第5話

 日が完全に暮れた刻限に、江戸に入った男がいた。

 昔のこの辺りも知っている男で、久し振りのこの地の有様に、いい意味で驚きながら、夜道を行く屋台や、袖を引く女たちの傍を通り過ぎてゆく。

 繋ぎが取れた連れたちの話では、ある寂れた通りにある山の中の、寂れた寺に隠れ住んでいるらしい。

 この辺りの気になる話を耳にしながら、他の連れたちも江戸入りしたはずだ。

 それを元に、頭である若者が、獲物となる押し入り先を、決める事になっていた。

 男は、耳にした話に気を落としながらも、連れと合流するべく足を速めていた。

 そんな男に、気楽に声をかけて来た者がいる。

「お、久し振りだな、ロン」

 薄暗い中、何の用心もなく、声をかけて来たのは、若い男だった。

 提灯の一つも持たず、長屋の木戸の前に立ち、男に笑いかける。

 大きな男は、その体躯にも物おじしない、小さな男を見返して目を見張った。

「……来ていらしたんですか、この国に?」

「ああ。江戸へ直接来た」

「一体、どう言う風の吹き回しで?」

 つい、そう問いかけるのは、この若い男に化けた男が、この国を避けているのを知っているからだ。

 喧嘩仲間を手にかけ、己も危うく死にかけた国。

 失ったものが多すぎて、近づきたくなかったはずの、島国だった。

「あの場所は、避けて来た。それに、それが何年前の話だと思ってるんだ。もう、そこまで気にしていない」

 本当か、と疑う男に、竹蔵と名乗っている男は、気楽に続けた。

「ヒスイが、この国に入った。あいつ、こういう暮らしや人を使う事に慣れてないからな、慣れるまでは一緒にいてやろうと思っている」

「ヒスイが?」

 なぜ、と訊き返そうとして、思い出した。

 この国入りでは、メルは同行していない。

 だが、聞いているのだろう、この国の江戸に、下の倅がいると言う事を。

「……」

「メルから聞いたが、苦労しそうな年代で、時を止めているそうだな。早く会いたいと、ヒスイも願っているようだ」

 竹蔵は、言いながらも首を傾げた。

「しかし、ヒスイの子が二人目もいたとは、驚きだったな。女の方は、子を産んだ後、すぐに鬼籍に入ったと、聞いていたんだが」

 そんな事を呟く男に、ロンは咳払いをしてから、問いかけた。

「カスミも、ここに来ていると、聞いているのですが」

 時々、思い出したように便りをくれる、ロンの幼馴染で従兄弟の男だ。

 ヒスイが来ているのであれば、手を差し伸べるくらいには、兄弟想いの一面がある。

「ああ、来ているぞ。少し、面白い事になっている」

「面白い?」

 嫌な言葉だ。

 思わず眉を寄せた男に、竹蔵は楽しそうに笑った。

「ヒスイが、江戸に入る前に、子供を拾ったそうだ。二人も」

 だが、小さすぎる子供で、養う自信がない。

 そこで、近くまで来ていたカスミに、助けを求めたらしい。

「一人ずつ養うために、町民の身分を買ったらしい。今は、どちらも真面目な商人と大工だ」

 しかも、女手にも手を回した。

「琥珀と寿に声をかけて、手を借りている」

「は? ……コハク様が、来ているんですか、この江戸に?」

「ああ。本当に面白い取り合わせになっているぞ、一度見に行けばいい」

 あくまでも楽し気な男の言い分に、ロンは困惑しつつも頷いた。

 その話を耳に入れるために、こんなところで待っていたのかと呆れる男を見返し、竹蔵は真顔になった。

「お前の所の、今のお頭な……」

 つい、体を強張らせたロンに、男はやんわりと言った。

「信じるに値する奴、なんだろうな?」

「勿論です。どうしてですか?」

「いや……」

 竹蔵は、近頃起こった出来事を、手短に話してから、言った。

「その女を付けたら、久し振りの娘っ子と会った」

 ジュリは、子供の頃から知っている。

 小鬼とも久し振りに、遊んだ。

「あそこまで喜ぶとは。お前ら、ちゃんとあの子鬼どもと、遊んでやっているのか?」

「生憎、お手玉は、苦手なんです」

 あんな動く玉では、尚更難しい。

 そう言うロンに、男は小さく頷いた。

「まあ、高い高い、の様なもんなんだがな」

 一匹ずつは手間だから、まとめて回すだけで、竹蔵からすると、その感覚だった。

「うちの頭と、会ったんですか?」

 会ったのなら、先の疑いを持つはずはないと、ロンは慎重に問うと、男は首を振った。

「ジュリは、足止めでオレの相手をしただけらしい。どこか、付けられては不味いところに、向かったようだな」

 竹蔵の友人だった男の倅と女を連れ、頭の若者はどこかに向かったようだ。

「ジュリが、その頭に従っているのは不思議だが。どこに向かったかは、分からない。だが、想像は出来る」

 男は真顔で、ロンを見返した。

「……それは、あり得ません」

 黙った竹蔵に、その答えを読んだ男が、きっぱりと言った。

「今更、我々を売るような真似、あの子はしない」

「そうか? 近頃どうも、お前らの動きが鈍くなったように感じるが、そいつが、何か刷り込んでいるんじゃないのか?」

「それは、あります」

 あっさりと認めた男は、眉を寄せた竹蔵に笑いかけた。

「慎重に慎重を重ね、起こっている事を、さらに大きな事でかき消して治める。もしも、あの子が向かった先が、あなたの言う場所でも、何か仔細があっての事だと思います。決して、我々を売るために、そこと繋がったわけではないはずです」

