37 感懐
バレンタインデーのデビューライブに向けたリハーサルが始まり、三学期も始まって慌ただしくなった頃、慶子は星原涼太郎に呼び出されて図書室にいた。
「…あのさ、実は」
涼太郎は封筒を手渡した。
「読むのは後でいい」
涼太郎はそのまま図書室を出た。
見回すと誰もいない図書室で、慶子は封筒を開いた。
そこにはただ一言だけ、
──自分の彼女になってください。
とだけ書かれてあった。
当初ずいぶん乱暴なラブレターだなと慶子は感じたが、こんなふうに気持ちを真っ直ぐにぶつけられたのはほとんどなかったことで、慶子はどうしたらいいのか分からなかったのか、
「…どうしよう」
誰かに言えるものでもないのでポケットにしまい、自宅に戻ると
数日後。
マネジメント担当となった佐藤真凛が来校すると、
「デビュー前に、みなさんにやっておいてもらいたいことがあります」
あまり連絡のない友達の電話番号やLINEのIDなど、つながりのない知人などは消しておくように言われた。
「クラスメイトは…まぁ残しといて良いでしょう」
とはいえ神居別高校は各学年一クラスしかなく、しかも親の頃から知り合い──という家もそこそこある。
しかし。
「仮にラブレターなどもらった場合には、迷わず捨ててください。スクールバンドにスキャンダルは大問題となりますので」
佐藤真凛の言葉でラブレターの存在を思い出した慶子ではあったが、
──でもなぁ…私、好きなタイプ違うんだよなぁ。
涼太郎には悪いと思ったが、菱島飛鳥を通じて断わることにし、
「星原くんにこないだの手紙の件だけど、悪いけどごめんなさいって伝えといて欲しいんだ」
それで多分わかると思う──慶子は言った。
飛鳥は慶子に言われた通り涼太郎にそのまま伝えると、
「…そっか。まぁ仕方ないな。こればかりは俺にはどうにもならない」
涼太郎は慶子がデビューするにあたり恋愛をすることができないといったような意味に捉えていたらしく、
「だって芸能人になるんだよな」
ふっと見せた目があまりにも寂しげで、飛鳥も一瞬気持ちが揺らいだが、
「…ま、でもこれで結論出た訳だし」
涼太郎は深呼吸をすると、気持ちを切り替えるように投げ込み練習を始め、それまでキャッチャーが受けたこともないような厳しい強い球が、キャッチャーミットにおさまるようになった。
ライブの前日、最後の通しリハーサルが終わり、最後まで残っていた松浦先生が鍵を閉めて出てくると、
「…松浦先生」
慶子が紙袋を手に待っていた。
「ホントは明日渡したかったんですけど…バレンタインデーのチョコです」
メグや美優がいた頃にはなかった話なので、松浦先生は一瞬驚いた顔をしたのだが、
「大丈夫です、メンバー全員からのチョコなので」
慶子は笑顔を見せた。
「それじゃ先生、お疲れ様です!」
とだけ言うと、ペコリと無言でお辞儀をして帰っていった。
帰りの車内で松浦先生が紙袋を開くと、
「先生いつもありがとうございます」
というメンバーからのメッセージカードとともに、ハート型をしたチョコレートが入っていた。
それとは別に紙袋には緑色の包装紙に包まれた、小さなチョコレートの箱が手紙を添えられて入っている。
慶子が書いたと思しき手紙らしい。
目を通した。
読み終えたあと、しばらく松浦先生は考えていたが、慶子からもらった小さなチョコを口に頬張ると、エンジンをかけて、そのまま帰宅したのであった。
バレンタインデーのデビューライブ当日。
授業を終えてメンバーが札幌のライブ会場へ入ると、この日学校休みであった椿が、あかりと先に来ていた。
「デビューおめでとう。それにしてもスゴイね」
芸能人なんだもんね──あかりは少し顔が紅潮している。
「あかり、ありがとね」
すず香があかりの手を取って、謝意を示した。
札幌の専門学校にいたメグも顔を出した。
「まさかデビューするとはねぇ…でもこれからが大変だよね。ヒット出さなきゃならないんだからさ」
メグは少しだけ気がかりであったらしい。
「でもさ、署名でデビュー決まるってすごいよね。誰が集めることをひらめいたんだろ」
「それがわからないんだけど…飛鳥ちゃんはもしかしたら星原くんじゃないかって」
しかしそれは考えにくかった。
なぜならデビューしてしまうと会うチャンスも、つきあう機会も減るはずで、それを涼太郎が選ぶとは考え難い。
この日は結論もないまま、ライブが始まった。
ライブは盛況のうちにハネた。
デビューシングルである『Thank You』とデビューアルバム『スクールダイアリー1』から『君と見た流れ星』『雪の帰り道』『プレゼント』など5曲を演奏し、その後に手売りのイベントもあったのであるが、何とか無事にこなすことができたのである。
ライブを終え神居別へと帰る途中、話題はメンバー全員で松浦先生に渡したチョコレートの話になった。
「あのチョコ食べました?」
すず香が訊いてみた。
「あのハート型のやろ? 美味かったで」
ホワイトデーに何か渡さなあかんな──とだけ言い、慶子から別にもらった話はしなかった。
その後は卒業式の準備もあったのでほとんどメンバーと松浦先生が会うことがなく、メンバーも毎週末には札幌でラジオ出演やらイベントのゲストやら、デビューしたてなので売り込みの営業に走り回っていたのもあって、慶子は松浦先生にチョコレートとともに渡した手紙のことを半分忘れかけていた。
三月に入ると、慶子たち在校生による卒業生を送る送別ライブがあって、ロサ・ルゴサのメンバーたちは『Thank You』を歌って感動のフィナーレを演出したのであるが、ホワイトデーが近づいた週末の練習日、
「これな、少し早いけどホワイトデーや」
見たことのない缶のクッキーを松浦先生が持ってきた。
「今回は神戸の洋菓子屋から取り寄せた」
すず香や耀は松浦先生が関西人であることをあらためて思い出したようであった。
「それとな東久保、ちょっと話あるけどえぇか?」
フランクな口調なので誰も何も疑わず、慶子だけ職員室に来た。
「手紙の件やけど…悪いけどアカン」
慶子が涼太郎に返した言葉そのままが返ってきた。
「あれはアカン。何しろいちばん問題やし、それに東久保にはもっとふさわしいのがどっかにおるやろって」
でもなぁ、と松浦先生は、
「何も返さん訳にはいかんし、これならあげてもえぇかなって」
そう言って松浦先生が慶子に渡したのは、紙袋に入った何やら洋服のような物であった。
「まぁ家に帰ってから開けぇや」
そのまま松浦先生は慶子を部室へ帰した。
松浦先生からの紙袋をロッカーに入れてその日は楽器のパート練習をし、帰りにロッカーから紙袋をリュックにしまい帰宅すると、自室で慶子は着替える間もなく紙袋を開けた。
「…これって」
それは、一枚の淡い水色の野球のユニフォームである。
左袖にはローマ字でHYOGO、胸には翼のついた剣があしらわれた校章の下にAGA High schoolと小さく書かれ、背中には大きく〔1〕と背番号が縫い付けられてある。
まぎれもなく、かつてベスト4まで行ったときの
「先生…こんな大切なものを」
手紙がクッキーとともに添えられてあり、
「今は東久保の想いに応えることは出来んが、感謝を込めて送る。大切な気持ちをありがとう」
慶子はユニフォームを抱きしめると、枕に顔を埋め声を限りに
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます