言い訳を遮った。

「受け継いでる分、救いはないですよ」

 岩の様な男が、無表情に言い切った。

「ま、そういう事だ」

 穏やかな声が答え、庄屋の体を引き寄せた。

 侍が、何故丸腰で現れたのか不思議だったが、遅まきながらその理由が分かった。

 この侍には、刀などいらない。

 頭を攫むその手の力、これは、軽く自分の頭を潰せるほどの力だ。

 絶命する時悲鳴を上げる事が出来たのか、庄屋には分からないままだった。


 エンはその後、国元の城を襲う事で、皆の気を治めたらしい。

 その知らせは、蓮から告げられた。

「こっちの裏をかきやがったな、覚えてやがれ」

 毒づかれたが、セイとしては、そこまでひねった覚えはない。

「しかし、池上と言ったか? 災難だったな」

 正しくはその手下だが、急いで向かい訪ねた庄屋の屋敷で見たであろう、殺戮の足跡は死人に慣れている者でも、気分が悪かろう。

 そんな事を言いながらも、言っているジュラ本人がその死人を作っているのが、何とも不自然だ。

「それにしても、ゼツは子供が嫌いなはずなのに、あそこまで怒るか。どちらかと言うと、こちらに寄っていると思ったんだが」

 そんな感想を述べるオキは、立ち尽くすセイの傍で、こちらに来る旗本の家人を、容赦なく斬り捨てている。

「まだ根に持ってるんだろ。親父に奇異な好みを持つ奴に、売り飛ばされたことを」

 事情を知る者は仕方ないと頷くが、セイはつい唸ってしまう。

「本当にあの人、金のためにゼツを売ったのか? そんな人とは、思わなかったのに」

 その父親に可愛がってもらったセイは、いつもその話に首を傾げる。

 すると、それに返す方は、二つの答えに別れる。

 一つは、セイが男を改心させるほど、愛らしいからだと言う揶揄い交じりの答えだ。

「本能を目覚めさせるには、恨ませるのが一番手っ取り早いからな。極端すぎて、聞いた時は、正気を疑ったが」

 もう一つの答えをジュラが冷静に言い、オキも頷く。

「好きでもない女を孕ませる所から、ふざけているがな」

 妙な顔になった若者に気付き、白髪の男が尋ねた。

「どうした?」

「……教えてくれるか?」

「ああ、勿論だ。何が知りたい?」

 真顔での切り出しに、笑顔で答えたジュラは、続くセイの言葉で固まった。

「どうして、好きでもない人との間に、子供が出来るんだ?」

 傍で顔を引き攣らせるオキの前で、ジュラは一瞬ぽかんとした後、盛大に吹き出した。

 そのまま、腹を抱えて笑いだす。

 そうしながらも、襲ってくる家人を、斬り捨てる事は忘れない。

 息が苦しくなるほどに大笑いする男は、いくら待ってもその答えをくれず、セイは黙って傍に立つ男を見上げた。

 見返すオキは、慌てて目を逸らす。

「……教えてくれると、言ったじゃないか」

「オレは、言っていない」

 恨みがましい声に返しながら、ジュラを睨む。

 安請け合いは、この若者に限っては、やってはいけない事だ。

 こういう風に真顔で、こちらが答えられない問いかけをすることが、多いからだ。

 笑いを残しながらも、ジュラはセイの傍の男に目で詫び、咳払いして答えた。

「それは、ロンにでも訊け。あの人が一番、色々知っているからな」

「分かった」

 素直な若者に胸をなでおろし、二人は名を出した男に心の中で詫びる。

 あの男なら、適当な事を言って誤魔化してくれるだろうと、気楽に押し付けるのが二人の常だった。

 嬉々として襲い掛かる手勢から逃げ回りながら、旗本の殿はこちらに向かって来た。

「どけっっ」

 血走った目を向け、立ち尽くす若者に斬りかかる。

「……生き残りは?」

 その刃を指で攫みながら、セイはオキに尋ねる。

「待て、今確かめて来る」

 すぐに動く男を見送り、何故かそのまま刀を引けない侍を見る。

 目線は同じくらいの侍は、無感情に見返す若者に、化け物じみた何かを感じたらしい。

 喉の奥で、悲鳴をかみ殺す。

 目を剝いて自分を見る侍に構わず、セイはオキの帰りを待っている。

 やがて戻ったオキは、頷いた。

「怪我をしている奴はいるが、こちら側は全員無事だ。この家の目的の奴らは、誰も生きていない」

「そうか。なら、この人に用はないな」

 刀から指を離すと、侍は大げさに飛び下がった。

 刀を構えセイを睨むが、若者はそれを見返しながら、微笑んだ。

「介錯までしてしまっては、怪しまれそうだ。どうか、せめて苦しみながら、地獄へと向かっていただきたい」

 何を言っているのか、そんな顔をした旗本だが、すぐに自分がおかしいと気づいた。

 刀を持つ手が動き、その刃を己に向けた。

 膝が床に落ち、胡坐をかく。

 敵である三人が見下ろす中、侍は腹に刃物を押し当てていた。

 深々と刀を腹に刺し、次いでそれを横に切り開く様を、セイは無感情に見守り続ける。

 小さく悲鳴を上げるが、それすらも何も感じぬようにただ見下ろす若者に、旗本は声を絞り出した。

「おのれ、この、化け物が。化け物風情が、こんな……」

 声が、途中で途切れた。

 苦し気な旗本の頭が、床に転がる。

「お前風情が、こいつを化け物呼ばわりする方が、不遜だ」

 オキが冷ややかに言い、短く詫びた。

「すまん。つい、手が動いた」

「……止める間がなかった、こちらも悪い。後の始末は、勘定奉行とやらがつけてくれるだろ」