「信じているのか、そこまで? それ程の奴なのか? あの若造が?」

 結局、遠目からしか見ていない、若者の姿を思い浮かべ、竹蔵は小さく唸った。

「そこまでの大物には、見えないんだがな」

「……」

 そんな男を見ながら苦笑したロンは、一礼してその場を離れようとしたが、竹蔵はその背に声を投げた。

「その頭、今は一人で動いているぞ」

 立ち止まって振り返る男に、ゆっくりと続けた。

「ある屋敷に、別な奴をつけて行って、偶々見つけた」

 その別な奴は、正体も知れている上に、戻る場所も知っている。

 だから、若者の方を、気づかれぬように遠くから後をつけ、行先を突き止めた。

 竹蔵は、その行き先を、ロンに告げた。

「あのお頭、今まさに、町奉行の屋敷で、密談の真っ最中だ」


 密談には不向きすぎる、長屋の住まいの中で、大事な話が繰り広げられていた。

 スカスカの声での密談で、聞き耳立てられていても、これを聞き取れるか、怪しい。

「……あの旗本の屋敷に、行ったんですか?」

 ゼツが、小声で咎めるように言うと、戒は身を乗り出した。

「知ってるのか、あの屋敷内のあれを?」

「ええ。あそこは、私たちの次の獲物となるはずの、所よ」

 ジュリが頷くと、男は目を鋭くした。

「おい、聞いてないぞっ?」

「言ってないもの」

「あなたは雅さんと、山へ帰るのでしょう? 聞く話ではないです」

 無表情に言い切る男に、戒が歯軋りした。

「あいつら、変な薬を蔵の中にまき散らしていたぞ。それも、知っているのかっ?」

「……まき散らして? 煙管で吸う薬じゃないのか?」

 エンが首を傾げてつい返すと、この中で一番大きな男が答えた。

「それは、若旦那たちに勧められていたものですよ。成程、ああいう者たちを薬漬けにするなら、そちらの方が手間がない」

 阿片以外の薬を、子供にどう吸わせていたのか不思議だったゼツが、得心して頷いた。

「症状も、軽い子が多いって、言ってたもの。連れ出すのが早かったのかと思ったけれど、強い薬ではなかったのね」

 ジュリも頷き、住まいの片隅で、小さくなっている残りの客たちを見た。

 消えてなくなりたい気分で、土間に座る女二人の前に、庇うように女侍が座っている。

「阿片を、若旦那方に勧めていたのは、あなた方ね?」

 やんわりと問う声に、白銀と黄金と名乗った女は同時に頷く。

「どうして?」

「金が、欲しかった」

 素直に答え、白銀は再び身を縮めた。

 代わりに、黄金が言う。

「山越えするにも、まだ、そこまで力が戻っていない。どんな奴に目を付けられるか分からないから……関所を通るための、手形を買いたかった」

「手形?」

 容易く買える物だったかなと、少し考えた大小の男女の代わりに、大女と男の二人が頷いた。

「なるほど。女子は関所を通る時、武士が残した奥方や、ご母堂の江戸抜けを防ぐために、身元の充分な手形がいるんでしたね。大枚をはたけば、買えるとは聞いています」

「お武家様は大変だね。ご正室の間に、お子を作る間も、余りないんじゃないのかな」

