44 熱闘
夏の甲子園こと全国高等学校野球選手権大会・第六日目第1試合、南北海道代表の神居別高校と京都代表の養教館高校の試合は、朝から熊蝉がやかましい中、何気なく始まった。
先攻は養教館高校で、神居別高校のエース星原涼太郎は3連続で養教館打線を内野ゴロに打ち取り、幸先のいいスタートを切った。
「…夜中じゅう蒸し暑いから眠くて」
あくびをしながらすず香は応援部隊のサポートとしてジャージー姿でアルプススタンドを走り回っている。
ドラムの慶子と綾はパーカッション担当、サックスが吹ける明日海は吹奏楽のサポートメンバー、他は応援のネームボードを出したりサポートメンバーとして、おのおの持ち場に散っている。
応援曲はロサ・ルゴサのナンバーから『キミの勇気、ワタシの勇気』『笑顔はどこまでも』『ミラクルヒーロー』など明るく前向きなナンバーをメインに揃え、他とは明らかに違う応援スタイルとなっている。
佐藤真凛いわく「高校野球の応援歌は教育の一環なので」とすんなり許しが出たのも大きかった。
その中で。
凛々子だけは吹奏楽部隊に給水したり、急な変更の連絡をする、生徒会のサポートメンバーに入った。
「なんで私だけ?」
訝る凛々子に、守備で休憩していた慶子は、
「リリーはボーカルで声が楽器だから、それを壊さないように私が頼んだんだ」
とだけ言った。
凛々子は慶子の人しれぬ心配りを知ると、5回のイニング終了後のグラウンド整備の休憩時間に、通路で感動をこらえきれずに泣いた。
試合は0が続く展開で緊迫した投手戦となっていた。
5回終了で0対0、互いのエースが一歩も引かない展開に、
「いやぁ高校野球らしいキビキビした好試合ですねえ」
という解説者の声を動画の生放送配信で聞いていた凛々子はすかさず、
「言うのだけは勝手だよね。投げる気持ちも知らないで」
これにはさすがに周りの生徒たちや慶子も、笑うより他なかった。
試合が動いたのは7回裏、先頭打者が四球を選んで一塁に出ると、次に打席に立った涼太郎が送りバントをした。
これがフィルダースチョイスを誘って一塁二塁となり、次のバッターにタイムリーヒットが出て、神居別高校のスコアボードに2点が入った。
アルプススタンドは大盛り上がりで、点が入ったので応援歌を演奏した。
♫今日のこの日の この戦
撃ちてし止まむ 血はたぎり
肉は踊りて わが健児
今日も勝たずに おくものか
メロディーは『歩兵の本領』で歌詞はオリジナルという、古い公立高校にはよくあるパターンの応援歌なのだが、現代ではほとんど聴かれないため、かなり珍しく新鮮であったようで、ニュースサイトで採り上げられたほどであった。
結果から先に記すと、2対1で神居別高校は初戦を突破することが出来た。
涼太郎は内野ゴロを全27アウト中18個と、大量のゴロアウトの山を築き上げ、あわや新記録樹立というところまでの記録を残して勝ち、次の長野代表・駒ヶ根商業戦に備えることとなった。
「駒ヶ根商業かぁ。阿久津瞳子ちゃんがいたところだよね」
すず香は去年スクバンで見た、スタイルの良い阿久津瞳子の姿をふと思い出していた。
「確か瞳子ちゃんは卒業してたよね」
「訊いてみる?」
すず香が阿久津瞳子にLINEで訊いてみると、
「試合見てたよ。ノンタン部長テレビに映ってた」
どうやら中継にドラムを叩く慶子が映り込んでいたらしい。
「えっ…」
慶子は顔が引きつった。
それもそうで、このとき慶子は暑さ対策で、松浦先生からもらった例の英賀高校の水色のユニフォームを着ていたからである。
「目立っちゃったのかな」
慶子は顔が暗くなったが、
「でもノンタン、ユニフォーム似合ってるよ」
