56 飛翔

 三月二十五日。


 この日の豊平公園きたえーるでのライブを以て、ロサ・ルゴサは活動に終止符を打つ。


 ちらちらと朝から、晴れ間と雪が交互にやってくる変わりやすい空模様ではあったが、春の雪らしい降っても消えてゆく弱さで、時おり陽射しに照らされてキラキラと輝く。


 早朝から準備のために会場に入っていた松浦先生と佐藤真凛は、打ち合わせのあと会議室にあてがわれたたまりと呼ばれるスペースで軽食を取りながら、別々に書類に目を通していたが、


「あの…松浦先生?」


「…どないしたんですか?」


 佐藤真凛に対して松浦先生は敬語に変わる。


「それぞれ進路も決まって良かったんですけど…でもロサ・ルゴサの解散は果たして良かったんでしょうか?」


 佐藤真凛は疑問をぶつけてみた。





 松浦先生はしばらく腕を組んで瞑目していたが、


「それは、ワイらが決める話やないんやないかなと」


 とだけ述べた。


「?」


 佐藤真凛の怪訝そうな顔を見ると、


「昔から物事は終わってから評価が定まるもので、せやから結論が今の結論で良かったのかどうかは、長い未来の先に歴史学者が決めるもんやとワイは思ってましてね」


 なので今はとりあえず、彼女たちの出した結論を受け入れてみるのが筋道かと思う──というようなことを松浦先生は述べた。


「でも、ファンはそういうものではないのかなって。納得できないファンだっているでしょうし…」


「あなたは、引き時というものを考えたことがありますか?」


 柔らかい物言いで松浦先生は、


「ワイは野球をやめるとき、果たしてこれで後悔せんかどうかをずっと考えて、悩んで悩み抜いてからやめて、それで良かったはずやのにやめ切れんかった。しかしあの子たちはちゃう。ちゃんと最初からここまでって決めて、しかもそのここまでってところでいさぎよく止めた」


 それだけでワイよりよっぽどしっかりしとる──松浦先生は苦笑いを浮かべた。


 佐藤真凛は黙るしかなかった。





 昼前になって、ロサ・ルゴサの五人がバスでやってきた。


「おはようございます!」


 いつものように楽器を手に携え、いつものようにハキハキとした挨拶をして入ると、


「控室ってこっちだっけ?」


「明日海、そっち反対側だから」


 椿の冷静なツッコミで五人は通路を控室へと歩いてゆく。


 やがて。


 楽譜の最終チェックが始まり、一通りメロディを確認したり、譜面のどの位置で観客に煽りを入れるかなどの点検をしたり──と、これまたいつものライブと変わらない光景が始まった。





 正午すぎになるとすっかり雪は止んで、彼岸明けらしい暖かい陽が、ランチに出た五人を包んでいた。


 会場ではリハーサルのあとの照明や機材のチェックが始まり、ランチから戻ったロサ・ルゴサはめいめいの持ち場で、慶子はドラム、耀はベース、椿はギター、すず香はキーボード、そしてボーカルの明日海はマイクをテストしながら、音合わせをして休憩に入った。


 午後になると会場の周りには人が集まり始め、その中には高梨あかりと一緒に来た菱島飛鳥がいた。


「とうとうこの日が来ちゃったね…」


 あかりは会場の隣の豊平公園の売店にあったベンチで、飾られてある鉢花を眺めながら飛鳥と何気ない話をしていた。


「でも星原くん、大学受かってよかったよね」


 星原涼太郎は神奈川の聖城大学へ入学が決まり、春からは春期リーグに向けた合宿に参加する。


 飛鳥は神居別へ残り、地元の漁協の職員となることが決まっていた。


「あかりちゃんが北海道に残るのが意外だったなぁ」


 あかりは、新札幌の大学へゆく。


「まぁでも、まだ明日海ちゃんやピカちゃんもいるから、たまには神居別に戻ることがあるかも知れないし」


「そのときには、また一緒に遊ぼうね」


「うん!」


 飛鳥の誘いにあかりは、笑顔でうなずいた。




 ライブが始まるまで少しだけ時間があったので、控室でメンバーが雑談をしていたとき、


「みんな久しぶり!」


 来たのは札幌で就職したメグである。


「まさか解散するとはねぇ…」


 メグは驚いたような顔をしたが、


「まぁでもあんたたちが決めたんだし、みんな恨みっこなしね」


 見た目はギャルのままであったが、大手のアパレルブランドへ入れたのは元ロサ・ルゴサという履歴書での経歴が決め手であったらしく、


「だからみんなにお礼しなきゃって」


 メグが持ってきたのは、袋いっぱいのお菓子である。


「クリスマスの教会ライブじゃないんですから」


 すず香が突っ込むと、場にいた全員がドッとウケてから、


「すず香は音大だっけ?」


「はい」


 すず香はAO入試で東京の音楽大学へ入り、ライブの翌日には大学のある吉祥寺へと移動する。





 いっぽう。


 慶子は京都へ進学する。


「ノンタンにはしばらく会えなくなるね」


「でも卒業したら、また北海道に帰ってくるつもりですし」


 横浜にいる美優ですら、今は札幌での就職に向けて体験授業をしたりしている。


「それに、夏休みには帰って来られますから」


 松浦先生いわく、京都の真夏は暑いわ蒸すわで地獄であるらしい話をすると、


「あとで挨拶だけしとかなきゃ」


 メグは話の切れ目が来ると、控室を退出した。




 着替えをしたりチェックをしたりとおのおの動きが忙しくなって、椿と慶子が二人きりになった。


「ね、どうなの?」


「ん?」


「例の話だけど…気持ち、確認したの?」


 相手が松浦先生とは知らなかったものの、この頃にもなると慶子に誰か想い人がいるようなことは、椿は感づいていたようで、


「ちゃんと伝えなきゃダメだよ」


 そう言い置いて椿は、パウダールームへ入った。


 近くの非常階段の踊り場で、慶子は松浦先生に電話をかけてみた。


「はい、松浦です」


「あの、…東久保です」


 何かを慶子が言いかけたとき、


「京都行くんやろ? 頑張ってこい」


「…あの、先生」


「お前が大人になって変わってなかったら、そのときには改めて考える。それまでは、ちゃんと夢に向き合え」


「…はいっ!」


 泣きそうな気持ちを、慶子は口角を上げてこらえてみせた。




 夕方。


 開場して観客が入り始め、その頃には修了式を終えたMarysのメンバーも会場入りした。


「こんな大きなところで、うちらもいつかはライブしたいなぁ」


 凛々子がめずらしく希望を述べたので、


「リリーにも夢があるんだ?」


 沙良がからかうように言うと、


「…わたしだって、夢ぐらいはあるし」


 ちょっとだけ不機嫌になった凛々子は、ブスッとふくれっ面をした。


 少し遅れて入ってきた優花と綾、芽衣の三人は、ロビーにつながる階段を降りようとしていたが、


「あっ…」


 芽衣の声に綾が反応すると、一羽の鴎が、夕陽に羽を染めて悠揚迫らず、神居別がある西の空へと飛んで去ってゆく。


 しばらく三人は眺めていたが、


「…ライブ始まっちゃうから行こ」


 優花に促されて三人は階段を降りると、ロビーのガラス張りの入り口の奥へと消えていった。






【完】


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

くれなゐにほふ浜梨の─School Band Story─ 英 蝶眠 @Choumin_Hanabusa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