第6話
事の発端は、蓮が持たせた書状を見て、受けてしまった自分自身なのだが、初めは江戸へ行くときに迷い、要らぬ手間が増えなくてすむと言う考えの方が強かった。
江戸へ向かう道中は、この国を深く知るいい機会になる上に、土地ごとの風習も知ることができる。
そんな気持ちで道中を楽しんでいたのだが、江戸に近いある国で、少々気になる話を耳にした。
国の殿さま方が、自国から江戸へ向かう道中に、宿を取ることで有名な場所を過ぎた辺りで、ある男と知り合った。
「ある男とは、あの男の事でしょうか?」
ひっそりと、セイの横に座っていた池上が、つい話の腰を折ってしまった。
本日は、先日よりも密な話を望むため、ある屋敷の座敷へと若者を呼び出した。
夕刻に近い刻限に現れたのはセイ一人で、その後ろに何故か、顔見知りの大きな男がいる。
「……」
目を見張る池上を無言で見返し、葵は見上げた若者に、大きく頷いて見せた。
セイは微笑んで頷き返し、座敷の上座に座る男の前に正座し、静かに三つ指をついた。
その仕草に、軽く驚いたのは、ご老体の域に入る男だった。
ゆったりとした空気は、奉行所の長であるにふさわしい、どっしりとした趣がある。
若者を見る目には、優しい光があった。
「このような刻限に呼び出してしまい、申し訳ない」
「いいえ。私の様な見ず知らずのならず者を、このように持て成してくださるとは、思いもよりませんでした。ご用件は、そちらの方々より耳にしている件の事、でございましょうか?」
頭を下げたまま奉行に答えたセイだが、顔を上げなかったのは委縮したからではない。
もう一人、上座に座る男に、困惑したためだった。
上背も体格も大きなその男は、なりは古着で揃えて浪人者に見えるが、そう見せたいのならば、もう少し座る場所を考えろと言いたい。
いや、他の場所に座っていても、気づいただろう。
セイは、その浪人の事を、知っていた。
江戸に入ってすぐに、政を敷く立場の殿や役人、旗本の事は調べ上げていたのだ。
その男は、ある城に住んでいる。
「……」
池上の隣に座った蓮が小さく笑ったが、それは諦めを含んだものだった。
この人が折れるのも珍しく、相当の難物だと気を引き締めながら、セイは顔を上げた。
奉行の隣の浪人者が、小さく声を上げる。
咳払いして取り繕う浪人者に構わず、奉行は真面目な顔で頷いた。
「我々で調べ上げるのにも限りがあると、考えるに及んだのだ。手を貸してはくれぬか?」
「……よろしいのですか? 私は、どちらかと言うと、あなた方に捕らわれて、罰せられても、致し方ない立場の者なのですが」
「そのようだな。話に聞いた時は、こちらの話は通じぬものと思っていたが、どうやらそうでもない様だ。それならば、こちらの考えを伝えて手を借りるのも、一つの手だと思ったのだ」
どういう話をして、そう言う考えに至ることになったのか。
その疑問を顔に出したつもりはないのだが、奉行はゆっくりと言った。
「そこの蓮から聞いた話では、お主たちは、金を目当てにした押し込みは、しないそうだな」
「決してしない、と言う事はありません。偶に、手癖の悪い者がいくらか金目の物を、持って来ることもあります」
「目を付けた者とは、あまり係わりのない奉公人や子供は、手を尽くして遠ざけ、昼間に押し入るとか」
どこまで話しているのかと、つい笑ってしまってから、セイは答えた。
「手は尽くしますが、完全にとはいきません。それは、致し方ないものとは思っておりますが」
褒められることではないと言う若者に、奉行は頷きつつも言った。
「我が国にも、稀に義賊と呼ばれ、喝さいを浴びる盗人が出る事はある。だが、いくら金持ち相手とは言え、相手には奉公人がいる。その者たちまで路頭に迷わせておいて、何が義賊かと、憤っておるのが我々役人と言うものだ」
「そうでなくては、国としてどうなのかと言う、お話になります」
頷くセイに頷き返し、奉行は微笑んだ。
「奉公人として働く者は、それこそ農家で食い詰め、働きに出て来るしかなかった者たちが多い。コツコツと働き、お足を貰い暮らしの足しにしている。いくら汚い商い方をしている商人でも、その下には多くの奉公人がいるのだ。押し入って喝さいを浴びるなど、許せる話ではない」
ゆっくりと言い切ってから、続けた。