 転がった頭を見下ろしながら答え、セイは周りに集まって来た者たちに頷いた。

「ご苦労様、戻ろう」

 満ち足りた顔の面々を引き連れ、若者は山へと戻って行った。

 旗本家の惨状を見つけたのは通いの行商で、事が起こった日の翌日の朝方だった。

 勘定奉行所は、殿の乱心による皆殺しと判じ、お上に申し出た。

 国は取り潰しとなり、別な国の所有となった村は、その後穏やかな暮らしを送った……はずである。


  後ろ暗い話は不思議話と共に、収まった。

「後は、連れて来られて、帰るあてもない子供たちの奉公先を、見つけてやらねえとな」

「それが、一番難儀なのではないのか?」

「何、それはカスミの旦那たちにも、一役買ってもらうさ。こちらは、大盤振る舞いしてやったんだからな」

 鏡月の言い分に、蓮はにやりとして答えた。

 すでにセイたちは、江戸を発っている。

 だがその前に、セイにはやってもらった事があった。

 それは、心を病んで、治る見込みのない娘たちを、見舞う事、だ。

 何故今更と、首を傾げる若者を曖昧な言葉で言いくるめ、蓮は娘たちの元へ向かわせた。

 夜に忍んでいき、セイは律儀に、見舞って来たらしい。

 秘かに届く話は、病んでいた娘の回復の報だ。

 病んだ心を、秘かに癒す。

 これだけは、あの若者にしか出来ぬ芸当だった。

 そして蓮も、手遅れではないと良いと思いつつも、やった事がある。

 無償で、これをやるのは嫌なのだが、これも後始末の一環だ。

 しかもこれはまさしく、自分の親父の尻拭いである。

 阿片に飲まれた若い男たちを、蓮はひっそりと見舞って回り、出来得る限り薬を抜いて回った。

 後は本人次第と突き放したが、回復の早さは違えど、見込みはあるようだ。

 後はその恩を、秘かに返してもらうべく、話を持って行くだけだ。

 そのうちの一つの家は、別な意味で話が進み始めている。

「お前は、少し気が短すぎる。それが気にかかるが、まずはこれから奉公してくる子らを、お前に預ける事から始める事にする」

 そう切り出された仁平は、切り出した松吉を、目を瞬いて見つめた。

 松吉の隣には、次男の竹蔵が控えている。

「と、言いますと、どういう事ですか?」

「これからのお前次第で、後継ぎとして育てようと思っている」

 口があんぐりと開かれた。

「な、何を言ってるんですか、そこに、後継ぎなら、いるでしょうがっ」

 長子の梅吉は、何故か婿入りが決まっているが、松吉には竹蔵と言う倅もいる。

 だが、当の竹蔵が、笑いながら首を振った。

「オレは、そんな器じゃない」

 あんたが器じゃないなら、どんな奴も器じゃないだろうっ。

 そう言いたい気分の仁平に、松吉が静かに言った。

「お前の、人をまとめてしまう力には、一目置いているのだ。後は、その気の短さが、気にかかってな。喧嘩を売るその性分を、叩き直すのを、手伝ってもらえるか?」

「ああ、叩き直してやるから、心配するな」

 切り出された竹蔵はあっさりと頷き、仁平を見つめた。

「そういう事だから、覚悟しろよ」

 有無を言わせぬ言葉に、仁平は顔を引き攣らせて、頷くしかなかった。

 梅吉の方は、順調に回復してはいるらしいのだが、怠け癖が中々抜けず、婿入りはまだまだ先になりそうだ。

「まあ、仕方ない。私としては、早くこの役を下りて、遊び倒したいんだが」

 甚兵衛がついつい愚痴ると、藤はやんわりと返した。

「あなたの娘が来た時、私が相手をしたのですから、もう少し我慢してくださいな」

 梅吉と紺が所帯を持って、店の主としての威厳が出来れば、早々に隠居してしまえる。

 適度な時期に死を装った後は、もう自由だ。

「それまでが、長い」

「子育てをして、水月がいなくなるまで我慢したのですから、その位で音を上げないでくださいまし」

 甚兵衛に化けている寿に、そう釘を刺しながらも、藤は嬉しそうだ。

「ん? どうした?」

「いいえ」

 やんわりと笑いながら、藤は首を振った。

「望み通りの間柄になってくれる日も近いと思うと、顔が自然に緩むのです」

「? 誰の話だ?」

 首を傾げる旦那には、笑って取り繕った。


 雅は、本気で自分を見守る気らしい。

 江戸を後にし、道中をのんびりと歩きながらも、セイは困惑していた。

 そんな若者に構わず、道連れとなったエンは穏やかに空を仰ぐ。

「今頃、どの辺りだろうな……」

「すでに、山についているんじゃないのか?」

「まさか、そこまで早くは……」

 雅が戒や望月たちと共に、江戸を発ったの七日前だ。

 関所を避け、山の中を通る道を進むのだから、余り早くはないはず、だが。

 道連れになったジュラが、小さく唸った。

「ジュリに聞いた話では、相当使える奴になったんだろ?」

「ど、どうだろうな。力だけなら、並みの娘さんよりは、強いはずだが……」

 後は、雅自身が課した何かが、どう言う成長を遂げたのか、エンにも分からない。

「見た限りでは、術に長け始めていたみたいね。力も強くなったし、あれなら山を一人ででも守れるようになるわ」

 そんなロンの太鼓判を聞きながら、セイは心の中で願っていた。

 自分たちが多恵の元へ戻るまで間に、心変わりしてもらえている事を。

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