第3話

 その男は、長い間黙ったままだった。

 調べ始めたのは、一年と半年前だ。

 まだ二年経っていないが、手下たちを褒められない。

 むしろ、ここまで来てしまうと、遅い位だ。

「お奉行は、どうなさるおつもりだろうか。これは、勘定方を巻き込まねば、済まぬ事態ぞ」

「それだけで済めばよいのですが、どうも、他の方々の関与も、疑われる事態にございます」

 唸った男は、三十過ぎの侍だ。

 北井きたい家への婿入りと言う形で、町方奉行の同心となり、穏便な暮らしをしてきた男だ。

 答える男は、その婿入りした先で、元々仕えていた一族の男だ。

 行き倒れ寸前の先祖が、北井の先祖に助けられた恩で、そのまま仕えていると言う男の、その類まれなる探索の力を借り、北井は徐々にその位を上げていたのだが、ある時お奉行からお呼びがかかった。

 そして、内密にある件を探るように、と言う命を受けたのだ。

 北井は、いつものように池上の力を借りる事にしたのだが、一筋縄ではいかない話で、池上家総出での探索となった。

 そんな中、一年前に、奉行からある人物を紹介された。

 去るお方とも懇意であると言うその人物は、怪しい者を数名導き出し、池上は徐々にその件の全容を暴き始めたのだが……。

「蓮殿が名指しして来た者は、動いているのか?」

「それが、母の話では、明確に何かを行っている、と言う様子がないと」

「……」

 数か月前、池上はわざわざ南の国まで行き、ある人物を連れて戻って来た。

 北井も、その人物に会ったが、今まで会ったこともないような色合いの、若者だった。

 緊張しながらも、とある旗本の話を切り出すと、若者は答えた。

「私に何をしろとおっしゃる気だ? お上が裁くにしろ、私が内密に事を治めるにしろ、それだけの調べでの話では、浅すぎる。何かを望むのなら、徹底的に暴いてからにしていただきたい」

