30 成長

 準決勝リーグ前の予備日。


 この日はエントリーで決めた『カプセル』の音合わせを、メンバー全員でしていた。


「あとはアレンジだけど…一応パターン決めとく?」


 細かい詰めの部分に差し掛かって、ボーカルと合わせるための作業に入った直後であった。


 「…声が」


 さっきまで出ていたはずの耀の声が、かすれてしまっている。


 声が、急に出なくなったらしい。


 一瞬みな、凍りついた。


「あんなにケアまでしてたのに…」


 思わず慶子が言った。


 耀は日頃からマスクをつけ、特にメインボーカルになってからは、うがいや加湿などケアを怠らなかっただけに、


「とにかく原因だけは突き止めなきゃね…」


 メンバーに付き添われて、ホテルに紹介してもらった病院で診察をしてもらうと、


「バンドのボーカルですよね? 歌い過ぎによるストレスから来ている可能性があります」


 ベースの演奏だけであれば問題はないものの、歌唱は数日停止という、俗に言うドクターストップがかかったのである。




 ところが、である。


「でもうちのメインボーカルだし…」


 部長である慶子は何とかならないものかと、医師に食い下がった。


「ベースの演奏は差し支えないので、どなたか一回だけボーカルを変わってもらうしかないかと」


 つまり準決勝リーグで勝てば、決勝は耀が歌える──ということであるらしい。


「ボーカルの代役…」


 しかしエントリー後なので、曲の差し替えはきかない。


「しかもうちらしかいないしね」


 こうしたとき、他の強豪校などではサブボーカルがいて、メンバーの変更という形で、サポートメンバーを入れたりすることは間々ある。






 だがしかし。


 ロサ・ルゴサには、人数が少ないためサポートメンバーがいない。


「一応、サブボーカルは明日海と椿だけど…」


 宿舎に戻るなり、すず香が小さくつぶやいた。


「…私、代わりに歌う」


 意を決した顔で明日海が言った。


「いつもピカとは一緒だったし、ピカにはバンドに誘ってもらったし、それにずっと一緒に何かをやりたかったし」


 だから今回は私が歌う、と明日海は述べた。


「明日海…」


「それにさ、前にピカが風邪引いたときの練習で私、代役したことあるし」


 はじめの頃おとなしかった明日海は、メンバーになってからいつの間にか、半年の間に成長していたようである。





 ともかくも。


 急ごしらえではあるが、ボーカルを明日海に変更したのだが、幸いキーは変わらなかった。


「フォーメーションだけちょっと変わるよね」


 日頃はサックスでドラムの慶子の隣にいる明日海がセンター、センターボーカルの耀が慶子の隣──という入れ替えが行なわれ、さらにサウンドチェックをし、


「これなら、なんとかいけそうだね」


 どうにか無事に最終リハーサルは終わった。


 それでも。


 不安感が拭えなかったのか、


「あとはこれでパフォーマンスが上手いこといけばいいんだけど…」


 すず香にはどこか、神経質な一面がある。





 翌日。


 明日海が準々決勝リーグで知り合った、和泉橋女子高の武藤小夜子が出る準決勝リーグAグループを見にやってきた。


「でもまさか明日海が武藤小夜子と仲良くなってるとはねぇ」


 すず香は驚いていた。


「だってすれ違いざまに『いい女の匂いがする』だなんて言われたら、気になるでしょ?」


 他日、武藤小夜子が明らかにしたのは、例の明日海の一言である。


「それで、何となく面白いこと言う子だなって思ってたときに、パウダールームで居合わせたんでちょっと話してみたら、すごく楽しいし話が合って」


 何とその日のうちにLINE交換までして、打ち解けるまでに時間はさまで要らなかったようである。


 話を本題に戻す。






 メンバー全員で大ホールに来ると、


「ノンタン!」


 振り返ると私服姿の高梨あかりが、熊谷杏樹とともに来ていた。


「ちょうどトランペットのコンクールで来てて、杏樹先輩はオープンキャンパスがあるからってこっちにいて…だから二人で来ちゃった」


 でも武藤小夜子が見られてラッキーだなぁ──というような話をあかりは述べた。


「だって武藤小夜子っていったら元スクールアイドルで現役モデルでバンドのボーカルでしょ? こないだ配信ライブ見たけどカッコよくって」


 どうやらあかりはすっかり武藤小夜子のファンになったらしい。


 通路でにぎやかに話し込んでいると、


「あーちゃん、来てくれてありがとうねー」


 見ると衣装姿の武藤小夜子がいた。


「さーたん、LINEありがとね」


 明日海と小夜子は、それぞれを敬語もなくあだ名で呼び合うほどの間柄になっているらしく、


 ──新しく東京にお姉ちゃんができた。


 と、一年生の明日海はすっかり上級生の小夜子になついていた。


「さーたん、頑張ってね!」


「あーちゃんもね。決勝で一緒にハマスタに立とうね」


「うん」


 互いに手を振って別れた。




 ステージが始まるとAグループは演奏順に、


  〈Snow Camellia〉帝邦大学新潟高校【新潟】

  〈小町娘。〉秋田学院高等部【秋田】

  〈叡智えいちスクバン研究部〉叡智高校【香川】

  〈AMUSE〉和泉橋女子高校【東京】


 という組み合わせで、結論から先に記すと大方の予想通り、和泉橋女子高校が圧倒的な得票数で1位通過を果たしている。


「2位の秋田学院、みんな美人だよね」


 明日海と椿は、話が盛り上がっていた。


「秋田学院のボーカルなんかさ、あの子だけアイドルでソロデビュー出来そうなぐらい可愛かったもんね」


 どうやら秋田学院の南璃子りこの話題らしい。


 ちなみにスクバンには男女別にメンバーの人気投票があり、現段階で女子のトップは南璃子、2位は武藤小夜子、3位は駒ヶ根の阿久津瞳子で、神居別高校からは9位に三浦明日海が入っていた。


「明日海だって、一応ベスト10に入ってるじゃん」


「でも9位だから、多分ベストメンバーには入らないかもね」


 決勝戦に残るとその中からベストメンバーが選ばれ、


「ドリームメンバー」


 としてチームとは別に表彰を受ける。


「でも吉田葵がいたら多分私、間違いなく圏外かも」


 明日海は自信が持てなかったのか、ときにネガティブなことを言うところがある。


「そんなこと言わないの」


 そんなときには慶子は、明日海の頭をなでて励ましてみせた。





 宿舎に帰ると、美優がロビーにいた。


「松浦先生から聞いたよ。ピカ、声出なくなったんだってね」


 慶子とすず香は顔が引きつった。


「…大丈夫、昔メグも声出なかったことあったらしくて」


 そういうと美優は瓶に詰まったレモンの蜂蜜漬けを耀に手渡し、


「これね、メグのママからレシピ聞いて作ってみた。シロップごとお湯で割って飲むと喉に良いらしいから、試しに飲んでみて」


 泣きそうな耀を優しくハグしてから、


「…花のことといいバンドのことといい、いちばんピカが大変だったのを、うちは知ってるよ」


 決勝にはメグも来るらしく、


「ピカは随分と成長したね」


 たまらず耀が美優の胸を借り、衆目も憚らず声を放ちくのを、美優は包容力のあるたたずまいで、泣き止むまでそのままにしていた。




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