第4話

 雅は、その日ジュリと会った途端、嘆いた。

「エンに、逢引きがばれたかも知れない」

「逢引きって、どちらとの? 私? この子?」

 やんわりと笑いながら、ジュリは首を傾げて、一緒に来たゼツに目を向ける。

 町娘の姿で、髪も地毛とは違う。

 色しか変えていないと言う事だから、本人が言う通り、この国が故郷なのだろう。

「オレは、もう少し小さい女子の方が、好みです」

「その図体で、何を言ってるんだ?」

「小さいって……あなた、いつから子供が好きになったの?」

 思わず鋭く返した雅より、やんわりと返したジュリの言葉に、男は慌てた。

「その小さいではありませんっ。子供は、今も昔も、苦手ですっ」

「そうよね。でも、今の獲物を追っている内に、思いが変わったのかと思ったのよ」

「そんなに簡単に、好みが変わられても、ねえ」

 どこまでが本気で、どこから揶揄われているのか、ジュリのやんわり笑顔と雅の優しい笑顔の元では、分からない。

 仲のいい、この二人の馴れ合いが見られるのも、あと僅かだ。

 雅は自分達と合流した後、戒と山へと戻る事になっているのだ。

 同年代の娘と話す機会が少ないジュリの、生き生きした姿は見ていて嬉しいが、雅が心変わりしてエンと共に自分たちと動くと決めたら、大きな割に気の小さいゼツは、もっと肩身が狭くなる。

