32 決勝

 この日の横浜スタジアムは朝からどんよりとした冴えない晩秋──ちなみに十一月である──の薄曇りで、しかも夜には雨の予報すら出ていた。


「天気、保てばいいけどなぁ」


 何となく不安を口にするすず香に、


「大丈夫、うちらは出来る限りのことをしてきたんだから」


 慶子がハッパをかけた。


 観客席はステージのあるバックスクリーン側に向かって内野と外野が八等分され、それぞれ応援の生徒や卒業生、父兄に関係者などが座る。


 神居別高校の席は、少し空いていた。


「まぁ、うちの学校は卒業生少ないから…」


 美優やメグに言わせるとどうやらそうしたことらしいのであるが、


「でもみんな来たらしいよ。飛鳥ちゃんも星原くんも」


 慶子はLINEで知っていたらしかった。





 控室はブルペンにパーテーションで仕切られており、北から順に並んでいたため、一番隅に割り当てられてあった。


 入口に近いぶん少し寒かったが、


「まぁ雪降るわけじゃないし」


 などと椿は言い、使い捨てのカイロや温かい缶コーヒーなどで何とかしのげるレベルではある。


 そのとき。


 遠くから何やらメロディーがうっすら流れてくるので、椿と慶子は通路を抜け、舞台の袖まで来た。


 客席から、歌が聞こえてきていた。


「…校歌だね」


 席の位置から、駒ヶ根商業の校歌であろう歌が聞こえてきていた。


 椿と慶子が帰ろうとすると、


「…校歌、斉唱ーっ!」


 という応援団らしき声とともに聞こえてきたのは、


  ♪くれなゐにほふ浜梨の

   花かぐはしき 朝ぼらけ──


「…うちの校歌じゃん」


 数は他より少ないながらも、明らかに神居別高校の校歌であった。


「ああやってさ、みんなにうちらは期待されてるんだよ」


「そだね」


 慶子はうなずいた。


「頑張らなきゃ、女だって廃るよ」


「何そのハリウッド映画みたいなセリフ」


 日頃そのようなことを言わない慶子が言ったので、椿は思わず素早いツッコミを入れた。





 決勝は10校が登場する。


 演奏順はすでにくじ引きで決まっており、


  〈西学にしがく軽音部〉西ヶ原学園高校【奈良】

  〈サンセットピーチ〉桃原高校【沖縄】

  〈小町娘。〉秋田学院高等部【秋田】

  〈パープルピンク〉藤崎女学院高校【熊本】

  〈マーキュリー〉駒ヶ根商業高校【長野】

  〈CAMELLIA〉椿ヶ原高校【宮崎】

  〈cherryblossom〉桜城大学高校【京都】

  〈ロサ・ルゴサ〉神居別高校【北海道】

  〈リトルデーモン〉聖ヨハネ学園津島高校【愛知】

  〈AMUSE〉和泉橋女子高校【東京】


 という順序である。


 このうち優勝経験校は和泉橋女子高校だけで、あとはどこが勝っても初優勝となる。


 さらに初出場7校のうち決勝まで来たのは神居別高校のみで決勝初進出も4校という、フレッシュな顔ぶれとなっていた。


 逆に展開は読めなかったらしく、


「番狂わせが起きる可能性が高い決勝」


 というインターネット中継の解説の一言が、波乱を予感させていた。





 1校目の西ヶ原学園の演奏が始まると、早くも波瀾は始まった。


 予報になかった雨雲が来たらしく、時雨模様の中で決勝が始まったのである。


「わぁ…雨だ」


「衣装どうしよう」


 などという声がする中、桃原、秋田学院、藤崎女学院…とプログラムは進んでゆく。


 前半最後の駒ヶ根商業の演奏が終わると休憩に入ったのであるが、雨は降ったり止んだりを繰り返していた。


「雨で中止になった場合は、優勝なしというルールになっている」


 非情とも言わるべきルールを聞いたすず香はたまらず、


「マジで雨やめーっ!!」


 控室の窓を開け思わず叫んでしまったぐらいで、それほど降りのひどさに悩まされていたことがうかがわれる。


 後半に入り、椿ヶ原のあたりから雨がひどくなり、次の桜城のときには、メンバーが雨具をつけて演奏するほどの土砂降りとなった。


「8番、神居別高校。ロサ・ルゴサ」


 舞台に溜まった雨水をモップで始末するため、少しだけ時間が空いた。






 ステージの対処が済むと、メンバーが出てきた。


「それでは聴いてください、『Thank You』」


 ちなみに『Thank You』はメグや美優が卒業するときのライブで在校生組が作った、ラブソングの形式を採った明るい感謝を伝えるためのナンバーである。


 ──みんなが来てるんだから、これにしよ。


 決勝のエントリーの際、何の異見もなく満場一致で決まった曲でもあった。


 それをすず香が弾こうとした次の瞬間である。


「…!」


 スタジアムが、急に暗くなった。


「停電だ!」


 スタッフも慌ただしくなり、客席も周囲も不穏にざわつく中、明日海はそばにいたスタッフから、拡声器を分捕るように奪い取ると、


  ♪私がキミと出逢ったのは 雪の残る朝でした

   坂道を登ってくるキミを見て 私は何かを感じていた


 なんと拡声器で、アカペラで歌い始めたのである。


  ♪寝癖のままのキミの髪型 私が笑うとキミも笑った

