22 闘魂
花がいなくなって一週間ほどは練習も身が入らなかったロサ・ルゴサだが、それが気がかりであったらしい菱島飛鳥が、差し入れのお菓子を持って部室にやってきた。
「こんなんで元気なんか出ないかもしれないけど…」
飛鳥がマネージャーをしていた野球部は、今年は地区代表の決定戦で夏の甲子園行きを逃し、秋季大会からは星原涼太郎が主将となって新チームが始動している。
「でもさ、きっと花ちゃんだってハマスタの決勝戦行きたかったのは同じだと思うから、どこかで花ちゃんが見てると思って、全道だけでも出てみたらいいと思う」
「ありがとね…飛鳥ちゃんにまで気を遣わせてしまって」
慶子は申し訳なさそうに頭を下げた。
「で、ベースはやっぱり、ピカちゃんが弾くんでしょ?」
「耀だから、代役から昇格って感じだけどね」
全道大会まで、あと半月ほどしかない。
不幸中の幸いであったのは、最終エントリーの直前でメンバー変更が可能であったことであった。
それでも花の件を引きずっていたのは、意外にもすず香であった。
「すず香ちゃん、チューニングずれてるよ」
言われるまで気づかないこともあった。
様子を見ていた松浦先生は、すず香を職員室に呼んだ。
「長橋、休んでるか? ちゃんと食事してるか?」
「…みんなに迷惑かけてるのは分かってます。すいません」
「まぁ落ち込むのは分かる」
松浦先生が語ってくれたのは、かつて自分も似たようなことがある…というような話であった。
「実はワイは似たような理由で、野球やめたんや」
松浦先生が高校生のときにバッテリーを組んでいた捕手が、いじめを苦に自殺したことがある──というのである。
「そのときやっぱり長橋みたいに身が入らんくなって。ほんでワイは、その前甲子園で一応ベスト4まで行ったんやけど、もう投げる気なくなったし、肘に痛みもあったから、野球部辞めたんや。でも、辞めたところでそいつが生き返る訳でもないし」
アマチュアのチームで投球のフォームを変えたりしながら大学までチャレンジはしたものの、結局は不完全燃焼のまま教師の資格を取り、それでも体育の免許は取らなかった──と、松浦先生は述べた。
「それで、ワイにはまだ残ってる仕事が二つある。一つは教え子に頂点取らせること。もう一つは、生徒に悔いのない学校生活を過ごさせること」
少なくとも芸研部に後悔をさせる訳にはいかない、というのである。
「星原には、ワイが決め球に使ってたスライダーを教えた。あとはあいつの鍛練次第や。──長橋、スクバン諦めるか出るか、實藤ならどう考えるか、それはメンバーが考えて決めたほうが、ワイはえぇと思っとる」
「──分かりました」
すず香は部室へ戻る間、もしも花ならどうするかを考え続けた。
部室に戻ると耀だけが一人いて、真っ黒く真新しく塗られたベースの弦の調整をしていた。
「そのベースは?」
「花ちゃんの形見だよ。こないだ納骨のときに、花ちゃんの親戚のおばさんが私にってくれた」
花は裕福ではなかったので、中古のベースギターを大切に使っていた。
色もところどころ変わり、それを耀はライブハウスの常連客に頼んで黒く塗り直してもらったのだという。
「これね、こうやっていろいろ付けられるんだ」
ヘッドのペグにリングフックがついていて、花はそこに小さな時計をぶら下げていた。
「おじいさんの形見の時計らしいんだけど、返しそびれちゃって…とうとう花ちゃんに謝れなくなっちゃった」
「…花からなんか聞いてる?」
「私は簡単に諦めたりなんかはしないよって言ってたんだけど…でも、諦めざるを得なかったってことは、そういうことなのかなって」
「…ありがとね、ピカ」
「うん」
すず香は部室を出ると、誰もいなかった図書室で椅子に腰をおろし、日が傾くまでしばらく考え事にふけっていた。
家に着くとすず香は、制服のまま椿のいる定時制のクラスへ向かった。