「だが、それは、町の民の話だ。我々の手が届かぬ所の話は、我々には係わりがない」
「……」
「この件は、目安箱に入っていた、匿名の行商人の申し出から露見した」
数件の旗本の屋敷に出入りしている、手堅い行商人で、妙な物を見たと言う話だった。
武家の方が着るにしては安い生地の古着を、その屋敷の下男が焚火にくべているのを見たのだ。
大きさからして子供の物で、しかしその旗本の家には、そんな幼い子供はもういない。
少し気になったと言う、些細な話だった。
「名指しされた旗本家は、昔より妙な話が多くてな。あるお方が気になされ、内々に調べるようにとの、お達しがあった」
その国の地元へと足を運び、その周りの村々や国で話を聞いて回った。
「お主を呼びに向かった時には、財政を豊かにする財源が見当たらぬ所までは、分かっていたのだが、それ以上深くは、探れていなかったのだ」
「蓮が持たせた書簡には、ただ一筆のみ。人手が欲しい、そんな文でした。何が何やら分からず、それでもこの人には恩があるので、ここまで参りました」
なのに、本人が一向に、姿を見せない。
ならまだ、切羽詰まってはいないのだろうと、セイは断り続けていたのだ。
その間に、気になる件を調べ始めた。
「その件が、偶々我々の案件と同じだったのだが、どこで拾った話なのだ?」
ゆったりとした問いかけに、セイは話し出したのだった。
池上の、つい割り込んだ問いに、若者はすぐに頷いた。
「あの宿で、相宿になった男です」
その男は、これから貧しい農家を周り、子供を買いに行く途中だった。
見目のいい子供から、体つきのいい子供まで、相手の足元を見て買い、商人や色街に高く売る。
そんな話を聞き、池上はつい顔を顰めて離れてしまったのだが、セイはその後、愚痴に似た話を、その男から聞いていた。
「ある国の百姓は、どんなに子沢山でも、決して子供を手離さない。国への貢ぎ物も滞りそうな、不作の時でもそうらしく、男は地口で続けました」
貢げない米の代わりに、子供でも差し出してるんかね。
軽口の言葉だったが、セイの中で、何かが引っかかった。
「その時、一緒に来た者の一人が、その国の周りの百姓家から、そこの国の村は、度々子供がいなくなっていると言う話を、聞いたばかりでした」
物々交換で立ち寄る百姓が、いなくなる子供の事を訊くと、子供は端からいなかったと、口を揃えると言う。
そんなはずはないんだがと、首を傾げていたと言う百姓の話を持って来た男を、セイはその国に向かわせた。
向かった男は、細く険しい目を、更に険しくして戻って来た。
「あの国、滅ぼしてきても、いいですか?」
などと物騒な事を言う男を宥め、もう一人の男に更なる調べを任せ、何食わぬ顔で江戸に入った。
「あなた方が、少しずづ明らかにしていく話が、どうもこちらの獲物のようだと気づいたのは、ついこの間です」
奉行がゆっくりと頷き、問いかけた。
「その間に、お主たちは、その旗本を怪しんでいた商人たちの倅たちを救い、売られていた子供を救っていたのだな?」
「そんな綺麗な話では、ありません。我々は、少しでも悔いる物を残したくない一心で、動いていただけです」
ただの、自己満足だと言い切る。
そんな若者を見つめ、奉行の隣の浪人が微笑んだ。
それを一瞥してから、奉行が気になった事を訊く。
「その国の所業が、どう知れたのは分かったが、商人にまで手が及んでいる事は、いつ気づいたのだ?」
「これも、偶々です」
待ち人たちよりも早く、江戸に着いてしまったセイは、暇を持て余し、その時期本当に江戸を散策していた。
そして偶々、あるお店の、通夜に行きあったのだ。
「お悔みに来た方々が、亡くなったのが若い後継ぎだったと言っているのを耳にし、気になって通夜の席に入り込みました」
幸い、人が多く見知らぬ者が混じっていても、疑われることはなかった。
その時はまだ、傘の下に黒髪の鬘をつけていたので、余計に目立たなかったのだろう。
セイはお店の主人とおかみ、亡くなった子供の兄弟らしき男女の顔まで拝んで、お店を後にした。
もうすぐ婚礼を上げるかと、そんな話も出ていたと言う話も聞き、それは相手もさぞ沈んでいるだろうと考えたものだったが、その話には続きがあった。
「それがさあ、婚礼話も、延期になってたんだよ」
「え、何でさ。仲がいい、幼馴染だったんだろ?」