 三人は、旅籠が多く出ている町で、ある人物が泊っている旅籠の前で、待ち続けていた。

 と言っても、雅はエンの目を盗める昼過ぎからやって来たのだが、今日は先の嘆きを第一声で口走ったのだった。

 オキが、雅が材木問屋の娘を見舞いに来たと言ってきた後、セイはすぐに女と繋ぎを取った。

 が、あれでも一応は男で、長屋に真っすぐ訪ねるわけにはいかず、ジュリに事情を話して外に連れ出してもらった。

 こちらの事情をかいつまんで話し、雅の方の話を聞くと、どうも厄介な話に巻き込まれたらしい。

「……憑いてる狐と、疑われたのか」

「と言うか、そう言う事情にしておけば、急な病にも得心するって事だろ。本当に、人間て、こぎつけが好きだよね」

「オキにあの店を見張らせているのは、一つだけ、分かりにくくて手が出せなかった話に、手を付ける事が出来そうだと思ったからだ」

 他の時には、その欠片も見いだせなかった、一つの糸。

「他の時って、ああ言う病になった娘さんが、他にもいるのかっ?」

 思わず険しい顔になる雅に、隣でゼツが身を縮めたが、セイはあっさりと頷いた。

「気づいてからは、オキが予兆のある娘を見張って、事なき様に治めてたんだけど、材木問屋の娘の時は、家の中での事じゃなかったからな」

 オキがどの家からも目を離し、戻っていた時に、偶々自分たちがいる山で、お紺と言う娘は襲われていた。

「あの娘も、そうなるだろうと注意はしてたんだけど、まさか、外でそんな事態になるとは、思ってなかったよ」

 だが、そのおかげで、分かった事があった。

「薬を売りに来ていた女も、あの場にいた女と同じか、似たような奴か。どちらにしても、その女が何者かを突き止めれば、いくつかの糸口がはっきりとする」

 まだはっきりと、話が飲み込めた訳ではないが、雅は頷いてエンが言っていた、侍の話をした。

「そのお武家が、狐憑き云々の話を、材木問屋にもその大工の家にも持って行ったらしいんだ。もしかしたら、その女とつるんでいるのかも」

 聞いていたその姿かたちを話すと、次に会った時には、その居場所を見つけていた。

「後は、その女と会う所を捕えれば、あんたの方は治まりそうだな」

「そうか。良かった」

 雅は、ほっとして微笑んだ。

「最後、後味悪いままで、エンと別れる事にならなくて、良かった。今夜にでも話して、その女を捕まえてもらおう」

「……」

 セイは、まじまじと女を見返した。

「何だ?」

「いや、本当に、修業だけだったんだな」

「当たり前だろ、他に、どんな理由があると?」

 笑った雅に答えたのは、二人を交互に見ていたジュリだった。

「エンと一緒に、うちにいる気は、ないの?」

「無理だよ。私には、血みどろの暮らしは、出来ない」

「別にいつも、血みどろのことしてるわけじゃ、ないのよ」

 心外と顔を顰めるジュリと、目を細くするゼツに苦笑し、女は言った。

「知ってるよ、でも、その気質は、ただ暮らしている時でも、出て来るんだよ」

 度が過ぎる怒りを覚えると、意識していないつもりでも、相手を煽ってその攻撃を防ぐと言う、言い訳を作り上げようとする。

「それを止める役を、セイが担っているわ。それに、私やこの子も、我を失くすほど怒ることないから、手伝っているの」

 この子、とジュリがいつも指すのは、大きな図体をしたゼツだ。

「それに、長生きしない子たちは、結構扱いやすいのよ。だから、注意しなくちゃいけないのは、私たちの様に、寿命が曖昧な人たち」

 そういう者たちは、一様に力もあるから、人手はいくらでも欲しい。

「悪いけど、そこまであなた達の事、気にしてないから」

「そう……」

 残念そうなジュリに、すまなさそうにしてはいるが、考えを変える気はない様だ。

 まだ親しくなって間もないのだから、別れがつらくなる前にそう決めてくれるのなら、それに越したことはない。

 ゼツはそう考えただけだったが、セイはしみじみと雅を見た。

「そうか、今のところ、気になるのは、エンだけか?」

「あなたの事も、気にはなるよ? 色々無茶するし」

 だが、セイも大人の年齢だ。

 心配も度を過ぎては、相手の身を危うくすると、女は知っていた。