「蓄財をさせない方が、力を持つ武家の方々が、謀反を起こす勢いを削げるわ。それに、お世継ぎの方は、ご正室でなくても、国で見繕えば、作れない事もないもの」

 嫌な話だな、と雅が顔を顰める。

 要らぬ諍いを回避する、それは分かるが、その財政の面で苦しくなる国は、当然国の者にしわ寄せをする。

「ただ、面白い事に、江戸から遠い国の方々は、この件に全く係わっていないんです。そんな画策するより、どうにかして、やりくりする方を選ぶんでしょう」

 特に長崎は、他の国との繋がりも深いから、その面でのやりくりも、大名たちの腕の見せ所だ。

 江戸から近い国の中で、秘かに画策された立て直し案が、自分たちの目に止まった。

「……まあ、先に、わざわざ江戸から、迎えに来た者がいたんですがね」

「ん?」

 初耳のエンが短く促すと、ジュリが言った。

「薩摩の多恵さんの所に、お江戸のお偉い方から、迎えが来たんですって」

「ああ、なるほど、老い先短いご老体って、多恵さんのことか。聞いたら怒るんじゃないかな?」

 和やかに話していた男女が、土間の女たちに目を向けた。

 その迫力に、二人の女は首を竦めるが、女侍は背筋を伸ばして見返す。

「ここからは、こちらが知りたいことを、素直に話してくれるかな?」

 エンが穏やかに切り出す。

「ああ。分かることは、私が答える」

 望月千里もちづきちさとと名乗った女は、神妙に頷いた。

 それに頷き返したエンは、尋ねた。

「まず、どうして、堅実そうな大店や、真面目な職人の倅を、狙ったんだ? 金目当てで薬を売るのなら、遊び人相手でも良かったはずだろう?」

「それは、順序が違う。黄金たちは、薬を売るために雇われたわけではない。そちらの者が言っていた、財政立て直しに、江戸の金持ちを巻き込んだ方が、疑いを持ち始めた者達を、貶める為に雇われた」

「貶める?」

 千里は頷き、話し出した。

「一年余り前の話だ。白銀が、どこからか話を拾って来た。ある国の殿が、汚い仕事をしてくれる女子を探していると」

 どういう汚さか、その時は分からなかったが、白銀が聞いて来た話は、思っていた汚さではなかった。

「真面目な町人の倅を、口先で転がして誘い、薬漬けにする。その件で怪しまれても言い逃れできるように、その町人に近い家柄の者もそちらに誘い込むか、家の者を誑かして娘を傷者にする。それを、この一年余り続けていた」

 こちらを疑う事に、頭を使う暇を失くす、それが狙いだった。

 途中から、通えなくなった男たちが出始め、娘に懸想させた男たちの動きも鈍くなっていたが、その殿から辞める命が、中々でなかった。

 今の江戸の最高位の殿は、随分と恐れられているようで、雇い主は、些細な話すらかき消したいと、考えていたようだ。

「だが、どうやら、買い手の方から、苦情が続くようになったらしい。大枚はたいて買った品が何故か消えて、医者や役人の元に現れる騒ぎが続き、しかし、それを役所に届けるわけにはいかず、売り手に文句をつけて来るようになった。ほとぼりを覚ます事を考え始めたそのお方は、ようやくこの二人を離してくれた」