 あっさりと断られた事より、この国の丁寧な言葉を、よどみなく話す若者に、北井は驚いてしまった。

 その内容にもつい頷いてしまい、その若者には住まいを用意して休んでもらい、男は池上と共に更に深い探索を続け、今になって頭を抱えていた。

「町方として探索するのは、ここから先は命とりだな。かと言って、勘定方を動かすのは、難儀だ」

 致し方ないと、北井は奉行にお目通りを願い、その旨を伝えた。

 その場には、去るお方の使いと言う、見知らぬ若者がいたのだが、その若者がのんびりと言った。

「そろそろ、あいつを呼び出してはどうだ?」

「あいつ、とは?」

 目を瞬く北井に、鏡月きょうげつと名乗った若者はのんびりと笑って答えた。

「呼んでいるのだろ、江戸に? 金髪の変わり者、だ」

 今呼んだ方がいいと言い切る若者の言に、首を傾げつつも、池上にその旨を伝え、ある山に住まわせていた若者を、呼び出した。

 セイと名乗った若者は、この日も一人ではなかった。

 昼間、堂々と現れた若者は、二人の男女を連れていた。

 一人は、以前にも会った、大きな男だ。

 灰色の髪と目を持つ、獣の様な気配の、それでいて静かな男だ。

 もう一人は、竹の様に細長い、美しい娘だった。

 二人はセイと同様に、傘を目深にかぶって屋敷に訪れ、座敷内で顔をさらした。

 女が顔を上げ、鏡月を見て目を見開く。

「あなたは……妙な所で、お会いしますね」

「お前、エンと一緒じゃ、なかったのか?」

「ええ。一緒に住んでいます。今は、不義の真っ最中なんです。内密に願います」

 おどけた答えに、若者は呆れた顔で頷き、立ったままのセイを見上げた。

「ようやく会えたな、まあ、座れ」

「……もう一人の、立役者は、どこだ?」

「今は、宥め役に回っている」

 妙な役回りに、若者は首を傾げるが、北井と池上は顔を見合わせた。

 実は奥の座敷で、奉行と去るお方が、この会合を盗み聞きしている。

 本当は直接、この若者と話したいと望んでいるのだが、流石にそれはさせられない。

「呼ばれたと言う事は、どう事を治めるかの考えが、まとまったのですね?」

「……その前に、お主が、どう言う事の治め方が出来るのか、教えてはもらえぬか? 聞いた話では、盗賊紛いの烏合の衆をまとめる、お頭だとか?」

「そこまで知られているのなら、事の治め方もお分かりなのでは?」

 無感情にセイが答え、北井は声を詰まらせた。

「……我々としては、お主たちの様な輩に、手を借りてまで事を治めるのは、本意ではない」

「そうですか。では、そちらでいかようにも、お治め下さい。安心いたしました。このような大事を、私たちの様な輩に丸投げするような方々では、この国の今後を、危ぶまねばなりません」