「気にしないでいいよ、私の事は。これでも、嫌々やっているわけじゃない。ただ、あんたが望むなら、持って行ってくれてもいいぞ」

 妙な事を言い出した若者に、雅は目を瞬いた。

「持っていくって、何を?」

「エンを」

「……」

 きっぱりと答えたセイを、その場の三人が、言葉を失くして見つめた。

 すぐに我に返った雅が、笑いながら返す。

「持って行けって、物じゃないんだから……」

「物みたいに、持って行ってくれれば、助かるんだけど」

「どうして? あなたの、兄貴分なんだろ?」

 尋ねる女に、セイは眉を寄せた。

「私があいつの弟分だと言う事と、持って行けないって言う事情が、重なるのか?」

「まあ、重ならないとは、言えないかな。エンは、あなたの事を、とても大切にしているじゃないか」

「それは、私の死んだ祖父に、恩義を感じてるからだ。私自身を、気にしているわけじゃない」

 その返しには、ジュリがつい言い返した。

「そんなはずないでしょう? 恩義だけで、あそこまで心配するはず、ないわ。私だって……あなたが、お頭だから、大切にしているわけでも、心配するわけでもないわ」

 黙ったままのゼツも、大きく頷いているのを見て、セイが呟いた。

「……心配、なのか」

 ごく僅かに、その顔が陰った。

 雅が目を見開いて見直した時には、いつもの様子で溜息を吐いた。

「まあ、無理強いはしない。でも、持って行きたくなったら、こちらを気にせず、勝手に持って行ってくれ」

 その日の夜も、エンに三人と会ったことを、雅は話しそびれてしまった。

 その前に話さなかったのは、事が少し進んだ後にと考えての事だったが、この夜は躊躇いが出来てしまったのだ。

 この数日、ずっと話しそびれているのは、あの時セイが見せた、珍しい顔が気になったせいだ。

 そのセイは、本日は別行動らしく、姿が見えない。

「その、竹蔵さんが、ついに話したんでしょうか?」

 気を取り直したゼツが、雅の嘆きを受けてそう問いかける。

 そうしながらも、何とかその匂いを辿ろうとするが、やはり分からない。

「どうなんだろう。昼間、木戸の前まで戻って来ていたのに、暫く立ち止まっていたと思ったら、どこかに行っちゃったんだ」

「話を聞いて、焼き餅かしら?」

 楽しそうに笑うジュリは、先日の奉行所の二人と会うに当たり、竹蔵の足止めを買って出てくれた。

「うちの子たち、久し振りに遊んでもらって、喜んでいたわ」

 奉行所の面々と顔合わせした後、妙に嬉しそうに言っていたジュリは、あの男が何者か分かっているようだ。

 何者なのか尋ねた雅には、昔馴染みだと答えてくれたが、人差し指を唇に当てて、小さく言った。

「言わないでね。問い詰められたら、セイにも、答えないといけないから」

「セイは、知らない人なのか?」

 つけられているのに気づいたのは、鼻の利く二人ではなく、セイだった。

 だからてっきり、あの若者も知っているものと、思ったのだが。

 ジュリは困った顔で、首を振った。

「会った事も、ないみたいなのよ。だから、どう教えてあげればいいのかも、分からないのよ」

「?」

 話の細々としたところが分からないが、雅が深く知ることではない。

 今は、女を捕まえる事を考えようと、旅籠の方へと目を向けた時、ゼツが小さく声をかけた。

「あの侍です」

 傘を片手に、旅籠から出て来たのは、確かに雅を同じくらいの背丈の、色白の侍だった。

 着流し姿に、大小の刀を差した姿は、様になっている。

 しかし……。

「あんなことって、あるのか?」

 つい、間抜けな声で問いかけてしまう雅に、ジュリはしみじみと頷いた。

「それ、私も、見た時思ったの。珍しいわよね、一つの体に、二つの人間がいるわ」

「数え方が、おかしくありませんか?」

 人の数え方としては間違っているが、この場合はこちらの方が落ち着く。

 人間そのものが、ではなく、魂と言うべきものが二つ、一つの人間の体に収まっている、そんな感じだった。

「しかも、あれって、娘さんじゃないか」

「そうなのよ。私、ゼツに言われて、初めて気づいたのよ。よく見たら、綺麗な娘さんよね」

「勿体ない」