ちょうど授業が終わったタイミングで、
「…すず香、どうしたの?」
珍しいあらわれ方に椿は驚いたが、
「…話があるんだけど、いいかな?」
「いいよ」
帰り道に歩きながら二人は、
「ね、スクバンどうする? ノンタンは棄権も考えてるみたいだけど…」
「昔の私なら出なかったかも。でも、今は出たい」
「椿ちゃん…」
「これはね、私は花を忘れさせないための戦いだと思ってる。まぁ少し意味は違うけど、いわば花の弔い合戦みたいなもんかな」
椿の肚は決まっていたらしい。
「前にピカがブロック予選のとき、勝って勝って勝ちまくるんだって言ってたじゃん?」
すず香は黙って聞いていた。
「あれは私は最初大袈裟だなって思ってたんだけど、今は大袈裟なんかじゃない。これは私たちの戦いなんだって」
だから頂点取らなきゃ花が成仏できない──椿の中には、闘志のようなものが沸々と
全道大会に向けた最終チェックを兼ねたリハーサルの日、ちょっとした事件が起きた。
「…私、スクバンを棄権したいって思ってる」
慶子が言い出したのである。
「部長として見てる限り、ベストメンバーでない中、果たしてパフォーマンスできるのか?」
というのがその理由であった。
それには、すず香が食ってかかった。
「ノンタン、今さら何を…冗談言わないで!」
「冗談なんかじゃない!」
間に明日海が入って止めようとした。
「二人とも落ち着いてください! 喧嘩してる場合じゃないです!」
はずみで飛ばされた明日海が壁に背を打ち付けた。
「…!!」
瞬間、すず香は慶子を平手打ちした。
慶子はよろけながら、振り向きざまにすず香にビンタを打ち返した。
どちらも勢い余って床に膝まづいた。
やや間があって、
「ノンタン、…あなたがそんな意気地なしだなんて思わなかった」
「私だってすず香がこんな強情だとは思わなかった」
すると耀がたまらず、
「先輩たち二人とも、そういうのをどっちもどっち、目くそ鼻くそって言うんですよ!」
大声を張り上げない耀が叫んだ。
「二人とも…花ちゃんがいなくなったら途端にそれですか?!」
すず香と慶子は耀の方を思わず向いた。
仁王立ちの耀は、花の形見のベースを手に、涙を流している。
「みんな花ちゃんがいなくなって、悲しいしつらいし厳しいんですよ?! ノンタン部長も、部長って言うならもう少し気丈に振る舞ってください! すず香先輩も、先輩なら先輩らしくしっかりしてください!」
二人とも最低です──日頃は人を
定時制の授業の関係で、あとからリハーサルに来た椿は一連の話を聞いてあきれた顔をしたあと、
「案外いちばんつらいのはピカかもね」
だってピカの家に花が寝泊まりしてる間に貯金箱を盗まれてる訳だから…と、実は耀が自分を責めているように、椿には見えていたらしかった。
「二人ともさ、そんなピカの気持ち考えたことある?」
椿はときに残酷なまで、見切った物言いをする。
すず香も慶子も、椿にはちょっと叶わないと感じていたところがあったらしく、
「…そうだよね。ピカだってつらいんだよね」
数日後には、喧嘩などなかったことのようにすっかり融解していた。
いつもはリボンをカラフルなリボンタイに変えて制服姿で予選に臨むロサ・ルゴサだが、このときの準備は違った。
「今回は花のために、だから」
真っ黒のリボンタイを胸元に、さらにいつもは白いレースの髪留めをつける耀が、このときは黒いレースの髪留めにした。
すず香もメガネを黒縁に変えた。
靴下も、ストッキングも、全員黒ずくめである。
楽器も、ほとんど黒で統一した。
喪章をつけ、胸ポケットには黒いハンカチを入れ、生前の花が好きだったカサブランカの白い花を髪飾りにして、舞台に臨むこととなったのである。
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