Episode3

17 和解

 椿から、くだんの熊谷杏樹のメロディーだけの音源を渡された慶子のりこは、


「これなら歌詞は書けるかも」


 と椿にLINEを入れた。


 翌朝、慶子は花の席に来ると、


「椿ちゃんから曲が来て、こんなの書いてみたんだ」


 仮タイトルで『雨に唄えたら』と書かれた曲を、スマートフォンで再生してみた。


「結構いい曲じゃない」


 花は気に入ったらしい。


「なんかね、椿ちゃんの友達の知り合いだかが、このメロディー作ったんだって」


「そうなんだ?」


 花は何の疑問も持たなかった。





 放課後、部室で椿以外のメンバーに『雨に唄えたら』を披瀝ひれきしてみると、


「わぁ…なんか素敵じゃないですか」


 明日海と耀はすっかり気に入ったようで、


「すず香先輩、これなら間違いなく一位通過できますって」


 例の『闇を撃て!』よりもロサ・ルゴサらしくていい──花も同じ意見であった。


 すず香だけは、


「美優先輩のナンバーなんだけどな…」


 まだ頑ななところがあった。


「でも、美優先輩のナンバーはハマスタで演奏したいです。もしかしたら美優先輩に生で聴いてもらえるかも知れないから…」


 何気ない耀の言葉に、すず香はハッとしたような顔になり、


「ハマスタで…美優先輩の曲を?」


「だって、そしたらカッコよくないですか?」


 耀は脳内に、イメージが出来ていたようであった。


「それはそれでいいかも知れない」


 すず香には、あっさりし過ぎるほど考えを変えてしまう癖がある。


 椿はあかりに、


 ──例の曲、歌詞ついたよ。


 と報告だけはLINEで飛ばしておいた。





 最終エントリーの日、メンバーは『雨に唄えたら』を地区予選での発表曲として提出した。


 斯くして練習が再開し、気に入ったナンバーだけに短期間ながら仕上がりは早く、一週間ほどでサウンドがモノになってきたのであるが、


「これ…誰が作曲したんだろね?」


 すず香はふと、疑義を口に出した。


 椿が作曲できないのはすず香も知っている。


「友達の知り合いだかが作ったものらしい」


 というのだけは分かっているが、椿の友達はすず香以外、高梨あかりか穆陵の駒木根梓ぐらいしか、すず香は思い浮かばない。


「椿、誰が作ったか分かる?」


「私も実は…あんまり詳しく知らないんだよねぇ」


 椿にはポーカーフェイスなところがある。


 そこですず香は、あかりを廊下で捕まえて訊いてみたのであるが、


「私もよく分からなくて…ごめんなさい」


 あかりは深々と頭を下げた。




 結局分からないまま、文化祭で『雨に唄えたら』を披露することになったのであるが、直前のリハーサルが終わってほどなく、いきなり熊谷杏樹が高梨あかりと二人で部室にあらわれた。


「東久保さん、ちょっと」


 部長である慶子が呼ばれた。


「リハーサルで歌った曲、誰から音源渡されたの?」


 厳しい口調で杏樹は詰問した。


「椿ちゃんから来ました」


「それは分かってる。御堂澤さんは、誰から音源渡されたの?」


 矛先は椿に向いた。


「…知ってるけど言わない」


 椿は言い放った。


「私はその人と誰のものか言わない約束をしてる。だから言わない」


 どうしてもと言うなら、弁護士でも呼んでくればいい──椿は冷徹に、しかししたたかに放言した。





 沈黙のまま、LINEで異変を知らされた松浦先生が来た。


「何の騒ぎやねんな」


「先生は黙っててください。私の曲をパクられたかも知れないんですから」


 杏樹の口が滑った。


「あれって、杏樹先輩の作曲だったんですか?」


 思わず明日海が声を裏返した。


「椿…どういうこと?」


 すず香と杏樹は、椿を同時に睨んだ。




 椿は黙ったまま睨み返した。


 その時、である。


「椿ちゃん…もういいよ」


 あかりが小さくぽつりと言った。


「高梨さん、…どういうことなの?」


「あのメロディー、どうしても私は残したくて」


 堰を切ったようにあかりは、音源をみずからが椿に渡したことを吐いた。


「まさかこうなるとは思わなかったけど、でも…どうしてもあのメロディーラインだけは、私は残したかった」


 あかりは膝から崩れ落ちると、顔を手で覆った。


 声を殺して泣いていた。


「でも、もうエントリーは変えられないし…」


 花は眉を曇らせた。


「まぁこうなったら、マジで弁護士呼んで話し合うしかなさそうね。どうせお蔵入りだし、杏樹先輩も怒ってる訳だし。先生…どうします?」


 すず香の冷ややかな言葉に、杏樹は目つきが変わった。





 杏樹はそれまで伏せていた顔を上げた。


「…ありがと、高梨さん」


 あかりは思わず顔を上げた。


「あのメロディー、私も気に入ってたの。でもポップ過ぎるからってボツにされて、悔しかったし、ムカついたし、何より悲しかったし…だから諦めてたの」


 誰もが黙ったままである。


「だけど、あのメロディーを好きでいてくれる人がこんなにいて、正直私は嬉しかった。みんな…ありがとね」


 杏樹は深々とお辞儀をした。


「リハーサルで聴いて、これはバンド編成で活きる曲なんだなって思った。だからこれで精一杯スクバン戦ってきて欲しい」


 笑顔の杏樹の目から、一筋の涙がこぼれた。


「杏樹先輩…」


 あかりはまた泣き出したので椿が寄り添うと、


「あかり…ごめんね」


「ううん、椿ちゃんは悪くない」


 二人は泣きながら、ひしと抱き合った。




 この件で、高梨あかりは吹奏楽部を辞めることになった。


「だってさ…あれで残ったら居づらいじゃない?」


「なんか私のせいみたいで…」


 椿は泣きそうになっていた。


「私が杏樹先輩に言えなかったのが良くなかったから、椿ちゃんはなんにも悪くないよ」


 あかりは、涙の跡を笑顔で隠した。


「でも…通信制の高校に行かなくたって」


「椿ちゃんの前の学校に行くだけだし、それに通信制になれば、定時制の椿ちゃんと遊ぶ時間も増えるし」


 だからこれでいい、とあかりは晴れ晴れとした顔になり、


「今度の休み、遊ぼ」


 この日は、そうお互い話を交わして別れた。




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