 嘆いた雅に、ジュリもしみじみと頷く。

「本当にね」

「……」

 一々、口に出して咎めるのも疲れ、ゼツは黙り込んだ。

 そして、外に出た侍姿の娘が、迷うことなく歩き始めたのを、三人はさりげなく追い始めた。

 ゆっくりと歩く侍は、急ぐ様子もなく、決められた場所へと向かっているようだ。

「……この刻限に、旅籠を後にすると言う事は、夜の闇に紛れて、逃げる算段かも知れませんね」

「関所を越えないで通れる道なんか、いくらでもあるからね。道が危ないだけで」

 逃げると言う行いに、あの娘はそぐわない気がするが、この刻限ではそう疑うしかない。

 日は傾いてきていて、江戸を出るには遅すぎる刻限だ。

 落ち合う女に、騙されているのではないかと、そんな望みを持ちつつもついて行くと、侍は橋の前で立ち止まった。

 来た方向に目を向けながら、その場に立ち尽くす。

 時々、川の方に気を取られながら時を過ごす侍に、二人の女が近づいた。

 芸者風の二人で、気楽な足取りで歩み寄り、直ぐに通り過ぎて行った。

 橋を渡る女たちを見送り、しばらくしてから同じように橋を渡り始めた侍は、その半ばで足を止めた。

 大きな男が、二人の女の前に立ちふさがっている。

 その迫力に目を険しくし、左手で刀の柄に手をかけながら、再び歩き出そうとして、振り返った。

 見覚えのある男が、穏やかに笑いながら、立っていた。

「……」

 目を見張る侍越しに、男は大きな男に声をかけた。

「真昼間に、動き回っているのか、お前は?」

「皆が、酔いつぶれている時が、いい機会だと」

「……あいつが、言ってるのか。つまり、あいつも、昼間は出歩いているって事か?」

 溜息を吐く男エンに、大きな男ゼツが無表情に返した。

「危ない事は、あまりしていませんから、安心してください」

「本当か?」

 言いながら、侍との間合いを詰めていくエンは、ゼツの傍に立つ二人の女に気付いた。

 その内の一人を見止めて、立ち止まる。

「や、やあ。お昼は、どこかで食べたのかい?」

 後ろめたい気持ちで挨拶する雅に、エンも後ろめたい気持ちを隠しながら、挨拶を返す。

「仕事が、昼までに終わらなくて、戻れなかったんです」

「そう」

 二人のぎこちなさを、ジュリは微笑ましく見守りつつ、二人の女が逃げないように、足止める。

「あなた達も、おかしな人たちね。一人なのに、二つに分かれてるのね」

「ただでさえ弱いのに、分かれては、余計に大変でしょうに」

 ゼツの方は、刀に手をかけている、侍の動きを見つめている。

「あなた達には、少し訊きたいことがあるんだ。家に、来てくれる?」

 雅が優しく切り出すと、女の一人が侍を見た。

 侍の方も二人を見返し、ゆっくりと首を振る。

「私も行く。きっと、逃げられない」

「でもっ」

 泣きそうになる女に笑いかけてから、侍は頷いた。

「こちらも、詫びたいことがある。その上で、頼みたい事も」

「そう。なら、行こうか」

 あっさりと話が決まり、長屋の方へと戻る道すがら、エンがやんわりとゼツに尋ねた。

「で、セイはどこだ?」

「……」

 眉がわずかに動き、傘の陰で目が男を見下ろす。

 見上げて見返す目は、いつも通り穏やかだが、下手な嘘は付けない気配があった。

「……あらかた、あの人がしていた事の方は、終わってしまいましたので、最後の仕上げに行きました」

「セイが、してたことって……」

 小判と共に医者の家の前に、子供を置いて行く事、だろうか。

 それが、終わった、とはどういうことかと、雅が首を傾げる中、事情を知らないエンは笑顔で尋ねる。

「何をしていたんだ、あいつは?」

「……方々の、大店に忍び込んで、そこで瀕死になっていた子供を、一人ずつ連れ去って、気のいい大店や月番、医者の家の前に……」

「ん? それは、神の童とか何とか、読売でやってたという奴か?」

 エンは笑みを濃くした。

「それは、オレたちが江戸に居つく前から、起こっていた怪異だと聞いたぞ。お前たち、この間江戸入りしたんじゃ、なかったのか?」

「すみません、数か月前から、江戸を満喫していました」