「しかも、その男のお蔭で、口封じして金を取り返す、ってことを考える暇もなかったようだ」

「その件は、御礼を言っとくよ」

 徐々に元気になった二人の女が、戒に笑いかけた。

「……礼なら、見える物でしろっ」

「ええ、嫌だ。オレ、お前みたいな男、好みじゃない」

 軽口が飛び交う中、雅が目を険しくして、千里を見つめた。

「その品って、子供なんだね?」

「ああ」

「お紺と言う娘に限り、外に呼び出したのは、どうしてですか?」

 ゼツの問いに、千里は少し眉を寄せた。

「恐らくは、公な騒ぎにして、逃げる時を、稼ごうとしたんだろう」

 その殿にしても、この女たちにしても、逃げる算段は、早く立てるに越したことがないと、意見が揃ったのだろう。

「失敗したけどね」

 まさか、あの山に、人が出入りしているとは思わなかった。

 頷いた白銀が、首を竦めた。

「しかも、こんな獣が」

「あなた方だって、獣でしょう?」

 ゼツが目を細めて返した。

「狸だと思ったんですが、違うんですか?」

 しかも、稀に見ぬほどに、弱い妖しだ。

「それなのに、どうして二人に、分かれているんですか?」

「それは……」

 二人は顔を見合わせてから、黙り込んだ。

 それを困ったように見つめ、千里が答える。

「分からない。だが、私が気づいた時には、その姿で傍にいた」

「気づいた時?」

「……私は、元々、ある国の家老の娘だ」

 幼い頃から厳しい父親の元、千里は剣を学び、国の大事にその力をふるって来た。

「そんな私の、どこを気に入ったのか、隣の国の殿が、側室にと申し出て来た」

 きっかけは、幼馴染でその国の殿の、正室となった女だったようだ。

 仲の良かったその女は、自分の話し相手として、江戸に一緒に行って欲しいと、そう願ってくれた。

 後を継いだばかりの殿も、千里と会って気に入ってくれ、それはいいと承諾してくれたらしい。

「家の方は、父の妾が男の子を産んだのでな、私は側室とは言え嫁の行き手があったと、喜んでその国に向かった」

 その途中の山で、悲劇が起こったのだ。

「元々、その山には鬼が住まっていて、その山に入る者は札となる木札を懐に忍ばせておくのが、習いとなっていたのだが……気づいたら、その札が入れ替えられていた」

 嫁入りの行列、と言うには簡素な、その行列に駆り出された者たちのものも入れ替えられていたようで、一匹とは言え大きな体の鬼は、臆することなくその行列に襲い掛かった。

 千里は刀を振るい、行列の者を少しでも逃がそうとしたが、直ぐに振り払われて、絶命した……はずだった。

「……気づいたら、見知らぬ刀を手に、その鬼を足蹴にして立っていた。その傍に、この二人が、座り込んでいた」

 ジュリが目を細め、二人の女を見た。

「……人一人抱えるのは、一人じゃ大変だったんだよ。ましてや、命からがらで逃げるのに」

 白銀が、言い訳のように呟いた。

「二つに分かれた方が、力が分かれて一人の人間を、抱えやすかった」

「千ちゃんを、どこかに逃そうとしてたのか?」

 千ちゃん? と眉を寄せる千里の横で、白銀が首を振る。

「オレたちの、主、だよ」

 手痛い裏切りで、虫の息になった、武芸者の女。

 自分達とは違い、力があった式神に、突然命を狙われた。

「逃げるしか、なかった。あれ以上、あの方を、喰らわせたくなかった」

 二人に別れ、主の体を抱えて逃げていた山の中で、鬼に襲われる行列に行きあってしまったのだ。

「息もしていなかったはずの主が、その光景を感じて動いた。動かなくなった女の体に入ったのが分かった」

 主の体が、急に消えてなくなってしまったから、気づけた。

 突如起き上がり、鬼を圧倒しながら斬り捨てる女が、主と一緒になる事で死ぬことを免れた事に。

「とんでもない話に乗り、私も手を貸した。万事に値するような話を作り、あなた方二人を貶めようともした。許せとは言えないが、一言詫びたかった。逃げるにしても捕まるにしても。本当に、すまなかった」

