21 舷燈

 合宿が終わってほどなく、花の祖母が他界した。


「虚血性心筋症」


 というものによるもので、花は一週間ほど学校を休んで葬儀に参列し、学校からいらかの見える菩提寺へ納骨も無事に済ませたのであるが、


「学費がどうなるか…もし払えなくなったら退学しかなくて」


 夏休み明けで、ただでさえナーバスになりやすい時期に、花は学費の問題を抱えることとなったのである。


 とりあえず二年生の間だけは、親族で学費を払うことにはなったものの、


「もしかしたら、部は辞めなきゃならないかも知れない」


 花としては、それまでの十七年間の人生で、最大の苦悩であったかもわからない。


「予選の直前だからね…」


 せっかく全道大会で六人でパフォーマンス出来るかと思っていた矢先だけに、


──花をレギュラーメンバーから外す。


 という決断は部長の慶子として、一存では決めかねることであった。


 確かに。


 ベースだけであれば、耀が代役で弾いても何の問題も起きなかった。


 だが。


 花は作詞と作曲の両方が出来る。


 しかもビジュアルもクォーターなだけに、他にはない華があって人気がある。





 一方で。


 花自身も芸研部やロサ・ルゴサに迷惑をかけたくない思いは強かったようで、


「椿ちゃん…私、どうしたらいいかな?」


 花はベースギターを抱えたまま座り込んで、椿に相談をする日もあった。


「うちのライブハウスでアルバイトすれば、学費ぐらいは稼げるんじゃないかなぁ?」


 提案をしたのは耀である。


「だってベースの練習にもなるし、学費も稼げるし…それに花ちゃん家からも近いし」


 幸い、耀が掛け合うとすぐ許可も出たので、


「やってみるね」


 花はライブハウスでベーシストとして働くことになった。





 大人っぽい雰囲気の花は、ベーシストとしてすぐに人気が出た。


 中には、


 ──ベースは花ちゃんで。


 と指名してくるバンドもあり、そこは耀も安堵していたようである。


 ライブのない日は耀と一緒に練習をし、時には明け方まで練習をし、そのまま登校したりする日もあったが、それでも花と耀は実の姉妹のように仲良く過ごし、互いの部屋で寝泊まりするような間柄になっていた。


 九月に入ると、初任給を早速学校へ学費として払うための貯金に回した。


 祖母と住んでいたマンションの自分の部屋の貯金箱にしまい、鍵をかけて隠したあたりに、花の大人っぽい性格の片鱗が窺われよう。


 この時期になると耀もベースの腕は上がり始めており、


「とにかく今は、ピカちゃんをちゃんとしたベーシストにしなきゃ」


 と言い、耀に東京の高校での軽音楽部の頃に身につけた技術を、花は伝授し始めた。


「ピカちゃんは覚えが早いから、私が病気になっても大丈夫かもね」


 冗談を言ったつもりが、耀に泣かれてしまったことすらあった。




 花は不意に、


「ピカちゃん、東京の和泉橋女子高って知ってる?」


 神居別に来る前に花がいた高校で、スクールバンドの強豪校の一つでもある。


「もし全国大会に出て、和泉橋女子高の子に会って私のことを訊かれたら、花ちゃんなら何とかなってますって伝えてほしい」


 耀は不思議そうな顔をした。


「そんなもの、自分で行ったときに言えばいいのに…」


「ほら、学費払えなくなったときのことも考えなきゃならないから」


 花はコロコロ笑いながら、


「私は簡単に諦めたりなんかしないし大丈夫」


 柔らかく耀の頭をなでてみせた。




 金曜日の夜、数日ぶりにマンションに帰ると、鍵は閉まっていたがどうやら母親が札幌から来て帰ったらしく、キッチンとリビングが少しだけ散らかっていた。


 日頃から整理整頓をしていた花は、食器を洗って散らかったリビングを片付けたあと部屋へ入った。


 ところが。


 しまってあったはずの貯金箱が、なくなっていた。


 他に荒らされた形跡はほとんどない。


 窓も割れてなかった。


「まさか…ママが?」


 花は頭の中が真っ白くなっていくのを、どうすることもできなかった。




 土曜日の朝練に花が来ない上に電話が繋がらないことを訝った耀は、慶子や何人かの大人と手分けして花を探した。


 部屋にいなかったからである。


 見つからずに帰ろうとした。


 そのとき、救急車が町外れの漁港のほうへけたたましくサイレンを鳴らして走り過ぎていった。


「…まさか、ね」


 港までは距離がある。


「私が行ってみる?」


 原付の免許を持っていた椿が、慶子の家にあったスーパーカブを借りて漁港まで向かった。


 椿が漁港に着くと、岸壁に人だかりができていた。


 ──女子高校生が水死体で見つかった。


 という声に反応し、規制線のギリギリまで寄ってみた。


 顔までは分からなかったが、ブルーシートに並べられた遺留品の中に、見覚えのあるオレンジ色のリュックサックがある。


 つけてある「雨やめーっ!」と書かれたアニメのキャラクターのアクリルバッジで、明らかに花と分かった。


「私が前に花にあげたやつ…」


 小さく口ごもった。


 椿はそのあと記憶が飛んだらしいが、周りの話から繋ぎ合わせると何事もなかったようにスーパーカブを運転し、そのまま慶子の木工所に戻ったようであった。




 後日、松浦先生のもとへ入った連絡によると、紛れもなく花の亡骸であったとの由である。


 どうやら学費を貯めていた貯金箱がなくなったことで絶望的になり、自転車もあったことから、岸壁まで来て身を投げてしまったらしかった。


 通夜の席で花の母親を見つけると、


「…貴様が、貴様が花ちゃんを殺したんだあっ!」


 血相を変えたすず香が胸ぐらへ掴みかかって、ちょっとした乱闘騒ぎとなった。


 その場は慶子と明日海が何とか、二人がかりで止めてどうにかおさまったが、


「…私たち、もっと出来ることあったのかな?」


 通夜の帰り、喪章をつけた耀がポツリとつぶやいた。


 耀の目線の先に、沖を往く船が見えた。


 右左で色の違う船端ふなばたの灯が一定のリズムで明滅し、それはまるで正確にビートを刻む、花のベースのサウンドのようでもあった。




 花の納骨が終わった頃、椿はあかりにひさびさに会った。


 椿は外の空気が吸いたかったのか、高台の公園まで連れ出した。


「花ちゃん…きっと誰にも相談できなかったんだと思う」


 花が誰にも迷惑をかけたくない気持ちを、あかりは理解できたのかも分からなかった。


「誰にも話せなかったから、誰にも迷惑をかけられないって思ったから、最後はあぁせざるを得なかったのかなって」


「でも、言ってほしかった」


「それは簡単じゃないよ。私だって吹部辞めるとき、親に何か言われたりしたらどうしよって、やっぱり誰にも明かせなかったもん」


 言えたら悩んだりしないよ──あかりは述べた。


「でもね、花ちゃんの気持ちをムダにしたら、きっと花ちゃんのほうが多分悲しむと思う」


 あとは、椿ちゃんやメンバーが決めることだよ…あかりは立ち上がると、スカートの埃を払った。



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