   あのときの笑顔がキラキラしてて

   私はキミと歩こうと決めた──


 いつしかあちこちで手拍子がおき始め、明日海は小雨の薄暗い横浜スタジアムのステージのセンターで、何事もなかったかのように歌ってみせたのである。


 アカペラで『Thank You』を明日海が歌い終わると、雨は止んだ。


 スタジアムの全体から割れんばかりの拍手が起き、ロサ・ルゴサはパフォーマンスを終えたのだが、


「明日海…ありがと」


 耀は緊張が切れたのか、涙が止まらなくなっていた。


「だって…どうしても歌いたかったから。ピカが歌えなくて悔しい思いをしてるのに、雨で中止なんかにされてたまるかって」


 明日海は笑っていたが、目には涙が光っていた。


 次の聖ヨハネ学園津島高校のリトルデーモンの順番のときには停電も復旧して虹もあらわれ始め、どうにか無事にすべてのパフォーマンスは終わった。





 結果発表前の時間、控室では和泉橋女子高校の武藤小夜子が明日海の前にあらわれると、


「今日はMVPあーちゃんかもね」


 あんなドラマみたいな展開されちゃ誰も勝てない──小夜子は苦笑いをしながらも、明日海とハグをして健闘を讃えあった。


「それでは、結果発表です!」


 司会のアナウンスが聞こえると、10校全員がステージに立った。


「まずは10位から4位まで発表です!」


 バックスクリーンに出た順位に、神居別高校はなかった。


「3位以上は確定ってことだよね」


 椿の冷静さと、落ち着かない様子のすず香の対比が対照的である。


「それでは、最終結果発表です!」


 司会の声のあと、ドラムロールが鳴った。


 ステージが暗くなり、緊張が走った。


 優勝校には、そこにだけスポットライトが当たることになっている。


 バックスクリーンが光った。


「…優勝は北海道地区代表、神居別高校のロサ・ルゴサです!」


 メンバーにスポットライトが当たった。


「…投票数、なんかすごいことになってるんだけど」


 冷静な椿が指摘したのは投票数で、2位の聖ヨハネ学園津島高校との差が、実に3倍近いのである。


「スクバン史上初、優勝旗が北の大地へ渡ります!」


 インターネット中継で解説が一言、


「やはりあの圧巻のアカペラがききましたね、あれで完全に流れが変わりましたからね」


 この圧倒的な優勝は、公式ツイッターやインスタグラムなどでもこのときすでに話題となりはじめていた。




 表彰式になると再び雨が降り始めた。


 小雨の中、部長の慶子が真紅の優勝旗、副部長のすず香が優勝楯、メンバー全員にはメダルが授与された。


 準優勝の聖ヨハネ学園津島高校には準優勝楯とメダル、3位の和泉橋女子高校には3位の楯とメダルがそれぞれ渡され、バックスクリーンを背景に記念撮影をして、スクバンの全国大会は終わったのである。


 控室に戻ると、決勝出場のチームたちで記念撮影が始まっていた。


 特に明日海は大人気で、長蛇の列ができて撮影待ちをするチームの生徒たちで溢れたほどである。


 このあといわゆる人気投票ランキングの結果とベストメンバーが発表され、ボーカルとしてロサ・ルゴサからは明日海が選ばれた。


 人気投票で明日海は3位であった。


「やっぱり1位はさーたんだって。圧倒的だもん」


 1位は武藤小夜子、2位の駒崎礼、3位が明日海である。


 再び天王町の宿舎ホテルに戻ると、


「ロサ・ルゴサのみなさん、優勝おめでとうございます!」


 ホテル側の厚意で宴席が設けられ、小さいながらも祝賀会が開かれた。


 翌朝、羽田から飛行機に乗ると、


「本日はご搭乗ありがとうございます。現在この飛行機には、先日行なわれました全国スクールバンド選手権大会、スクバンで優勝いたしました神居別高等学校のみなさんが、真紅の優勝旗とともに搭乗されておられます」


 機内で拍手がわいた。


「神居別高等学校のみなさん、優勝おめでとうございます。真紅の優勝旗は間もなく津軽海峡を通過し、北海道・新千歳空港へと着陸の体制に入ります。なお、歴史的瞬間をご搭乗のみなさまとともに経験できますことを、機長として誠に誇りに思います。なお着陸の際にはシートベルトを着用いただきますよう、よろしくお願いいたします」


 機内放送のあと、キャビンアテンダントから航空会社のグッズのプレゼントがメンバーに渡されると、また拍手で盛り上がった。




 新千歳空港からは、町で用意されたバスに乗り込み、高速道路で一気に小樽を越え、神居別の町へ。


 約十日ぶりに神居別の見慣れた校舎へ着くと、雪がうっすら積もっていた。


「ただいま戻りました!」


 在校生だけでなく近所の住民、記者やらカメラマンやら見たこともないような大勢の群衆の姿に、自分たちが成し遂げたことの重大さを、メンバーは噛み締めるのと同時に、


「…なんかさ、これから絶対大変なことになりそうだよね?」


 MVPとしてティアラやマントまでもらっていた明日海は、なんとなしにではあったが、これから起きることの重圧の一部を早くも感じ始めていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る