「……」

 エンが、困ったように雅を見た。

 天井を仰ぐ女も、困った顔だ。

「ふん、許すはずがないだろうがっ。オレをあんな場所に閉じ込めただけでも許せんのに、ミヤまで窮地に陥れていたとはなっ」

 戒が勢いよく返すのを聞き、雅が首を傾げた。

「そうそう、戒がどうして、そんなに荒れるのかが、分からないんだよ。一体、薬に何の恨みが出来たんだ?」

 山で撮れた薬草や山菜を、近くの村で売って暮らしているから、今後の暮らしの為にも聞いておきたいと、女は考えての問いだったが、戒は詰まって黙り、何故かその場の男二人とジュリが顔を見合わせた。

「いえ、実は……」

 言いにくそうに、エンが話し出した。

「預かっている時に、戒を薬漬けにしてしまった事が、あるんです」

「え」

「それも、まさに、阿片だったわね」

 ジュリも頷きながら続ける。

「薬漬けにって、何の為に?」

 一瞬、自分も一緒に行けばよかったと悔やむ女に、ゼツが無表情に言った。

「それは、戒自身に訊いて下さい。我々は、オキにこの子を一任していました。ですが、あの人は幼過ぎたこの子を、どう扱えばいいのか、考えあぐねていたんです」

 セイの時は、ただ守ればよかったが、戒は剣を学びたいと言って来たのだ。

 幼過ぎる子供を、どこまで厳しく修業させればいいのか、全く考えられなかった。

 それゆえの放置と、それゆえの惨劇だった。

「どの隠れ家にも、痛み止めの用途で、危ない薬も保管していました」

 その中に阿片もあり、全く無防備に置いてあったのだ。

 いつからその薬の事を知り、吸い方を知ったのかは分からない。

 知った時には、なくなった阿片を探して暴れ、戒はオキに飛び掛かっていた。

「油断していたオキは、その時動けない程の大けがをして、暫く療養することになりました。我々も……」

「まだ、小さかった戒に、手を出せなくて、逃げ回っていただけでした」

「落ち着かせるために、阿片を用意しようかとも思ったのだけど、その前に収まったわ」

 ロンと買い物に出ていて、留守だったセイが、戻って来たのだ。

 姉貴分の目の険しさに、首を竦める戒を見ながら、ジュリは続けた。

「セイはすぐに戒を捕まえて、この惨事が薬のせいと聞くと、ロンにその薬の抜き方を聞いて、蔵に閉じ込めたわ。一月ほどだったかしら?」

「いや、一年は経っていたぞっ」

「そんなに同じ場所に長居することは、滅多にありませんよ」

 長居している方の、多恵の住まいにも一年いるかいないかなのに、あんなことが起こった場所に、一年も居座ったはずはない。

「あなたの勘違いよ」

 それだけ苦痛だったのだろうが、お蔭でこうして元通りに戻り、成長も出来た。

「……戒」

 深いため息の後、雅が口を開いた。

 呼びかけられた男は、背筋を伸ばす。

「薬は、過ぎれば毒だって、知っているはずだな?」

 尋ねる声音だが、返事は期待していない。

 女は、弟が迷惑をかけた者たちに向かい、深々と頭を下げた。

「オキの言う通りだ、私も一緒に行くべきだった」

「おい、ミヤが謝ることは……」

「そうよ。この子が薬に手を出したのは、こちらも見える所に置いていたせいなんだから。無断で薬に手を出したのは悪いけど、因果応報の罰は受けたはずよ」

「でも、その屋敷で暴れたのは、八つ当たりだろ? 途中でやめてくれたからいいものを、あなた方の仕事の邪魔をしそうになっていたなんて」

 ほとほと呆れた雅に、戒は力強く言った。

「やめる気はなかったぞっ。本当は、全員皆殺しにしてやる気だったんだ」

 鋭い目で睨む女に圧されて男は黙ったが、エンは首を傾げた。

