12 約束
高梨あかりが吹奏楽部を退部する──全校生徒約百人少しの神居別高校では、芸研部の廃部云々の話と同様のインパクトとして、バレンタインデーの頃には学校中の話題となっていた。
これに困惑したのは、当の野球部である。
応援の仕方をめぐってトラブルとなり、退部者や廃部の噂まで飛び出し始め、まるで野球部が諸悪の根源よろしき空気感にまで発展しつつある。
「…ったく、すず香のヤツ何してくれてるんだよ!」
渡り廊下で投げ込みの練習をしていたピッチャーの星原涼太郎──すず香のイトコである──は、落ち着かない空気の原因にイトコがいる…というだけで不愉快になっていた。
「でもさ、ノンタンを甲子園に連れていきたいんだよね?」
女子マネージャーで同学年である
「星原ってさ、いつもノンタンのこと見てるよね」
「そりゃまあ、東久保とは小学校から同じだし、あいつとだけはずっと仲良かったしな」
それまでは図書室にさえ行けば慶子と会えたし話もできた。
「それをすず香のヤツ余計なことしやがってさ」
同い年のイトコで比較されがちでもあったからか、涼太郎はすず香とあまり仲が良くない。
それだけに。
選抜高校野球大会への出場はすず香を見返せる千載一遇の好機と捉えていたらしかったが、
「…こうなったら紫紺の優勝旗を取って、二度と文句言えないぐらい見返してやる!」
涼太郎が例のトルネード投法で投げ込んだストレートは、キャッチャーのミットへ、よく響く音を立てておさまった。
結論から先に記すと、応援は吹奏楽部だけで行なうことと決まった。
「喧嘩は昔から痛み分け」
という松浦先生の言葉が、それをあらわしている。
芸研部は甲子園行きがなくなったが、熊谷杏樹も吹奏楽部の部長を外された。
すず香のピアノの発表会が同じ時期に重なってあることが決定打となった形であり、とりあえず芸研部の廃部だけは避けられた結末となったのであるが、高梨あかりの退部問題は残ったままである。
「結局私だけ、いっつも貧乏クジ引いちゃうんだよね」
あかりは慣れていたのか笑っていたが、それが椿には痛々しかった。
「選抜終了後に判断をする」
というなんとも曖昧模糊な先延ばしで、あかりは退部すら自己の意思が通らないことに、もはや諦めすら感じていた。
さて。
一方の芸研部はというと応援から外れたことで、六月のブロック予選に向けた練習に、本格的に取り掛かることが出来るようになったのであるが、
「最近、ノンタンが少し様子がおかしいんだよね…」
気づいたのは、意外なことに花であった。
花が引っ越してきたマンション──といっても三階建ての小さなものであったが──から歩いてすぐの一画に慶子の実家の木工所があって、よく一緒に朝練をしたりする。
「多分、例の応援のことで心理的にかなり圧迫されてるのかなって」
ときおりビートの刻みかたがおかしいときがあるらしく、
「それでノンタン疲れてるみたいだから休みなよって言ったら、休んだら遅れを取り戻せなくなるからって」
卒業時にノンタンこと
メグ曰く、
「ノンタンみたいにマイペースでおっとりした子のほうが部長に向いてるんだよねぇ…」
という考え方があったらしく、
「うーん、すず香は意外とカッとなりやすいし、椿ちゃんは定時制だから時間的な制約があるし…」
それで、とメグは、
「花ちゃん、私のあとの部長お願いできないかな?」
「メグ先輩、私には無理です」
それより、と花は、
「くじ引きで私が引いたら引き受けます。でも他の人が引いたらその人にしてください。そうでないと不公平です」
みずから提案してきた。
確かに花の提案どおり、くじ引きなら不公平は出ない。
ただ、それは裏返せばすず香や椿に当たりが出ることもなくはないだけに、
「うーん」
メグは即答しあぐねた。
「大丈夫です、だってみんな向かう気持ちは同じ方向ですから」
外部から来たばかりの花は、案外そこは冷静に観察していたようである。
くじ引きの案は、美優も同じことを考えていたようであった。
「花ちゃんも考えてたんだ…?」
それなら、と美優と花は二人でくじを作り、
「私と花ちゃんで、次の部長はくじ引きで恨みっこなしで決めようって提案してみた。赤いのが当たりね」
早速、すず香から引き始めた。
「あ、外れた」
次に椿も外れ、慶子が引いた。
「この赤いのって…」
「じゃあ、次の部長はノンタンね」
美優が宣告した。
「でも…」
「くじ引きなんだから恨みっこなしだよ?」
「いや…美優先輩、その…」
私なんかより、ふさわしいのはすず香や椿だ──というようなことを言い出した。
「でも公平にくじ引きで決めていいよってメグ先輩からも言われてますし」
花の一言で、慶子は受け入れるしかなかったようである。
新しく部長となった慶子は、事務処理やメグからの引き継ぎで数日ほどドラムを叩かなかったのだが、最後に引き継ぎの書類に松浦先生から印鑑を捺してもらった帰り、廊下で菱島飛鳥と出くわした。
「あの…東久保さん?」
「あなたは…?」
飛鳥に呼び止められた慶子は、飛鳥に図書室へいざなわれると、
「実はね」
と、意を決めたような顔つきに変わった飛鳥から、
「涼くん…いや、星原くん…あなたのことが好きらしいんだよね」
それで慶子を甲子園に連れていきたい──というような旨を伝えられた。
「私ね…別に星原くんのことはなんとも思ってない。別に好きな人もいるし。けど、でも東久保さんを甲子園に連れて行きたいって聞かされたら、それを聞かなかったふりをするのは、人間としてどうかなって思って。だから」
あなた一人でもいいから、応援に行ってあげてもらえないかなって──飛鳥は思ったままに言葉にした。
慶子は困惑した感懐を隠さなかった。
「でも…」
「吹奏楽部とのこともあるから、行きづらいのはわかるけど、だったらアルプススタンドじゃなくて、違う席から一人で見れば大丈夫かなって」
飛鳥は笑顔になると、
「私ね、ホントはバンドやりたかったんだけど、好きな先輩が野球部に入ったからマネージャー始めたんだ」
スクバンの北海道予選も見に行った──飛鳥の一言に慶子は驚きを隠さなかったが、
「だからね、もし芸研部が全国大会に出たら、私もハマスタに行きたいって思ってて」
「菱島さん…」
「…約束、してもらえる?」
慶子は少しく考えていたが、
「分かった。約束する」
「じゃあ、指切りしよっ!」
飛鳥は小指を出した。
慶子は応じた。
「…ありがとね、突然なのに」
「うぅん。…誰かのためにってなったら、ちょっとだけやる気わいてきた」
飛鳥も慶子も、なぜかクスクスと笑い出した。
それでも。
誰にも言わないのだけは気が引けたものか、慶子はライブハウスにいるメグにだけは話した。
「そっか…別に気にしなくても良かったのに。ノンタンの人生なんだからさ」
「けど…」
「まぁ確かに行きづらいのはわかるけどさ」
メグはクローゼットから、一枚のピンク色のタオルを出した。
「これね、ピンクだし大判だから、スタンドで使ったらマウンドから見えると思う」
ピンク色の地にプルシアンブルーで「
「前にパパがお土産で買ってきたタオルだけど、使ってないし、ノンタンにあげるね」
メグには気前の良さがあるらしい。
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