Episode5
33 注目
いつもの日々に戻り、またいつものようにメンバーは練習をする毎日が始まったのであるが、一つだけ違ったのは、周りからの目であった。
近所からお祝いをもらうこともあったが、田舎だけに豪快なもらい物もあり、
「隣のおばさんから手作りのイクラの醤油漬けもらったんだけど…私、イクラ苦手だからみんな食べて」
偏食の明日海が、タッパーでイクラを一年生のクラスに持ち込むと、クラス中の生徒が明日海の机に集まり、イクラの争奪戦が始まる始末であった。
各学年一クラスしかないので、
「明日海がイクラ苦手なのは知らなかったな」
そう言いながら、一口だけもらって弁当の白飯に乗せて食べると耀は美味そうに頬張った。
「ピカちゃんCM来そう」
クラスの中から声が上がると、黄色いコロコロした笑い声が広がった。
このような賑やかな様子は二階にあった
「武藤
などと訊かれることは毎日で、
「ノートありがとね。おかげでテスト何とかなりそう」
慶子が礼を述べると、
「ノンタン部長こそ、全国制覇おめでとう」
すっかりクラスの人気者になっていた。
定時制クラスの椿も、昼間にアルバイトをしているラーメン屋で声をかけられる頻度が増えたらしく、
「こないだ急にLINEのIDのメモ渡してきた人がいて、あれには困った」
生まれて初めてナンパされた話をした。
北海道の片田舎の小さな高校のガールズバンドが成し遂げたサクセスストーリーは、朝の情報番組で取り上げられ、椿のラーメン屋だけでなく、慶子の実家の木工所や耀の生家でもあるライブハウスなど、さまざまなところにテレビカメラが来るようにもなった。
特に学校へは入学希望の問い合わせが殺到し、急遽オープンスクールと説明会をするのが決まって、そこでミニライブをすることが決定したことを松浦先生から伝えられると、
「何だか騒がしくなってきたなぁ」
慶子は胸騒ぎをおぼえた。
しかし。
「それで仮に入部したとして、ロサ・ルゴサは五人なんだよ?」
すず香の指摘はチームワークのことだけではなかった。
「新しく別にスクールバンドを作るしかなくなるかも知れない」
慶子やすず香が望んでいたことではない。
「もしかしたら、優勝しなかったほうが良かったのかもしれないね…」
周りの騒ぎっぷりをよそに、当事者であるメンバーたちは存外、冷ややかにものが見えていたのかも分からない。
取材は神居別の町だけではなかった。
スクバンの全国大会の舞台でもあった横浜スタジアムの周りや、宿舎のホテルがある天王町の界隈でもテレビカメラが動き回り、
「こちらがロサ・ルゴサのメンバーのみなさんが書いてくれた寄せ書きの色紙です」
と、ミーティングルームに残されていた例の寄せ書きが紹介された。
「とても礼儀正しい子たちで、チェックアウトの際には綺麗に清掃されて帰られました」
エピソードとともに紹介されると、
「こういう子供たちがいると、まだまだ日本も捨てたものではない」
などと訳知り顔をしたコメンテーターの薄っぺらい一言とともに放映され、そのときはそれで終わった。
が。
翌日。
一台のタクシーが、神居別高校の校舎へあらわれた。
「突然このようにご訪問してすみません」
電話は前日あったものの、昨日の今日になっての来訪である。
「わたくし、クイーンレコード社マーケティング部の佐藤
颯爽とパンツスーツを着たロングヘアの女性であった。
佐藤真凛が通されたのは、応接用に改装されてある職員室脇の空き教室で、
「顧問の松浦です」
松浦先生が来ると、名刺を取り交わした。
「で、ご用件とは?」
「おたくのスクールバンド、ロサ・ルゴサについてなのですが、実はデビューの話が出ていまして」
スクバンからデビューしたバンドは、過去に二つある。
華城高校のFlower Castle、和泉橋女子高校のAMUSEがそれで、どちらも映画化されたりアニメ化されたりしている。
「過去の2校は半ば優勝のオプションのような面がありまして、なので私たちも半ばスクバンの宣伝のような側面があったのですが、今回はまるで違いまして」