「ここだけの話だよ。あの娘さん、どうやら、家の使用人に懸想されて……」
相手も驚いてはいたが、背中で聞いていたセイも、つい振り返った。
聞いていた方は興味津々で、答える方は声を潜めつつも嬉しそうに、その話に花を咲かせている。
どこまで本当なのかは、分からない。
だが、その許嫁らしき娘は、あの場にはいなかった。
暇なのは、中々曲者だ。
セイは、その許嫁の店に行ってみた。
「そしたら、そこの二女が、気の病で臥せっている、と言う話を聞きました」
娘に懸想した奉公人は、既に店から去っていた。
が、名前と容姿を確かめて探すと、羽振りよく暮らしている事が、分かったのだ。
「それとなく近づいて話を聞いたら、その旗本が係わっているのが、分かったのです」
セイは、周りに散っていた者たちに、繋ぎを取った。
その上で、一緒に江戸に入った二人の手をかり、事をこれ以上大きくしないよう、動き始めたのだった。
「家に入り込むのも、人の狙ったところを切る芸当も、私にはできないので、それまで放って置いた事をやってしまおうと、思い立ったんです」
それは、旗本が百姓に貢がせていた、子供たちの処遇だった。
それが何処に行っているのかまでは、その時分かっていなかった。
だが、探り始めるとすぐに分かった。
「……なので、その家に入って子供を盗み、手持ちの金子をつけて、医者や長屋の差配さんの家の前に、転がしておきました」
「お主今、家に入り込むことは出来ないと、申していなかったか?」
前に座っていた浪人が、思わず声をかけた。
途端に、控えていた蓮が、浪人を鋭く睨む。
「そ、そう睨むな」
「あんたは喋るなと、そう言い含めていたはずですが?」
「す、すまぬ、つい」
咳払いする男を見やり、セイは静かに答えた。
「私の言う入り込むとは、長く居座ってその家を伺う、という意でございます。ただ一時期入り込んで、すぐに出るくらいならば、私でも造作はありませぬ」
「さ、さようか」
頷いてから、浪人者はまじまじと若者を見つめた。
「お主、そのような言葉遣い、どこで学んだのだ?」
「国に入る前に、その国の所作や言葉、風習の全てを、その国に詳しい者に教わる事にしております。それが、礼儀だとも、教わって育ちましてございます」
そっとまた手をついて頭を下げる若者に、この国の者にしては大きな浪人は、秘かにおののいて蓮を見た。
「そんなに驚く事ではありませぬ。この者は、あなたがどういう方なのか、既に見知っておるようです」
呆れてそう窘め、若者はセイを見た。
見返す目に、笑いかける。
「いつ、城に忍び込んだ?」
「あんたが、いない時を見計らった」
笑い返し、後ろを振り返る。
「葵さんは、庭をうろうろしてたけど、何をやってるんだ?」
「庭師、だ。迷って木の上に立っても、怪しまれねえだろ?」
「そうかなあ……」
大きな男が笑いながら答えるのにも笑い返し、それを残しながら前の二人に目を戻した。
浪人は、ついついその顔を見つめてしまい、慌てて咳払いする。
奉行の方は、目を丸くしただけだ。
「無愛想だと思っていたが、中々良い顔をするな」
「……それは、初めて言われます。そうでしょうか?」
「うむ、年相応……で、良いのか? 仔細はあるのだろうが、愛想は大事だぞ」
毒にもなりそうだが、と心の中で呟き、奉行は横に控えた池上が、若者を見たまま固まっているのを見る。
無邪気に笑っている顔が、魔性の女子並みに威力があると言うのは、いかがなものか。
そんな事を思いながらも、仕事は忘れずに続ける。
「やはりあの旗本、かねてより己の国の百姓に、米が出来ぬ年は子供を貢がせていたのだな。それを、江戸の金持ちに、秘かに金で引き渡していた」
「そのようです」
「なぜ、その証が全く出てこないのだ? 町の商家が相手なのなら、正体の知れぬ子供の話が、何処からか出て来そうなものだが」
奉公人として、雇っている体を装うにしても、表に出ている気配がない。
そう首を傾げる奉行を見つめ、セイは小さく息をついた。
「よろしいのですか? これ以上は、本当に、胸が焼けるほどに、気持ち悪くなるかもしれませんが」
「……どういう意味だ?」
「まだ、何かあるのか?」
上座の二人が、身を乗り出す。
セイは、黙って蓮を見た。
