51 舞台


 決勝の日は、朝から雲ひとつない秋らしい快晴であった。


 ──去年も晴れていたら…どうだったのかな?


 すず香は移動中のバスで、小さく胸のうちでみずからに質してみた。


 停電がなかったぶん普通に歌えたのかも分からないが、明日海のアカペラという、まるでドラマかアニメにでも出てきそうな奇策じみた手は使えなかったかも知れない。


 だとすれば。


 あの日の雨を味方にできたロサ・ルゴサには、人智を超えた天の意思のごときものが、あのときだけ、もしかしたら備わっていたのかも知れない。


「あのさ…すず香にとって、ロサ・ルゴサはどんな存在?」


 隣にいた慶子は違うことを考えていたらしい。





 すず香はしばらく考え込んでいたが、


「うーん…うちのバンドは、私にとって居場所かな」


「居場所?」


 後ろにいた椿が、座席の隙間から顔をのぞかせた。


「うちらはバンドがなかったら、特に椿ちゃんと出会うことは可能性としてはかなり希薄だったよね」


「だって私、すず香の音楽教室のことなんて、ほとんど知らなかったもん」


 慶子はすず香がピアノを習っていることは知っていたが、そこの音楽教室に椿がいることは知らなかった。


「だからさ、うちらはたまたまだけど出会って、しかもバンドって居場所があったからここまで来られたんだと思う」


 しかし椿の、


「卒業したらどうする?」


 という指摘の通り、いつの日にか卒業の日は来る。


「まぁピカも明日海も、未来をちゃんと見ているみたいだから大丈夫そうだけど…でもロサ・ルゴサをどうするかってのだけは、まだ結論出てなかったよね」


 すず香はこのとき、結論は出せなかった。




 テレビ局で情報番組に宣伝で出演し終わると、最後は表彰式のプレゼンターとしての仕事がある。


 スクバン関連の仕事はそれが終われば、あとは挨拶回りをして打ち上げに顔を出して、最終の飛行機で新千歳空港まで飛んで、バスで帰る。


「何かあっという間だよねぇ」


 椿はまだそんなに喋らないから良いのだが、慶子はロサ・ルゴサのリーダーの扱いなので、全て慶子が説明しなければならず、それはそれで気を遣う業務ではあった。


 途中経過は、ネット中継で移動中に見ている。


「今のところトラブルはないみたいだね」


 すず香が気にしていたのは、無事にパフォーマンスできるかどうかであったらしかった。





 他方で。


 会場のMarysのメンバーは、少しだけ緊張気味の顔で固い空気に包まれていた。


 そのとき。


「…あやち、いる?」


 綾を呼ぶ声がしたので振り向くと、差し入れを持って来た吉田葵がいた。


「葵さん…?」


 文化祭のときに綾は葵を案内したのが縁で、連絡先は交換していたが、ほとんど連絡はしていなかったので不思議に綾は感じた。


「何となく心配だから来てみたら、やっぱり固くなってるし」


 出場経験者でもある葵は、気にする様子もない。


「だって私、スクバンにリポーターとして取材に来てるし」


 新人リポーターとして仕事に来たらしかった。





 吉田葵がソロデビューしたのは知っていたが、上京していたのまでは綾も知らなかったようで、


「まぁ新人だからね、誰も知らないのは仕方ないって」


 そういうと葵は、紙袋に入った飲み物やらお菓子やらを渡してから、


「じゃあ、頑張って!」


 葵は廊下の奥へと消えていった。


 この葵が来たことでだいぶ気持ちがほぐれたらしく、


「…Marysらしく」


「オーっ!」


 円陣で肩を組んで気合いを入れ、出番待ちをする舞台袖へとメンバーは向かった。


 後半のトップバッターである秋田学院高等部のメンバーがはけたあと、Marysは舞台袖からステージに出た。


「…それでは聞いてください、『進め!』」


 選んだのはメンバーで作ったナンバーであった。




 ロサ・ルゴサが横浜スタジアムのステージ裏に着いたのは、Marysのパフォーマンスが始まるギリギリのタイミングであった。


「…間に合ったね」


 息を切らしながら明日海が言うと、明日海の声に気づいた凛々子が、一瞬だけ明日海を見た。


 安堵した顔に変わると、


 ♫僕と出逢った日を

  キミは覚えているだろうか?

  不安げな眼差しを投げていたキミ

  何が不安なのか僕は知りたかった


 滑り出すように凛々子は歌い始めた。


 舞台袖で聴いていたすず香は、


「…これなら、もう大丈夫みたいだね」


 とだけ言って、舞台袖を離れた。


 慶子はすず香を追わなかった。


 おそらくすず香は一人になりたかったのかも知れない、と感じたのか、あえて触れるような愚はしなかった。




 パフォーマンスが終わり、Marysのメンバーが戻ってくると、


「おつかれさま」


 慶子だけが残っていた。


「あの…松浦先生辞めるって」


 心がざわめいている沙良の言葉に、特に慶子は驚かなかった。


 知っていた訳ではなかったが、


「何となく、いつかそんな時がやってくるような気がしてた」


 いつものおっとりした口調に、


「…Marysはこれから、どうなるんですか?」


 沙良は不安を隠さなかった。


「ピカと明日海がいるからみんなは大丈夫だよ。それに、さっき見せた、あれだけのパフォーマンスができるんだから」


「ノンタン先輩…」


「みんな一年生なのに堂々としてて、私のときなんかよりずっとしっかりしてる。それは別に松浦先生の力じゃなくて、みんながちゃんとしてるからだよ」


 慶子は微笑んだ。


「私たちのときより出来てるから、Marysはいいバンドになるよ」


 沙良の頬を涙が伝う。




 慶子は沙良の髪をなでた。


「私たちは卒業の日が来る。そのときにスクールバンドから違う道へ行く人もいるし、音楽と共に生きる人もいる。それを決めるのはみんなで、私は自分の人生は決めるけど、みんなの人生までは決められないよ」


「でも…寂しすぎます」


「けど出会うときから、別れは始まってるからね…ただ沙良みたいな明るい子が部長になってくれて良かった」


 私は明るくなかったから、と慶子は苦笑いをした。


「私だって、先輩たちのおかげでいろんな経験させてもらって、でも…もっと一緒にいたいです」


 慶子は泣き出した沙良を優しくハグしてから、


「私はMarysのみんなと一緒に過ごせてしあわせだったよ」


 泣きじゃくる沙良に、慶子は泣き止むまで寄り添っていた。




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