6 後任
夏休みが始まって、椿の編入手続きが落ち着いた──というので、メンバーは学校に集まって宿題を済ませてから練習、という合宿のようなメニューでのレッスンが始まった。
トランペットにこだわっていた美優も、この時期には勧められたサックスの練習も始めるようになっており、
「美優先輩、少しだけ大人になりましたね」
すず香にイジられる始末であった。
学校には夏休みでも吹奏楽部やら野球部が集まって練習をしたりもする。
特にこの年は吹奏楽部が初めて地区大会で金賞を取って全道大会への切符を掴んでおり、それだけに気合いの入ったチューニングの音が聞こえたりもしていた。
その音のする方向へ、美優が時折顔を向けたりしているのをメグが見つけると、
「美優は、吹部に今も戻りたい?」
何気なく問うてみた。
「今は思わないかな。だって、前より明らかに楽しいもん」
美優の吹っ切れたような表情にメグは安心したのか、
「それならいいんだ」
メグはベースの練習に戻った。
校舎の中庭で美優がサックスを一人で吹いていると、
「美優先輩!」
美優が振り向くと、そこにはトランペットを手にした高梨あかりがいた。
「先輩、楽器変えたんですか?」
「うん、まあね」
「…芸研部って、どのぐらい楽しいですか?」
「私はすごく楽しいよ。オーディションで苦しむことがなくなったから」
そこは事実であろう。
「…実はわたし、ほんとは芸研部で軽音楽やりたかったんです」
あかりは衝撃的なことをいった。
美優の困惑する顔をよそに、あかりは述べた。
「でも、そんな軽薄な活動はダメって親に反対されて、もし入るなら退学させるって言われて…それで吹奏楽ならいいって」
それで、本来は違う楽器をしたかったのだが、親がやりたかったトランペットになったらしい。
「わたしは多分、そうやって自分の意志を通せないまま一生終わるのかなって、なんだか今更なんだけど諦めちゃって」
「説得すれば今からでも間に合うって」
美優はあかりの肩を掴んだ。
「あのね…うちの親って、自分でやりたいことができなかったから、私に代わりにやらせたいんだって思うんです」
「そこはなんか違うんじゃない?」
「何を言ってもダメなら、多分世の中みんなそんなもんだし、もう死ぬまでそんな感じなのかなって」
あかりは抗うだけ抗ったのかもしれない。
それで絶望し、諦め、悟ったのかもしれなかった。
あかりは芝生に腰掛けていた、美優の隣に座った。
「だからあのオーディションのときも、美優先輩が譜面通りに吹けるから、てっきり美優先輩が受かるだろうって思ってて」
確かにあの日、あかりは譜面をことさら無視するように、かなりその時の心の起伏の思うままに吹いた。
しかしそれが、情感を込めて吹いているように見られたのか、精確に吹いたはずの美優ではなく、あかりがオーディションで選ばれた。
「それでわたし、あのあと先生に言いに行って、私なんかより美優先輩のほうが譜面通りに吹いてますって言った」
それでもオーディションは多数決で、採決で決まったのだからと諭され、どうすることもできなかったらしい。
「…私、なんか誤解してたかも」
美優はほほえみながら、
「私なんかより、あかりのほうをみんな重要視してて、私は吹部で必要とされてなかったんだってあのとき思ってて、そんなときにメグから声かけられたから、だったら必要とされてるところに行こうって決めたんだよね」
「えっ…」
「だから、あかりは今は吹部で必要とされてるから、その必要とされてる場所で頑張ればいいんじゃないかなって」
私は私で芸研部で頑張る、と美優は言いたかったのかもわからない。
「美優先輩…」
「あかりはあかりらしく、それでいいんじゃないかな」
美優は立ち上がると、スカートの埃を払った。
合宿が終盤に差し掛かった頃、メンバー五人は千尋先生に呼び出された。
「あのね…実は私今度産休に入ることになって」
新婚の千尋先生は、安定期に入ったらしい。
「それで、今度新しく顧問の先生が二学期から変わるんだよね」
千尋先生いわく、京都での大学時代の先輩にあたる教諭であるらしい。
「それで関西弁の先生なんだけど、少しいかついから怖く感じるかもしれないけど、見た目だけで大丈夫だと思う」
その先輩先生とは仲が良かったらしかった。
しばらくして。
夏休みが終わろうとしていたお盆休み前──北海道は夏休みが短い──、派手な和柄のアロハシャツを着た短髪の、がっしりとした身体つきの男が、芸研部の部室にやってきた。
「部長さん、いてる?」
明らかな関西弁である。
「部長の佐久間
「今度、部の顧問になることになった松浦勲や。まぁマッチャンでもイサオちゃんでも、気楽に何でも呼んだってや」
見た目の割に気さくな人であるらしく、どうやら気のいい関西弁の
「で、部のみんなは?」
「それぞれ練習してます」
「まぁ紹介はあとでえぇから。今度確か全道大会あるんやろ?」
千尋先生とは違った、何か違う考え方を秘めていたらしかった。
ミーティングのときにそれぞれの自己紹介があって、
「ワイは剥いた話、正直スクールバンドは詳しくない。せやけど楽器運んだり、トレーニングのメニュー考えたり、そのぐらいはサポートでけると思うから、まぁなんかあったら言うたってや」
松浦先生は、殻を割ったような言い方をした。
「千尋先生とはまったく違うよね」
すず香に椿は耳打ちした。
松浦先生がさらに千尋先生と違ったのは、
「練習のメニュー考えたんやけど、どないやろか?」
と、前のめりなぐらいメンバーたちの世話を焼くところである。
どちらかというと千尋先生はそんなにメンバーとは交流を持たなかったので、これは新鮮でもあった。
しかし。
あとからわかった話だが、松浦先生は元甲子園球児で少しオタクなところがある。
それだけに。
「1、2ぃ、1、2っ3ハイっ!」
と、さながら高校球児のような掛け声で走り込みのトレーニングを組み込んだりする。
これには体力のない慶子は閉口したが、
「まぁライブは体力勝負だから…仕方ないか」
などと、案外ひ弱そうな椿なんぞは食らいついていた。
二学期が始まる頃には、全道大会に向けた練習も追い込みシーズンとなっていた。
「こっちなんか初の全道大会なのに、野球部の応援があるからみんな来ないらしいよ」
すず香は釈然としなかった。
代替わりした野球部には、すず香のいとこの星原涼太郎という投手がある。
小柄ながら全身でトルネード投法を使って豪速球をミットめがけて投げ込んでくるというピッチャーで、それがあれよあれよと後志ブロックの予選を勝ち上がって、春のセンバツに向けた秋の全道大会にまで勝ち進んでいたからである。
「全道大会なんか函館とか札幌とか強い学校だらけなのに…」
ふくれっ面をするすず香に、
「だったらうちらも、全道大会勝てばいいっしょや」
慶子がいった。
「ビギナーズラックだろうが何だろうが、勝てば官軍なんだからさ」
確かにそんなものなのかもしれない。
小生意気そうな、腹立たしい涼太郎の顔が浮かんだ。
「…先に全国行ってやる!」
すず香の闘志に、火がついた瞬間であった。
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