瞳子に言われると、なぜか悪い気はしなかった。
試合は翌朝、情報番組で採り上げられた。
「ロサ・ルゴサのメンバーでノンタン部長こと東久保慶子も応援に参加してたようで、可愛らしいブルーのユニフォーム風の衣装でドラムを叩いてました」
どこで見つけたのか、ツイッター上で載っていた写真が紹介され、
〈ノンタン部長可愛い〉
〈ノンタン部長は俺の嫁〉
〈ノンタン部長みたいな妹がいたら給料みんなつぎこんじゃいます〉
などといったハッシュタグまで並ぶ始末であった。
こうしたネットやメディアの騒ぎをよそに、当の慶子は、
「うーん、私は明日海やすず香のほうが可愛いと思うけどなぁ」
首を傾げるばかりであった。
試合の翌日に神居別に戻ってくると、慶子は眠れなかったのか明け方に一人で自転車で海岸まで走り、ぼんやりと海を眺めてから、帰宅して少しだけ眠った。
ロサ・ルゴサは3回戦は石狩の夏フェスと日程がかぶっていて応援には参加せず、それでも駒ヶ根商業には3対2で勝ったという速報がフェス会場のビジョンモニターに流れると、
「おめでとーっ!」
という歓声と拍手に包まれ、
「勝ったからご祝儀でもう一曲いきまーす!」
と、未CD化の『MAPを拡げて』を歌い、さらに盛り上がってライブはハネた。
神居別高校の快進撃は新聞の見出しで、
──神居別の奇跡。
と呼ばれるようになり、
「ピッチャーの星原涼太郎(3年)がフォームをオーバースローからスリークォーターに変え、投球が低めに集まるようになってから大成した」
という指摘が書かれ「かつて英賀高校を4強に導いた松浦投手と似たスタイル」という文章を慶子は目にした。
「…似てるけど、先生は先生だよ」
独り言を小さくつくと、慶子は新聞を閉じた。
準々決勝の相手が愛媛代表の松山外国語大学高校と決まり、
「でも今回はさすがに強いから…」
Marysは応援に行くこととなり、しかもロサ・ルゴサはラジオ番組の生放送で東京にいる。
「最後の姿は見られないかもね」
慶子は言った。
「でもさ…初出場でベスト8だよ? 立派だと思うけどなぁ」
椿は率直に言った。
「だけどうちらは優勝したんだから、このぐらいで負けたら涼太郎はうちらより下だよね」
すず香の棘のある言葉に、
「うーん、てか何でそんな仲悪いの?」
「…うるさいなぁ、人のことなんだからほっといてよ!」
「だって昔からでしょ?」
少なくとも椿がすず香と知り合ってから、涼太郎とすず香が仲良く話したりしているところを見たためしがない。
「別に仲良くしろとは言わないけど、でも理由ぐらいは訊いたって、支障ないと思うけどなぁ」
「椿ちゃんが相手でも、それは話したくない」
すず香には頑なな一面がある。
ところが椿はこうしたとき、珍しく粘着性な気質を発揮する場合があって、
「ノンタンは知ってる?」
椿は慶子に訊いてみた。
「詳しい訳ではないけど、聞いたことはあるよ」
慶子によるともともと涼太郎とすず香は仲が良かったらしかったのであるが、
「何か、すず香ちゃんのピアノの発表会に星原くんが野球の試合が延長戦かなんかになって、結局は見に来られなくて、それからだんだん仲が悪くなったみたい」
子供の仲違いってそんなもんだよね──慶子は穏やかに笑ってみせるのであるが、あの気性のすず香だから、慶子のようには笑えなかったのかも知れない。
「もしかしたら、見てもらいたかったのかな」
すず香はそういうところあるから──慶子がすず香のことを語るときには、なぜか保護者のような眼差しをするところがある。
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