「その気でいたのに、どうして、この家の前に寝ていたんだ?」

「誰かに邪魔されたんだっ。お前らの中の誰かだろっ」

「……」

 誰かに割り込まれ、刀の鞘の先で突かれたと言う。

「姿を確かめる間もなかったぞ。そんな奴、お前らの同胞にしか、おらんだろうが」

 エンが、妙な顔で黙り込んだ。

 ゼツも天井を仰ぎ、ジュリは小さく唸った。

「そうね、私たちの中の誰か、とも考えられるけど……」

 呟いて二人の男を見た。

 見返した二人は黙って頷き、エンが切り出した。

「今夜はもう遅くなりそうです。良ければ泊って行ってください」

 千里が目を丸くし、白銀がついつい返す。

「い、いいのか?」

「ええ。その代わり、雅さんとジュリの遊び相手に、なってあげて下さい」

「え、いいの?」

 雅の顔が輝き、ジュリも微笑んだ。

「いいわね。この際、戒もこってりと、絞っておきましょう」

「ええ、お好きにどうぞ」

 ゼツが無情にも答え、エンと共に立ち上がった。

 獲物を見る目になっている女二人を見返し、エンは言葉を投げた。

「くれぐれも、声を張り上げないように、遊んでくださいね。ご近所の方の、迷惑にならぬよう」

「分かってる。声を出せないように、しておくから」

 雅が、恐ろしい言葉を返す。

 気配が物騒になった女二人を前に、客と戒は逃げる事が出来ずに固まっている。

 女に笑い返して外に出た男に、ゼツはしみじみと言った。

「術の使い方も、上手くなっているようですね」

「らしいな。オレの前では、あまり見せてくれないが」

 言葉を返しながら、二人は歩き出した。

 場所は、間違いでなければ、あそこのはずだ。

「そう言えばエン、あなた、戒を見捨てましたね?」

 旗本の屋敷まで行ったと言っていたエンが、女二人をつける事を選んで、戒を放って来た。

「あの子も大人の年だぞ。自力で出れない様では、雅さんを困らせるだけだ」

「絞られて、少しはいい子に、戻ってくれればいいですね」

 心にもない事を言い、ゼツは話を変えた。

「気づきましたか、さっきの侍の話」

「ああ。あれは、どちらだろうな」

 お守りである木札を、すり替えたのは誰か。

 嫉妬にかられた正室か、娘を手離したくない父親か。

「父親のようですね」

「……やはりか」

 正室は、話し相手として、江戸に一緒に行って欲しいと、そう考えていた。

 つまり、千里は、殿の寵愛を受ける機会は、ほぼなかった。

 国に住んでいる術師が、山越えする者たちの為に、安全を祈り作り上げる代物だ。

 効き目があるからこそ、持ち歩かれていたのだろう。

「それを入れ替えられるのは、身内とその身内を操れる者でしょう」

「嫌な話だが、そういう事もあるか」

「嫌な話ですが、我々からすると、得心する話です」

 人間は、親子間での恩仇にこだわる。

 特に父親母親となった人間は、産んだ子供を自分の思うように育てたがる。

 命がけで子を産み育て、巣立った後は全く気を止めない、他の動物たちとは大違いだ。

「あの人の父親、娘に執着するあまり、嫁にやりたくなかったんじゃないか?」

 だが、相手は隣の国の城主だ、断れなかった。

「それはこちらからすると、どうでもいい話です。ただ、その話、数年前の事のようですよ。まだ、当時の者たちも存命のようです」

「ん?」

 江戸に入る前、通る村々で伝え聞く話の中に、その話に似たものがあった。

 娘に嫉妬し、鬼と取引をしたある国の家老の話として。

「場合によっては、隣の国の城主の母となるかもしれない娘と、冴えない国の家老のまま、生涯を終える父親では、どちらが上になるか。話とは少しだけ、違う経緯のようですが」