「……そのくらいの覚悟をして来るよう、その方にも言い含めてある。分かっている事、全部吐いていけ」
旗本の屋敷にいた子供の様子で、蓮も何か察しているようだ。
だが、険しい顔ながらも、話をやめさせる気はないらしい。
セイは、小さく唸ってから、前置きした。
「うちの人間は、子供好きもいますが、今のところ極端な者は集まっていません。ですが、この話を聞いた全員が、酒が不味くなったと、顔を顰める程の話です」
とんでもない前置きの後、若者は淡々と話し出した。
「正体の知れぬ子供は、買われた先では大人しい。その理由は、そちらの方も見た通り、薬漬けにされているからです。動かない子供を玩具のように扱い、飽きた後、もしくは扱いが雑過ぎて、息すら止まった後は、別な行き場が待っているんです」
「別な、行き場?」
息が止まったと言う事は、もう命すら尽きているはずの子供の行き場は、墓場と決まっている。
だが、その前があった。
「この国でも、刑死した者を、武家の方が手に入れた刀の、試し切りにすることがあると聞きましたが、本当ですか?」
「うむ、今の世は、争う場がないのでな。手に入れた刀を使う事もないのだが」
「この頃は、行われているのですか?」
眉を寄せた奉行が、直ぐに目を剝いた。
「まさか、その子供は、武家に回されておるのか?」
「ええ。それが、どこの武家なのかも、把握しています。お教えしましょうか?」
「……」
浪人者が、歯軋りした。
奉行も、目を剝いたまま黙り込む。
セイも黙ったまま、二人の様子を見つめている。
やがて、低い声で浪人が言った。
「その後の遺体は、どこからも出てこないと言う事は、どこかの山奥に埋められておるか、屋敷内のどこかに埋められておるか、なのだな?」
「山奥であれば、その武家の方の国に戻る道行の山、であると思われます」
何度も頷き、浪人は切り出した。
「その者たちの処罰は、儂がする」
「なっ」
目を剝いた蓮がつい声を上げたが、男が目を据わらせたままセイを見つめた。
「その武家の者たちは、どの国の者だ? 残さず答えよ」
「教えるのは構いませぬが、よろしいのですか?」
「構わぬ。調べ上げた上で、儂が裁ける場に持ってゆく。城の中で裁けるよう、蓮、出来るな?」
蓮が、大きく息を吐いた。
「ここで、出来ぬとは、言えぬでしょうが。分かりました、やりましょう」
「よし。セイと申したか」
「はい」
意外なほどにきっぱりと受けた蓮に、目を丸くしていたセイが、呼ばれてつい、返事をする。
「発端の旗本家は、お主らにくれてやる」
「え」
「あの家はな、我らにしても難物の家柄なのだ。お主らが、完膚なきまでに叩き潰してくれるなら、儂らとしても大助かりなのだ」
意外な申し出に、若者が目を見張ったままなのに構わず、浪人は真顔で続けた。
「その代わり、子供を買っていた商家は、奉行所で裁く。その家の詳細も、教えて行け。その後は、その旗本家を、煮るなり焼くなり好きにいたせ」
「……承知、仕りました」
深々と頭を下げながらも、セイはこの成り行きに、珍しく呆然としていたのだった。
奉行の屋敷内で、それを聞いた男三人も、同じように呆然と固まった。
「どれだけ、頭が柔らかい人なんだ、その殿は?」
一足先に我に返ったエンが、呆れたように呟いた。
「柔らかいと言うか、豪快な人だったよ」
眠そうに返したセイは、言葉が出てこない二人を見た。
「これで分かっただろ。話を合わせることは、何もないよ」
「……それにしても、そのお殿様、試し切りしてたお武家を、どう言う風に裁く気なのかしら?」
裁くためには、どうしても旗本家の罪を、暴かなければならないはずだ。
なのに、元凶の旗本家の処罰は、自分たちに任せると言う。
唸るロンに、セイは欠伸をかみ殺しながら、答えた。
「蓮に命じると言う事は、禁じ手の何かを使うんだろ。私は、あの人のお手並みを拝見してから、動きたいと思ってる」
「そうですね。その頃には、エンも身の振り方を考えているでしょうし、他の者たちも集まっているでしょう」
「ん? オレが何か、身の振り方を考えなきゃ、いけないのか?」
屋敷内の住人たちが緊迫する中、盗賊に属する四人はすぐに話題を変え、全く関係のない話で揉め始めたのだった。
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