Episode6

41 戦友

 五月にMarysマリスのメンバーが初めて作曲した『進め!』を披露する六月の文化祭が始まると、一般公開日は朝から正門前に行列ができるほどの混雑ぶりとなった。


 難聴で補聴器なしでは暮らせなくなっていた駒木根梓も、高梨あかりに連れられて、この日は珍しく高速バスで神居別まで来ており、


「…ひさしぶり」


 椿や慶子のりことの久々の再会を果たした。


「…やっぱり、ライブって楽しいね」


 ぎこちなく笑った梓の様相から、もしかしたら梓は引きこもっていたのかもしれないと思ったのか、椿は、


「…もうさ、あんまり悩まなくていいって」


 笑顔で言いながらも椿の目からは、はらはらと涙はこぼれていた。




 あかりが連れてきたのは、梓だけではなかった。


「…神居別って初めて来たけど、海が綺麗なところなんだね」


 どこでどう繋がっていたのか、何と吉田葵まで来たのである。


「葵ちゃん…ひさしぶりだけどどうしたの?」


 慶子しか繋がりがないはずで、しかも文化祭の話はしていない。


「梓ちゃんから聞いた」


 そう言うと、葵は思わぬことを口にした。


「例の署名、梓ちゃんが発起人だったんだって」


 ここでいう例の署名というのは、ロサ・ルゴサのデビューを請願した、クイーンレコード社に出したくだんの十四万人の署名のことである。





 思わずすず香が、


「それってマジ?!」


 と驚いた調子で梓を問い詰めた。


 問い詰められた梓は、


「だって…私、みんなの音楽とかメンバーとか大好きだったから」


 それで集め始めたらしいのだが、人数は梓の予想をはるかに超えたものであったらしく、


「あんなに集まるとは思わなかった」


 と、恐縮気味に言った。


「でも、私は良かったんじゃないかなって思う。だって普通こんな話、都会の高校生にしかなさそうな話じゃない?」


 吉田葵は続けた。


「きっとロサ・ルゴサって、みんなの夢や希望を託せる存在だったんじゃないかなって。田舎の女子高校生たちでも、やれば大きなことが成し遂げられるんだって。夢は叶うんだって」


 たまたま私はそういう存在じゃなかった──葵は述べてから、


「だからね、私はファクトリーガールズを卒業しようかなって」


 たまたまモデルにスカウトされたのもあって、ソロでの活動に軸足を置くつもりであるらしい。


「歌だけならソロでもできるし、それに…私、あんまり人望ないみたいだしさ」


 葵は苦笑いした。





 もったいない──耀ひかりは思わず洩らしたが、


「たぶん私、集団行動とか向かないんだと思う。窯業科で陶芸実習やってて分かったのは、私は個人行動が向いてるってこと」


 葵は屈託ない笑顔で、耀に答えた。


「でも、あなたたちみたいなメンバーだったら、少し違ったかも」


 葵は小さく舌を出した。


 ライブまで時間があったので、たまたま控室から出てきた綾に校内を案内させ、あちこち出見世でみせを回ったりしたあと、


「綾ちゃんさ、今度Marysで遊びにおいでよ」


 今日はちょっと用事あるから──とこの日は帰って行った。


 Marysのライブが始まる頃、少し離れた特設のライブステージはかなりの混雑ぶりで、通行するのも難儀なほどであった。


「みなさーん、こーんにーちはーっ!」


 マイクを通した凛々子の声がした。


「ライブ、始まるよ」


 あかりの声に導かれるようにロサ・ルゴサのメンバーは、特設ステージ目指して歩き始めた。




 ライブは無事、盛況のうちにハネた。


「お疲れ様!」


 明日海が差し入れのお菓子やら飲み物やらを携えてやって来た。


「明日海先輩、ありがとうございます!」


 代表してバンドリーダーの沙良が受け取った。


「あれならブロック予選は大丈夫かな」


 明日海は間近でライブの様子を見ていたらしい。


「でもね、世の中には強いバンドがたくさんいるから、まだまだ頑張らないと勝ち残れないと思う」


 心配性の慶子らしい台詞ではある。


「けど大丈夫だよ。私たちに出来たんだから、きっとみんなも出来るよ」


 穏やかに慶子は微笑んでみせた。




 ロサ・ルゴサのライブは特設ステージで最後に始まった。


「みんなーっ! 今日は飛ばして行くよーっ!」


 明日海のコールからライブは始まり、未発表曲の『プリンセスは傷つかない』をはじめとする5曲を披露したのだが、


「…やっぱり先輩たちは違うなぁ」


 ステージ袖で見ていた凛々子は、自分たちとは明らかに実力が違う圧倒的な差に、なすすべもなく呆然としていた。


「凛々子ちゃん、大丈夫?」


 芽衣と優花がそばに寄ってきた。


「…うちらってさ、すごい高いハードルを超えなきゃならないんだね」


 綾がうしろからボソッとつぶやいた。


「この先輩たちを超えなきゃならないのかって考えると、谷底に突き落とされたような気持ちになるけど、でもMarysはMarysらしく活動するしかないよね」


「まずはさ、みんなで優勝旗を返しに行けるようにしよ」


 スクバンの優勝旗はMarysが返しに行く。


 予選で負けた場合はバンドリーダーの沙良が一人で返しに行くが、全員で返しに行くということは、


「つまり、全道は勝たなきゃならないってことだよね」


 芽衣が言った。


「…目標が出来たら、何か頑張れそうな気がしてきた」


 凛々子はようやっと、そこで笑顔になれた。




 後志ブロック予選は今年はカレンダーの関係で7月のはじめになっていて、幸いにも少しだけ時間がある。


 文化祭が終わるとすぐ、Marysのメンバーは毎日遅くまで集まって、部室で音合わせを兼ねたリハーサルをするようになった。


「でもロサ・ルゴサがすごいのは、椿先輩って定時制のメンバーがいるのに強いところなんだよね…」


 リハーサルを重ねるうちに優花が気づいたのは、まず自分たちが身近な先輩を超えなければならないという分厚い壁の存在であった。


「しかも椿先輩、レフティなんだよね…」


 同じギターである優花が特に気づいたのは、椿が普通の右利き用のギターの弦をすべて左で使えるように、逆に張り替えて弾いている…ということである。


「みんなには悪いけど、これは勝てない」


 逆に張り替えると、ネックのペグのコマの位置の関係で張り方を変えないと音がおかしくなり、まともな演奏にならなくなる。


 それを椿は、微調整で何とかこなしているのである。


「私はどうしたらいいのだろう…」


 優花は、それに気がつくと絶望的な思いにさいなまれた。





 少し様子のおかしい優花を見て、


「…優花、大丈夫?」


 それに真っ先に反応したのは、優花とは幼なじみの綾である。


「だって…椿先輩みたいに上手くないし」


 泣きそうになる優花に、


「優花は優花らしく、気にしないで弾けばいいんだって」


 綾にはそのぐらいしか言えなかったが、


「うちらはさ、壁があるから乗り越えるしかないんだよ。諦めたらそこで終わりだよ」


 泣き顔の優花を、綾はまるでおさな児をあやすように、なだめるぐらいしかできなかった。


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