 やんわりと返す若者に、北井が苦しい言葉を投げる。

「……手は借りぬが、知恵を貸してはもらえぬか? 我々では、考えも及ばぬが、何か事を穏便に治める策があるのでは、ないのか?」

「いいえ。私には、何も」

「では、本当に、この一年余り、ただ江戸見物をしていただけ、だったのか?」

 池上が、険しい声で問いかけると、セイはあっさりと答えた。

「そうしていろと言ったのは、そちらだろう? 無駄に早く江戸に入らされた挙句、何かを頼まれたわけでもないのだから、見物位で怖い顔をされても、困るんだが」

「……」

 凍ってしまった空気を、鏡月が笑いながら払った。

「お前、この二人と会ったのは、これで二度目のはずだな?」

 目を細めて見返すセイに、薄い色の目を向けながら、若者はにんまりと続けた。

「何で、この件が、大事だと、当初の話だけで分かった?」

「私のようなならず者を呼んで、手を借りようと思う程だから、あんたらにとっては、大事なんだろ?」

「お前の言う大事は、どこからをそう言う? 国絡みで子供を売り買いしている事からか、その子供を死んだ後まで、金の糧にする事からか……?」

 女、雅が目を見開いて見た若者は、あっさりと答えた。

「私は、そう言う情に絡んだ話には、引っかからない」

「そうか? なら、何で、あんなことをしているんだ?」

 目を上げたセイに、鏡月はゆっくりと問いかける。

「お前だろう? 名医と呼ばれる数名の医者の家の前に、薬漬けの子供を、小判付きで放置しているのは?」

「……」

「あれが取っ掛かりで、例の件が、大きく動いた。お前、それを見越していただろう?」

 名医たちは、子供たちの様子で、直ぐに薬漬けにされていると気づいた。

 奉行所に届け出、調べは大きく前進したのだ。

 目を見張る侍たちの前で、セイは首を振った。

「私は、そこまで金持ちじゃない」

「嘘つけ」

「本当だよ。私は、小判を何枚も置いてない。一枚ずつしか」

 唐突に、正直な答えが漏れた。

「何で読売は、あんなに大袈裟になるんだ? お蔭で、やりにくくて仕方がない」

 嘆く若者に頷くのは、後ろに控える大きな男だ。

「まさか、鎌鼬と持ち上げられるとは、思いませんでした。あの屋敷に入る若い男たちを、軒並み足止めようとしただけなんです」

「……長くうずく傷跡って、どうやってつけたんだ?」

 雅がつい尋ねると、男ゼツは無表情で答えた。

「セイの、呪い付きです」

「それは、確かな奴だね」

 得心して頷く女の前で、セイは鏡月を見返した。

「……もう一度訊くけど、蓮は、出てこない気か? ここまで、こちらの手を暴いておいて?」

「暴いたとは言えんだろうが。お前が早々と、正直に吐きすぎだ」

 答えてから、気づいて眉を寄せた。

「鎌鼬に合った奴ら、あれも、この件絡みか?」

「今更、何を言ってるんだ? それ位、そちらでも調べが……」

 言いかけてセイは、目を丸くした。

 仰天とした顔の、侍二人がいる。

「まだ、ここまでも、調べてなかったのか?」

「おい、この際だ、お前、調べた限りの奴らの悪行、ここで洗いざらい吐け」

「そんな、この人たちを楽させるような真似、する気はない」

 すぐに返す若者が、ここまで頑なに手を貸すことを拒む理由が、北井達には分からない。

 だが、鏡月の方はそれを察しているようだ。

「お前な、いくら意に添わぬ江戸入りとは言え、そこまで意地の悪いことをせんでも、よかろう?」

「何を言ってる? この人たちはな、老い先短いご老体に、刃を向けて脅したんだぞ。許される事じゃない」

「……セイって、お年を召した人に、弱いんだね」

 つい、小声で呟いた雅に、ゼツが無表情に返す。

「ええ、だから、あなたの事も、気にしているんです」

 思わず、横の大きな体をどついてしまう女に構わず、セイは言い切った。

「知られてしまったので申し上げますが、あなた方が調べを進めている間、事が悪くならないようにするくらいは、しておきます。が、それだけです」

「……」

「後は、そちらの采配次第。そう肝に銘じて、事を治めて戴きたい」

 話は終わったと頭を下げ、セイは立ち上がった。

 止める手立てもなく見送った侍二人は、若者の言葉を反芻する。

「……事を治める気はないのに、これ以上の人死には防ぐ、と言う事でありましょうか?」

「そう、なのか? 賊の類の者にしては、妙な言い分だな」

 戸惑う男たちの傍で、鏡月が不意に誰かに声をかける。

「おい、不味いぞ。あいつら、集い始めてるんじゃないのか?」

 何のことかと目を見開く侍たちの代わりに、奥の座敷から姿を見せた若者が、苦い顔で頷く。

「あいつが、あそこまで動いているってことは、そう言う事だろうな」

「どうする、このままだと、完全に後手に回る」

「後手? どういう意味ですか?」