 些細な違いだ。

 昔から鬼が住むと伝えられていただけで、その頃には本当にいるのか、既に分からない所にまで来ていた。

 だからこそ、木札をすり替えると言う、子供のような嫌がらせじみた事を、嫁入りする娘に対して行い、行列に臨む者の、身内をそそのかしてしまったのだ。

「隣の国の城主の詰問に、泣きながらそう答えたそうです、その父親」

 隣の国は、冴えないその国と違い、土地も広く豊かな暮らしをしていた。

 そんな国に、自分の国の娘が嫁げるとあって、城主も高揚していたようだったが、その娘の父親で自分が信頼していた家老の、軽はずみな動きが全てを無に帰してしまった。

「その父親は切腹して果て、家は断絶。国も見る間に衰えて、数年前に無くなったそうです。あの人の弟やその母親の事は、誰も知らない様でしたが、あの人の母上は、平穏に暮らしているはずですよ、この江戸で」

 娘を亡くし、夫にすら先立たれた女は、娘の幼馴染に江戸に呼ばれた。

 男手一つで育てられたその幼馴染は、昔から女を母のように慕っており、仲良く殿が江戸入りする時を、待っていると言う。

「もしかしたら、本当は、母親に会うための江戸入りだったかも、知れないですね」

 自分たちにすら、楽に耳に入った話だ。

 死んだ後、親を気にしていたであろうあの女が、知らなかったはずはない。

「女の人は、江戸に入るのは楽だが、出るのはすこぶる難しいと聞く。それを覚悟しての江戸入りなのだろうが、とんでもない騒ぎに乗ったものだな」

「全くです。件の旗本とは全く係わりないはずですので、その辺りの心配はありませんが」

 大人しくついて来た三人には、口封じの意味合いはないと言う考えに、ゼツは行きついているようだ。

「しかし、あの分だと、関所を通らずに済みそうだな。雅さんが、気に入ったようだし」

「……」

 山越えに不安があるなら、不安のない者と共に行けばいいのだ。

 雅はこの一年ほどで、見違えるほどに強くなった。

 戒も、うかつな所はあるが、あの図体で迫力勝ちできる。

 戻った時には、あの三人の道連れになる方向で、話がまとまっているかもしれない。

 そう言って笑うエンに、ゼツは精一杯眉を寄せている。

「ん? 何だ?」

「いいえ。想像以上の朴念仁だったのかと、考えを改めただけで、深い意味はありません」

「誰の話だ?」

 眉を寄せて聞き募る男には曖昧に答え、大きな男は辿り着いた屋敷の門前を見た。

 そこに、男が一人、立ち尽くしている。

 ゼツよりは小さいが、エンよりは大きい、そんな背丈の男は、暗くなった道から歩いてくる二人に、すぐ気づいた。

「あら、二人共、どうしたの?」

「あなたこそ、まだこんな所にいたんですか。てっきり、山の方へと登ったのかと……」

 江戸入りは聞いていたが、ここで会うとは思わなかった。

 素直に驚く二人に、男はいつものように笑った。

「そのつもりだったんだけど、先に話を合わせた方が、何かと困らないんじゃないかと思って、待っている所なの」

「待っているって、誰を、ですか?」

 不味い人に、見抜かれた。

 そんな思いで、エンが穏やかに返すと、男は人を食ったような笑顔で答えた。

「あの子を、よ」

 門の方へと目を動かしながら言う声につられ、二人もそちらの方へと顔を向けた。

 門の横の潜り戸から、身をかがめて出て来た傘を被った人物が、背筋を伸ばして顔を上げる。

 後ろの扉が閉まったのを見てから、傘を上げた若者が僅かに微笑んだ。

「ようやく、追いついたのか、ロン」

「ええ」

 頷いたロンに頷き返してから、セイは久しぶりに会う兄貴分を見返した。

「お帰り、でいいのか?」

「ああ。元気そうだな」

 短い言葉を交わした後、若者は黙って傘を被り直す。

 そのまま歩き出すセイに、ロンが声をかけた。

「山に戻る前に、話の照らし合わせを、させて頂戴」

「何の為に?」

 無感情な声に、不機嫌さが混じっている。

 この子が不機嫌になる理由は、一つだけだ。

「眠いのは分かるわ。堅苦しい方を相手に、色々難しいお話をしていたんでしょ? こうして騒ぎを起こさずに出て来たって事は、そのお偉い方々にも損はない話になった、そう言う事よね?」

