14 惜敗


 染井吉野の咲き始めた甲子園球場の内野席に、メグからもらったピンク色の大判タオルを持った慶子が着いたのは、開幕試合の湘陵しょうりょう高校対赤穂あこう商業高校の試合の七回の攻撃が終わったタイミングであった。


 チケットを確認しながら通路の階段を降りていると、


「…ノンタン!」


 声がする。


 振り向くと、なぜか花がいた。


「何で花ちゃんが?!」


「松浦先生がね、一人で行かせるのは気が引けるから行ってこいって」


 そういえば、松浦先生は今回の遠征担当として、吹奏楽部や応援の生徒に帯同して来ている。




 花は首から提げていたチケットホルダーをかざすと、


「チケットも、ノンタンの隣だよ」


 慶子のチケットは松浦先生が用意してくれたが、どうやら花のために、隣の席のチケットも押さえてあったらしい。


「で、マネージャーの飛鳥ちゃんにはノンタンが来てることを伝えてあるってさ」


 座席の番号を確認しながら指定の席に着くと、


「確かにここならアルプススタンドからは見えないけど、ダグアウトからは見えるってことね」


 花の指摘したとおり、記者席の真うしろなら死角ではある。


「何か安いドラマみたいな配置だなぁ」


 慶子は扇子を取り出すと、翳して陽射しを遮った。




 他方で。


 練習の合間に部室のモニターで、芸研部のすず香と椿は試合の情報をチェックしていた。


「それにしても…松浦先生ってスゴいよね。高校野球とはいえ、チケット簡単に押さえちゃうんだもん」


 何者なんだろうね…と思わず椿は本心が出た。


「なんかね、甲子園には出たことはあるみたいだよ。しかも結構有名だったらしくて。うちのパパが名前知ってたぐらいだもん」


 ちなみにすず香の父親は事務用品の営業マンで、新聞社にも出入りすることから、色々と情報を持っていたらしかった。


「それで、前に飛鳥ちゃんが話してたのは、涼太郎が何やら松浦先生から球の投げ方を教わったらしいって」


 興味が薄かったのか、すず香はその程度しか覚えていない。




 開幕試合が終わり、神居別高校の選手たちは通用門からダグアウトへ入って、めいめいに支度を始めた。


「私、生で野球見るの初めて」


「そうなんだ? 私は前に札幌ドームで生で見たけど、迫力スゴかったよ」


 話し込んでいるうちに、サイレンが鳴った。


「試合始まるね」


 神居別高校対茅ヶ崎学園高校のベースボールは、さり気なく始まった。




 部室では試合が始まると、


「でもさ…スポーツしてるときの男子って、真剣な顔をしてるときほどカッコいいよね」


 椿はつぶやいた。


「うちなんか中等部女子校だったから、男子でときめくなんかなかったし」


「そっか…椿ちゃんはそうだったよね」


 二人で部室でスマートフォンをいじりながら、なんとなく試合の展開をラジオのように聞き流している。


 ときおり聞こえる応援団の声が気になったのか、


「うちの学校って、応援むっさいなぁ」


 すず香は今更ながら、吹奏楽部の音の厚みの違いを痛感していた。


「もしかして熊谷部長が気にしてたのって、こういうことなのかな」


「かも知れないね」


 相手の茅ヶ崎学園高校といえば吹奏楽部も強く、スクールバンド部に至っては、スクールバンドのオールスターフェスティバルに、当時椿の中等部があったライラック女学院と並んで招かれるほどの強豪校で、


「確かうちの高等部と、よく決勝戦で対戦してたっけ」


 当時のライラック女学院と、よく金賞を分け合っていたらしい。




 球場での試合経過は、息詰まる投手戦となっていた。


「すごいね。あっという間に五回終了だよ」


 五回終了の段階でゼロゼロ、しかも試合開始からわずか四十分でである。


 ナインが円陣を組んで何やらミーティングのようなことをしているとき、ダグアウトから出て給水を配っていた飛鳥が、内野席にいた慶子に気づいた。


「…」


 何かを発したらしいが、売り子のビール売りの売り声にかき消されて分からなかった。


 慶子は飛鳥に手を振ると、飛鳥はキャップのつばを触って応じた。


「気づいたかな?」


「あとでLINEで訊いてみる?」


 とりあえず試合終わったらだね──花は買ってきたドリンクに口をつけた。


 試合はさらに七回まで互いに無得点まで進み、マウンドから涼太郎が駆け下りてきた。


 次の刹那。


「…!」


 涼太郎と慶子は、目が合った。


 すぐに涼太郎はキャップのつばで顔を隠した。




 八回のイニングが始まると、神居別高校は相変わらず三者凡退に終わったが、八回裏の茅ヶ崎学園高校は、先頭打者が四球を選んで、送りバントの処理の間にランナーは二塁へ。


 さらに牽制球がわずかに逸れた隙に三塁へ。


「これで点取られたら負けるかも…」


 花は固唾をのんだ。


 この直後。


 茅ヶ崎学園の打者は、涼太郎の初球を打った。


 高々と上がった。


 かなり滞空時間のあった外野フライで、タッチアップからの犠牲フライで、初めてスコアに1の数字が入った。




 試合結果から先に記すと、八回の犠牲フライの一点が決勝打となって、神居別高校は惜敗した。


 が。


 収穫もあった。


 アルプススタンドの応援が、吹奏楽部での応援が全盛の時代のさなかにあって、珍しく古風な応援──吹奏楽部の人数がなかったので仕方がないのであるが──が話題となり、神居別高校というワードが、検索ランキングで一位を獲得したのである。


 試合後、松浦先生と飛鳥のはからいで花と慶子は、野球部の宿舎へ招かれた。


 涼太郎は悔しそうに、


「せっかく東久保が来てくれたのに…ごめん」


 すっかりうなだれていた。


 しかし慶子は、


「でもさ、今日の星原くんカッコよかったよ」


 満面の笑みを浮かべた。


「今度は私が、飛鳥ちゃんのために頑張ってスクバン勝つ番だなって」


「スクバン?」


「星原くんの甲子園みたいな大会かな」


 私も飛鳥ちゃんと約束してるから頑張る──それは慶子の決意でもあった。



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