 正直者のゼツが、体を縮めながらあっさりと吐き、事情を話した。

「……と言う事で、ここに来るまでで、あらかたの事情は拾えたので、それを元に意図せず、奇怪な怪異の元となってしまいました」

「……最後の仕上げって? 何処に行っているんだ?」

 静かに問う男に、ゼツは諦め口調で言った。

「ある、旗本の屋敷に行きました」

「旗本?」

 雅が目を見張った。

「何をしに? 調べもの?」

 何故か目を剝いて、顔を逸らしたエンを見ながら、ゼツは答えた。

「あそこに、まだいるんですよ。江戸に連れてこられたばかりの子供たちが。一遍に救えるか、見てみると言っていました」

「いや、一遍に大勢の子供を救うのは、無理だよ」

 これが無茶なんだと笑う雅は、エンが立ち止まったのに気づき、立ち止まった。

「どうしたんだ?」

「いえ。ちょっと、用事を思い出しました。先に……」

「やめておいた方がいいわ。あなたじゃあ、セイの邪魔になるもの」

 探索向きではないと自覚している男は、ジュリのやんわりとした声に、言葉を詰まらせた。

「今、あそこには……」

「どうしたの?」

「いえ……」

 頭を抱え込みたい気分で、エンは言葉を探すが、思い浮かばない。

 落ち着かないまま、長屋の木戸の前に着いてしまった。

 住まいの方へぞろぞろと進み、家の前で立ち止まる。

 そこに、大きな男が座り込んでいた。

 見た事のある、大きな男だ。

 その顔を見るまでもなく、雅が取りすがった。

「戒っ? どうしたっ?」

「あ、そいつっ」

 客の女の一人が、つい声を上げた。

 慌てて口を噤むが、ジュリがやんわりと訊く。

「そいつが、何?」

「何でもないっ」

 女が首を振る中、雅が介抱していた戒が、目を開いた。

 顔を顰めながら身を起こし、二人の女を見上げて目を剝く。

「お前ら、よくも、あんな蔵の中に、閉じ込めてくれたなっ」

 指をさしつつ、思わず口走った男は、それが墓穴だと気づかなかった。

 戒自身にとっても、思わず空を仰いだエンにとっても。


 誰でも、心の中で様々なものを秤にかけ、大事な方を取る。

 この場合、どちらを取ればいいんだろうか。

 セイは、何やら白い糸のようなもので捕らわれて、蔵に閉じ込められる大きな見慣れた男を見つけ、秘かに唸っていた。

 まず今日の自分の動きを振り返り、戒が自分をつけて来ていたかもしれないと言う考えは、直ぐに打ち消した。

 自分がここに向かったのは、朝方だ。

 戒は夜、飲みに飲んで、潰れていた。

 と言う事は、偶々買い出しか何かで町に降りた戒が、あの女に気付いてつけた、と言う事だろうが……お紺の件で、後ろに女がいた事に、気づいていたのだろう。

 面倒を避けたいがための沈黙なのなら、つけなければいいのに、それをしないのが戒と言う男だった。

 オキが、剣を教えたと言うだけで、他の事は教えなかったのが、悪い方に出てしまっていた。

 いや、教えなくてもそれ位はと、思ってしまい気にもしなかった、自分も悪い。

 悔やみながらセイは、同じ蔵の中に転がっている、数人の子供たちに目を向けた。

 覆面で口を覆ってはいるのだが、蔵に漂う煙は目から見染み込みそうな感覚になる程、濃い。

 吸う薬だけでなく、お香のように煙を漂わせて吸わせる薬まで、この旗本は手に入れている。

 濃い割に、その強さはそれほどでもないようだが、セイにとっては充分に害で、長く居続けるのは無理だ。

 先程から、何度か外と蔵の中を往復しているセイは、その動きを止めて考えこんでいた。

 拘束から逃れようともがく男と、動かない子供たち。

 命を大事にするなら、子供たちを一刻も早く、救う手はずを考える。

 だが……抗い続ける戒を見つめ、セイは溜息をついた。

 このままこの男を、薬の充満するこの蔵に置いて行くのは、躊躇われた。

 幼い子供の時から今まで、戒は自分達の元にいたが、その間に一度、薬にまみれて大暴れしたことがあるのだ。

 自我を失っての大暴れならば仕方ないと諦めるが、あの時の止め方と、薬を抜くためにセイが取った方法が、戒の自尊心を深くえぐってしまったらしく、風邪薬にすら目くじら立てるようになってしまった。