「……」

「だったら、今集まっている子たちに話してはまずい事を、あたしが話してしまうかもしれないわ」

 立ち止まったセイは振り返らずに、答えた。

「大丈夫だよ。その件は、こちらで引導を渡す。あんたが心配するような話には、していないよ」

「いやだ、心配なんかしてないわ」

「そうか? どこかの大工の入れ知恵で、ここで待っていたのに?」

 珍しく、若者の声に笑いがこもった。

「怪しいのは、重々承知しているよ。あんたが、その人の弁をつい信じようと思う気持ちも、分かる。遠目で見る限り、あんたと顔見知りなくらいには、年を重ねているようだったからな」

 ロンやカスミよりも年かさかもしれないと、セイは遠目で見て思った。

 しばらく前から、雅をつけていた大工風の若い男。

 旗本の屋敷から、今日はこの屋敷にまでついて来た。

 撒くのが面倒になり、そのままにしていたのだが、後からそう言う疑いもあり得ると、思い当たった。

 顔見知りで、親しい間柄なのなら、自分の動きは怪しく、注進されるのは仕方ない。

「……確かに、あの人とは顔見知りで、親しいわ。でも、あなたを疑うなんて、あたしはしていないわ」

 それは暗に、注進はされたのだと、言っている。

「怪しいのは、重々承知しているのでしょ? なら、言い訳位はして頂戴。あなたが決めた事なら、どんな話でも呑む覚悟はある。あなたが本当に、役人に突き出すつもりでも、ね」

 見捨てられるのなら、仕方ない。

 捕まった者たちと共に自力で逃げて、若者とは顔を合わせない場所で、同じことを始めればいい事だ。

 だが、この子はそんな事はしないと、ロンは知っていた。

 もし、自分たちを嫌っているのなら、初めから戻るか否かを、悩むことはなかったはずだ。

 足を洗った数十年後再会した若者は、自分たちの嘆願に躊躇い、考えた末に首を縦に振ってくれた。

 嫌なら、逃げることも出来たはずなのに。

 根は素直な子で、ちゃんと話せば分かってくれ、言い訳もしてくれる。

「だから、それは明日でもいいだろ?」

 頑なな理由も、相当強い眠気に襲われているからだ。

「いや、話を聞くなら、今しかないな」

 エンが、穏やかに答えた。

「何で? あんたが雅さんと別れるのは、明日以降になるんだろ?」

「そうだが、今なら、誰もお前の動きに、疑いを持っていないんだろ? それに、明日になったら、本音を隠せる頭も戻るだろう、お前は?」

「……」

 露骨に顔を顰めるのも、眠気を強く感じているせいだ。

 言葉を探して、言いくるめる頭が、今は動いていないのだ。

 対するロンの方も、実はここまで殆ど休まずに来ていて、遠慮して引く気力がない。

 舌打ちするセイに、不意に声がかかった。

「何でまだ、ここに突っ立ってんだ? いつまでたっても、送って行けねえじゃねえか」

 閉じられていた扉を開き、蓮が呆れた声をかけた。

 目を細めて見返すロンに目を向け、不敵な笑顔を向ける。

「何なら、この中で話すか? 奉行の家だが、話の分かる人だぜ?」

 蓮としては、去るお方を、早く住まいに送ってしまいたい。

 そんな気持ちでの案に、セイが溜息を吐きながら頷いた。

「夜も更けてるから、その方がいいかもな。どうする?」

 嫌がらせに似た案に、三人は一瞬顔を見合わせたが、すぐに頷いた。

 こうして無頼の輩四人は、町奉行のお屋敷にお邪魔する事となった挙句、一泊の宿を借りる事となったのだった。

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