 池上が思わず口を挟むと、それを咎めずに鏡月が答えた。

「奴らの次の獲物が、お前たちが追っている旗本を含む奴らだ、ってことだ」

「そんな馬鹿な、確かに、少しずつ人が集いつつあるとは聞いておりますが、物々しい空気は、微塵もないと……」

 毎夜、宴会になり、陽気に騒いでいると言う。

 だが、それを聞いた蓮が、首を振って天井を仰いだ。

「毎夜、迎える奴がいるくらい、数が集ってんのかよ。こりゃあ、本気だな」

「な、何と?」

 目を剝く池上に構わず、蓮と鏡月は呑気に話す。

「昔の、カスミの親父の時に比べりゃあ、分かりやすいな。あの人の時は、本当に見境がなかった」

「ああ。今は、奴らの逆鱗に触れそうなものは何か、それが分かりさえすれば、後の目星がつく分、楽だ」

「分かったからと言って、途中で止めるのは、命とりだがな」

 そこは変わらないと首を竦める蓮に、鏡月はのんびりと尋ねた。

「止める以外の案は、あるんだろう?」

「一つ、考えてはいるぜ。奉行所の方々が、それでいいと言うのならその手を使うが、どうする?」

 不敵な笑みで問う若者に、北井はすぐに答えた。

「お奉行様も、それを承知であられるのなら、否はありませぬ」

 それに頷いた蓮は、すぐに動き出した。

 そして、ようやく事が、するすると動き出す。


 魚を今まで通り売りながら、前よりも広い域を周り、話を集める。

 そうする内に、一つの答えが出ていた。

 夜逃げするしか、ない。

 エンは、真剣にそう考えていた。

 何故なら、質の悪い奴が集う場で、遊び人にそれとなく話を持ち掛けても、旗本の中間部屋の話は、どこからも聞こえてこないのだ。

 当たり前と言えば、当たり前だ。

 旗本と言うのは、武士の中でも格式のある家だ。

 外面は毅然としている分、荒んだところは表に見せない、いや、見えても周りが見えないふりをする、そんなものだ。

 荒くれ者がすることでも名高い博打も、中間部屋で行われていることもあると、聞いた覚えがあった。

 件の旗本が誰なのかはおろか、仲立ちしていた女の姿も、まだ見いだせない。

 そして、妙な話を松吉に吹き込んだ、浪人者も。

 業を煮やした松吉一家が、また家に乗り込む前に、雅だけでも逃がした方がいいかもしれない。

 弱気になっているエンは、苦笑した。

 何とか穏便に事を治めたいのだが、柄ではないらしい。

 守るべき女を、逃がすくらいしか思いつかない自分が、情けない。

 数日の間で、そんな考えに行きついたエンは、それでも魚を全て売り払うまで、町を歩き回った。

 昼過ぎに、いつものように盥を空にすると、長屋の方に戻る。

 木戸をくぐる前に、呼び止められた。

 振り向くと、数日前に顔を合わせた、松吉の倅の一人が気楽に笑いながら立っている。

「仕事終わりか? ご苦労さん」

 若いが気安く声をかける男に、エンは笑顔を向けた。

「ええ。これから昼食を取って、また出ます」

「そう自棄になって、探さなくてもいいんだぞ」

 意味ありげな言い分に、エンは首を振った。

「見つけ出せなかったら、また疑われるだけですから」

 竹蔵は、笑顔で返す男をしみじみと見つめ、唸った。

「お前さんの潔白は、分かるが、女房の方は、少し怪しいぞ」

 目を細めるエンに、若い男はあっさりと言った。

「この数日、この長屋を見張っているんだが」

「……何のために?」

「女が、怪しい動きをするんじゃないかと、思ってな」

 呆れた男が、首を振る。

「じゃあ、無駄骨だったんじゃないんですか?」

「いや。動きならあったぞ。三度」

 驚く男に、竹蔵は話し出した。

「一度目は、家に来た翌日の昼間だ。お前さんが出てからしばらくして、出て行った。その時は、お紺さんの、見舞いだったが……」

 二度目は、女が訪ねて来た。

 町娘に見える女で、顔を見た途端、雅は驚いて招き入れ、直ぐに連れ立って出かけて行った。

「その先で待っていたのは、男が二人だった」

「……」

 三度目も同じで、同じ男二人と連れ立って、どこかへ行ってしまった。

「……どこへ行ったかは、分からない。少し目を離したすきに、見失ってしまった」

 が、怪しいのは明らかだった。

「仁平の言い分じゃないが、あんたも、騙されてるんじゃないのか?」

 固まってしまったエンの顔を、竹蔵は気の毒そうに覗き込んだ。

「……それは、元からですよ。私は、あの人に、初めから騙されていました」

 いや、化かされていた。

 しかも、絶対に助けなければと思う者に、雅は化けていた。

 まさか、あんなに意志の強い女であったとは、一目で惹かれてしまう程の女だったとは、思わなかった。

「あなた方が、まだ疑いを持っているのなら、ここを引き払うしか、ないですね」

 そろそろそうする時期だと、思ってはいたが、間が悪い時に変な疑いが、持ち上がったものだ。

