47 禅譲
九月に入ると、慶子は何とも思い切った行動を取った。
「部長を沙良ちゃんに譲ろうと思うんだよね」
言うが早いか、慶子は部長の座を下りる手続きを取ってしまったのである。
「…なんで?!」
訝るメンバーたちを前に慶子は、
「もうすぐスクバンだよね? Marysには責任感を持って欲しいから、譲ることにした」
と述べた。
それはバンドとしての覚悟を持って欲しい──という、慶子の深慮でもある。
「私がバンドをやって思ったのは、人前に立って楽しませるには覚悟が必要で、それには責任あるポジションに来て努力するしか自覚する道がなくて」
という、経験に基づいた話をした。
「だからスクバンに出て連覇するには、人間的にも成長しないとダメだって私なんかは思ってて、それで沙良にバトンを渡すことにしたんだよね」
すず香や椿など癖の強いメンバーをまとめながら優勝まで導いた慶子は、気弱であった新入生の頃から見違えるように、すっかりリーダーシップのある人間へと成長を遂げていた。
しかし沙良は固辞した。
「だって明日海先輩やピカ先輩がいる」
というのが、その理由である。
が。
「あのね沙良ちゃん、リーダーってのは年齢じゃないんだよ」
いちばん広く見渡せるかどうかで決まるんだよ──慶子は松浦先生から教わった話を聞かせた。
「よく先生は『普段から視界を広く見渡せる人間がリーダーに向いている』って言ってて、Marysの中では沙良ちゃんがいちばん周りが見えてるんだよね」
だから沙良を指名した──慶子は理由を述べた。
「ノンタン部長…」
「凛々子とか芽衣とか、少し個性のあるメンバーだから大変かもしれないけど、でも沙良ちゃんならきっと大丈夫だと私は思う」
慶子は沙良の肩に優しく手をやると、
「沙良ちゃんなら大丈夫」
慶子はここでようやく微笑んで、
「これで、あとは私たちもロサ・ルゴサとして動けるようになる」
それは離別でも分断でもなく、発展を促すための自立の支援であったのかも分からなかった。
沙良が新しい部長となり、新体制でスタートすると、まず練習のメニューが変わった。
それまで少なかった体力づくりのメニューを増やしたのである。
「まぁワイやから高校野球式のメニューやけど、それでえぇなら組んだったかてえぇで」
松浦先生が作ってくれたのは、ストレッチ体操をメインに据えたトレーニングメニューで、
「関節の可動域を増やすだけで、無駄な力を使わんくて済むから、それが基礎体力アップになる」
これはロサ・ルゴサで合宿のときにやったやつや──松浦先生は見本を示してから、身体の比較的やわらかい優花がやってみせると、
「これ…リリー出来るかなぁ?」
身体の硬い凛々子のことが優花は気になったらしい。
凛々子が試すと案の定、肩周りの動きが悪く、
「あやち痛いって…うぎゃあぁーっ!」
サポートの綾が思わず笑ってしまうほどの硬さで、凛々子はたまらず悲鳴を上げて泣いてしまった。
ともかくも。
Marysが中心のクラブ活動になっていく中、ロサ・ルゴサはすず香が音大受験の対策に軸足を移すようになったのもあって、ライブは同じキーボードの沙良が代役で入るようになり、同じようにドラムは慶子の代理に綾が叩くようになった。
「スクバンの曲はどう?」
「それは芽衣ちゃんとリリーが作ったのがあるんで」
凛々子が作詞、芽衣が作曲した『雨の中で』というナンバーを本戦のグループリーグで披露する予定であるらしい。
まだ組み合わせ抽選は決まってなかったが、今回は準々決勝のリーグ戦は1グループ5校で、しかし上位2校通過は変わらないので、条件としては昨年以上に過酷である。
予選大会も情報によると札幌ブロック予選では穆陵高校が敗退し、苫小牧に校舎がある通信制高校・ハリスインターナショナル高校が、ロシア人留学生のボーカルで
部室でこの話が出た折、
「ロシア人ボーカル?」