佐藤真凛によると、
「ロサ・ルゴサの場合は、インターネットで七万筆という署名を集めてデビューの請願が当社に来るという、それまでになかった事態が出来してまして」
これには外資系であるクイーンレコード社のアメリカ本社も看過できなかったようで、
「そこで、まずはメンバーのみなさんのご意見もうかがいたく来校した次第です」
最終的に署名は十四万人という厖大な数を集めるに至るのであるが、このときにはまだ七万人ながら署名が集まっていた。
「それは…うちは公立高校ですから、まず教育委員会に話をしていただかないと」
「町と道の教育委員会には話をしてあります」
了解は取り付けてあったらしい。
資料を佐藤真凛が広げると、
「おまけにうちには定時制クラスのメンバーもいます。時間的な制約もありますので」
デビューは難しいのではないか──というのが松浦先生の見解であった。
「活動は基本的に土日祝日と夏休み冬休み春休み、あとは連休のみです。学業に支障の出ないようにマネージャーがスケジュール管理しますし、場合によっては家庭教師を派遣して授業に遅れが出ないようにするバックアップ体制もあります」
前にクイーンレコードではスクールアイドルのマネジメントもしていたらしく、
「ノウハウはあるのでご安心ください」
とは言うのであるが、やはり松浦先生からすれば心配は否めない。
「まぁ、近々ミーティングがあるので、その際に話をしてみます」
松浦先生にはそれしか答えようがなかったらしい。
そこで松浦先生はメンバーに資料を示しながら、
「まぁ売れるかどうか分からんけど、デビューさせたいらしいねん」
半ばぼやくように述べた。
「デビューって急に言われても…心の準備もないし」
確かにそこは、慶子の言う通りであろう。
ピアノのコンクールで、ある程度の場数を踏んでいるはずのすず香ですら、
「これだから大人は安直に考えるんで困る」
と、世のオトナと呼ばれる種族が利権と性欲ぐらいしか頭にないことに対する、見切りと諦めと怒りの
「だって売れなかったらバンド出来なくなるじゃん」
椿でさえ、否定的ではある。
松浦先生は思ったよりメンバーたちが大人びた思考で、思ったよりしっかりと未来を考えていることに安堵した反面、これをそのまま佐藤真凛が聞いたらどうなるかという複雑な苦味も感じなくはなかった。
「まぁ、来週またその佐藤さんだかってのが来るから、それまでにある程度の結論出しといたらええんとちゃうか?」
わざと明るく言って松浦先生は職員室へ戻った。
深夜。
明日海はLINEで武藤小夜子に連絡をつけると、
「実は」
と、デビューの話が出ていることを相談してみた。
「やっぱり噂はホントだったんだ?」
武藤小夜子は噂で聞き知っていたようで、
「あーちゃんのボーカルなら通用すると思うけどな」
客観的な物言いではあった。
「でも、私も先輩たちもみんな、売れなかったらどうしようって…」
「あのね、あぁいうところの人たちって、ある程度のマーケティングをして、見込みがある時にしかそんな話はしないよ」
武藤小夜子は自らがスクールアイドルとしてデビューしたときの話をし始めた。
「私のときにはラブライブサンシャインの声優さんがツアーとかしてた時で、そんな最中にリアルに女子高校生がスクールアイドルとしてデビューするってことで、ニュースには一応なったけど、それでも1年は保たなかった」
「やっぱり厳しいんだね…」
「でもロサ・ルゴサは無名のところからスタートしてスクバン優勝した訳だし、それに北海道から出たってだけですでにブランド化してる」
「そうかな?」
「私のときより、あーちゃんのほうが恵まれてるんだよ」
経験者にしか言えない言葉ではあろう。
「だからさ、とりあえず今の二年生が卒業式迎えるまでやってみたら? それからでも遅くはないと思うよ」
現実的な回答ではあったろう。
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