 怪しい消え方だけは、しないつもりだったと言うのに。

 静かにその覚悟を告げた男に、竹蔵が気軽に笑って言った。

「待て待て、怪しくはあるが、兄貴の件に係っているとは、思っていないぞ」

「……そうなんですか?」

「ああ。お前さんを見た時から、もしやと思っていたが、念のために見張っていただけだ。こちらの邪魔をする、という訳でもないようだから、今日で、見張るのはやめる」

 妙な言い分に眉を寄せるエンに、若い男はまたその顔を覗きこみながら、続ける。

「それに、不快な思いをさせた事の詫びに、一つ教えてやる。どこのお武家の中間部屋が、巣窟になっているのか」

「知っているんですかっ?」

 思わず勢いよく返す男に、竹蔵は少し身を引いた。

「やはり、この背に向かってくるのがその背だと、迫力あるな……」

 呟いてから、若い男は頷く。

 そして、場所と家の名前を告げ、軽い挨拶と共に立ち去った。

 その背を、エンは暫く見送りながら、目を細めていた。

 若い割に、落ち着いた物腰と物言いの男だった。

 顔合わせした時も思ったが、油断できない男だ。

 どうも、雅に張り付いていたようだが、それに女が気づいていなかったようなのも、気になる。

 つい、木戸の前で考え込みそうになって、エンは我に返った。

 長屋の中の、自分の住まいの方へ目を向け、そのまま踵を返す。

 何かわけがあるのだろうし、自分がどうこう言う筋合いがないのも分かる。

 だが、今の気持ちのまま、雅に会うのは躊躇われたのだ。

 今聞いた、旗本と呼ばれる格式の武家屋敷に、行ってみる事にした。

 江戸屋敷の中でも、大きな屋敷だった。

 相当土地もあり、財もあるのだろう。

 壁も高く、頑丈な造りだ。

 壁沿いをゆっくりと歩き、屋敷の造りも何とか目測しようとしていたエンは、裏門の方に出た時、立ち止まった。

 場違いな女が、裏門を叩く姿が見える。

 芸者の出で立ちの、若い女だ。

 三味線でも入っているのか、細長い包みが両手で抱え込まれている。

 引っかかってつい歩みを早めたエンは、その後に現れた男を見て、立ち止まった。

 自分より大きな、若い男だった。

 険しい目を細め、閉じた裏門を睨んでいる。

 暫くそうしていたが、意を決して辺りを見回し、軽く壁を飛び越えて、屋敷内へと入ってしまった。

「……」

 つい見送ってしまったエンが駆け寄った時には、今起こった事がなかったかのように、静かな場に戻っていた。

 今日は、下見がてらの、屋敷散策のつもりだったが、捨てて置けることではない。

 今、屋敷に忍び込んでしまった男、それは雅の弟の、戒だったのだ。

 何故戒が、この屋敷に忍び込むのかは知らないが、止めなければと思う。

 が、後に続いて忍び込むのは、危ない。

 忍び込むのに慣れているわけでは、ないからだ。

 そもそも、そんな事を得手とするなら、探索ごとも得手であっただろう。

 心配が募り、怪しいと思いつつも、屋敷の壁を見上げながら、うろうろと歩く。

 戒が忍び込んでから、一刻も経たぬうちに、屋敷内が騒がしくなった。

 怒号と叫び声、そして、何かが地面に叩きつけられた音が次々と聞こえ、直ぐに静かになった。

 まさか……。

 嫌な予感が、頭をよぎった。

 いや、あの子も大きくなったのだ、そこまで弱くはない。

 そう言い聞かせながら、戒が出てくるのを待ったが、出て来たのは先程の女だった。

 同じように裏門から出て来た女は、一人ではなかった。

 似たような出で立ちの、同じ年くらいの女が一緒だ。

「……まさか、お前の封じ手で、捕まるとは。でかい割に、弱い男だったな」

 手ぶらの女が呆れた声で呟くと、三味線を抱えた女が笑った。

「弱い奴を置いて出るのは心苦しいけど、忍んできたんだから、仕方ないよな。お蔭で、あの殿も、私たちを口封じする心の余裕は、なくなったんだから、感謝しなくちゃね」

「可哀そうにな、我々にすら捕まる程では、人間どもの責めにも耐えられないんじゃないのか?」

 明るめの声で語られているのが誰かを察し、エンは頭を抱えていた。

 どうしてここで、こういう悩み方をしなければならないのか。

 心の中で嘆く男が、女たちをやり過ごそうと顔を伏せる中、通り過ぎる二人は明るい声で話を続けた。

「ようやく終わった。中々しつこい殿だったな」

「だが、これでしばらくは、千も白い飯にありつける」

「早く待ち合わせた所に行こう。あいつ、待ってるぞ」

 二人が足早に去っていくのを振り返り、エンは少し躊躇った。

 頭の中で、雅と戒を秤にかける。

 大きく雅の方に傾いた秤に想いを任せ、男は女たちの後をつけ始めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る