 ここで、正気のまま暴れられるのも、困る。

 だが、止めるために出て行っては、流石に目立つ。

 考えるセイの背後から、呑気な声が呟いた。

「迷っちまうな、こういうのを見ると」

 久し振りに聞く、若者の声だった。

 ゆっくりと振り返る若者に、蓮は笑いかけながら言う。

「恩を着せて頼み込むか、ここであいつを助けて脅すか。秤にかけても、同じくらいなんだよな」

「……あんたな、そう言う所、本当に、カスミに似て来てるぞ」

 つい言ってしまうセイに構わず、若者はその横に並んで様子を伺った。

「雅ンとこの、ガキか? しばらく見ねえうちに、でかくなったな」

「大木が、二人になった」

「……だから、木に失礼だから、やめろ」

 嘆くセイに返した蓮が、身じろぎする男の背後を指さした。

 気配なく男の背後を取った人影が、戒に何か話しかけている。

「これで、まずは貸し、な」

 男を捕えていた糸がまとめて切られ、床に落ちた。

 戒は、身を起こして辺りを見回し、険しい顔で戸口に目を向ける。

「ん? 何で、あいつ、あんなに怒ってんだ?」

「……」

 薬に対する鋭さは、面倒だなと思いつつ戒の様子を見守っていたセイに、蓮が当然の問いを投げる。

「捕まったのが、嫌だったんだろ」

 気のない返事をして、戒が立ち上がって勢いよく戸を蹴り上げるのを見た。

 すぐに騒ぎが起き、外に出た男が暴れ始める。

「じゃあ、礼は言っとくよ。ありがとう。私は、あの子たちを連れて出るよ」

 言いながら、セイは天井の梁から、蔵の中に降り立った。

 あの暴れ具合なら、人死にはそう多く出ないだろうと、セイは気楽にその騒ぎに乗じる事にしたのだ。

「お手伝いいたします」

 そっと声をかけたのは、戒を捕えていた糸を解いた、小さな人影だ。

 その顔を見て、目を見張る。

 色白の女は、そんな若者に笑いかけた。

「名乗るのは、後で。今は、急いで出ましょう」

 幸い、軽い子供たちだったため、二度ほど往復しただけでその作業は済んだ。

 後は騒ぎの元を、拾って逃げるだけだ。

 塀を飛び越え、屋敷の庭で暴れる男を見止めてそちらに向かう前に、小さな影が戒と殴られている家人の間に、割り込んだ。

 鞘付きの刀の先で、力いっぱい男の腹をどつく。

 倒れ込んだ家人には目もくれず、蓮は声もなく倒れた戒を身軽に抱え、素早く立ち去った。

「こちらです」

 やることがなくなったセイに、塀の外から女が声をかけた。

「子供たちの処遇も、お任せください。あちらで、蓮が待っています」

 若者は溜息を吐きつつ、女の言うままに塀を下り、導かれるままに道を急いだ。

 そこで、もう一人の懐かしい男と再会した。

「セイっ、久し振りだなあ。元気だったか?」

「あ、ああ」

 返事の切れが悪いのは、こちらの分が、言いようがないほどに悪いと感じた為だ。

 そんな気持ちを察し、大きい男が、険しい目を心配そうに細めた。

「どうした? 本当に、元気なのかよ?」

「勿論だよ。あおいさんも、元気だったか?」

「おう。この通りだ」

 にっかりと笑う男につい笑い返し、蓮の足元に転がる男を見下ろした。

「どれだけ容赦なく、どついたんだよ」

「死なねえ位の加減は、しといたぜ。図体だけで、そう強くもなってねえな」

「大木だから、仕方ないよ」

 つい言ってしまってから、慌てて葵を見るが、何かを言う前に傍で話を聞いていた女が、にっこりとして窘めた。

「大木では、木に失礼です。このような子は、張りぼてで、充分です」

「張りぼて……」

 言われて、セイはつい手を打った。

「そうだな、木は中身が詰まっているものだし、確かに失礼だ。うん、言い直そう」

「……戒だけにしとけよ。こいつは、張りぼて程じゃねえから」

 材料は木でも、あんまりな降格だ。 

 蓮が柄にもなくつい言ってしまってから、目で女を指した。

「ユズだ。気づいたんだろう? オレの、姪っ子だ」

「初めまして。伯父上が、色々と失礼な事をしたと、聞いております」

 どんな話をしているのか、と思うが、今聞く事はそれではない。

「さっきは助かったけど、あんたらぞろぞろと、何しに来たんだ?」

 嫌な予感しかしないのだが、訊かないわけにもいかない。

 そんな気持ちで切り出すセイに、蓮は答えた。

「お奉行が、お前と会いたいとさ。今度こそは、きっちりと話をつけようぜ」

「……そんなお偉い人が、一人で会うはずはないよな? そっちは何人だ?」

「先日の奴らは、別の座敷に控えさせる。お前の方も、これから連れて来るなら、そういう話の分かる奴を、連れてこい」

 溜息をついた若者は、仕方なく頷いた。

 踵を返して歩き出す蓮の背に、声をかける。

「その代わり、町人たちの倅と娘に害をなした奴ら、こちらに引き渡してもらうからな」

 歩き出していた蓮は、立ち止まっただけだったが、ユズが立ち止まって振り返った。

「そちらで引き取って、どうするおつもりですか?」

「うちの者も迷惑を被ってるんだ、それ相応の罰は、受けさせることになるな」

「お前んとこの人が、迷惑ってそいつら、すげえ奴らだな」

 セイの隣で素直に声を上げた葵は、ゆっくりと蓮が振り返るのを見て目を瞬いた。

 若者を見返しながら、セイが言う。

「煽っていた女二人にも、妙な話を吹き込んで雅たちを巻き込んだ侍にも、私は会った事がある」

「……」

「しばらく見ない内に、妙な事になっていないか?」

 初めてこの島国に来た時、自分を怯えながらも呼びに来た娘と、その主の武芸者。

 蓮と知り合いだと言っていた、術師の姉妹の片割れと、その式神だ。

 ユズが、苦し気に溜息を吐いた。

「どうやら、式神の一人に、手痛い裏切りを受けたらしく、私たちがそれを知った時には、影も形もなくなっていて……」

「お前らの方が先に、見つけちまったか」

 蓮は小さく笑って呟いてから、言い切った。

「それで構わねえよ。それだけの事をしたのは、奴らだ」

 若者の合図で出て来た池上の臣下達が、セイに頭を下げてから、子供たちを抱えて去っていく。

 一番大きな荷物が、足下に取り残された。

「どこに、運べばいいんだ?」

 何故か残った葵が、自然に問いかけるのに、若者は少し考えた。

「……山まで戻る暇はないから、あそこに置いて行こう」

 ついでに、説教の一つでも食らってくれれば、少しは溜飲が下がると言うものだった。

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