すず香は気になったので検索をしてみるとハリスインターナショナル高校のスクールバンドは〈ヴェリニー・スニャク〉というバンド名で、ボーカルでリーダーのアリーナ・ミハイロワというロシア人留学生がロシア語で名付けたものであるらしい。
「ヴェリニーが白、スニャクが雪…」
ライブ映像で見たアリーナ・ミハイロワは、亜麻色の髪が美しい、ブルーグレーの目をした美少女である。
「…これ、日本人勝てる訳ないじゃん」
すず香はため息を漏らしたが、慶子はざっくりと見るなり、
「インターナショナルになってきたね」
とだけ言った。
エントリーが増え外国人留学生が参加することは、ライバルが増えることでもあるが、同時にスクバンが世界規模に近づきつつあって、Marysにもプラスになるのでは──という思いも慶子にはあったのかも分からない。
それは悪い話ではなく、
「私はいろんな人がいて良いと思う。だって音楽で競い合うなんて、こんな平和的で素晴らしいことはないって私は思うから」
確かに代理戦争のようなことにもなりかねないかも知れないが、
「音楽って、音を楽しむって書くじゃない?」
椿の口癖であり、生前の花が好んでいた言葉でもある。
「通訳のいらない言語で楽しく戦えるなら、こんなしあわせなことはないんだよ。だって誰も傷つかないんだから」
生来の本好きで知識欲のある慶子は、すず香には見えないものが見えていたのかも知れなかった。
全道予選大会へは、ロサ・ルゴサはデビューしたバンドとしてゲスト扱いで呼ばれており、Marysを帯同させる予定でいる。
リハーサルのあと、広い部屋がある綾の家に集まった全員は、
「今さらすごく訊きにくいんだけど…どうしてスクバンに参加することになったの?」
明日海は、疑問を慶子にぶつけてみた。
「最初は参加する予定じゃなかったんだよね」
全メンバーの中でいちばんの古株になっていたすず香は、美優が最初にスクバンの募集要項を持って来たときの話をしてみせてから、
「だから私もはじめは半信半疑なところが正直あって、でも予選でダメ金になったとき、すごく悔しかったんだよね。ピアノのコンクールのときですら、負けたってそんなに悔しくなかったのに、なぜかスクバンで負けたときは悔しくて」
それでスクバンの借りはスクバンで返すより他ない──すず香はその一心で戦ってきたらしい。
隣で聞いていた慶子は、
「…私は違ったかも」
当時の慶子はドラムは初心者であったが、
「私は負けたことよりも、またステージでドラムを叩きたくて、演奏するのが何より楽しくて好きで、それで大きなステージでドラム叩きたいってやってたら、気づいたときにはハマスタのステージにいた、って感じかな」
でも椿ちゃんは違ったよね、と慶子は振り向いた。
「まあね」
椿はドリンクを飲んでから、
「うちなんかはすず香に誘われてバンドに入ったけど、単にすず香やノンタンといるのが心地よくて、それでずっとやってたなぁ。だからすず香とノンタンが全日制卒業したら、サポートはするけどメンバーとしてのバンドはしないつもりでいる」
それに定時制だと制約が色々あってさ──椿は苦笑いをしてみせた。
それでも。
「ロサ・ルゴサってみんなバラバラな感じなのに、いざまとまるとなると結束力強いんだよね。好みだってピカみたいにフリフリひらひらな服が好きな子もいるし、椿ちゃんみたいに黒しか着ない子だっている。だけど向かうゴールが同じだから、みんな違ったアプローチで、それが強みなのかなって」
部長としてまとめるなんて無理だったけど、と慶子は笑った。
「Marysはみんな仲良さそうだよね。そこは私たちにはないところだから、そのいいところを伸ばしていって欲しいなぁ」
それまで黙って聞いていた耀が言った。
「ありがとうございます」
沙良が礼を述べた。
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