チャンネルを合わせることについて
二〇〇〇年代以降のジャズについて詳しく知りたければ、
『Jazz The New Chapter』のディスクガイドで紹介されているジャズのアルバムは、いずれも近年発表された作品であり、どれも今まで聴いたことのないような要素を含んでいる。つまり、一九六〇年代にスタイルがおおよそ完成して、それ以降は伝統芸能化していったメインストリームのジャズとは一線を画している。多くは若いミュージシャンの手によるもので、彼らはジャズ以外の音楽、たとえばR&B、ヒップホップ、クラシックや民族音楽などの要素を大胆に取り入れたり、ジャズの歴史の忘れ去られた一ページ、つまり一九三〇年代以前のジャズや、あるいは一九四〇年代以降のジャズであってもメインストリームに乗らなかったものなどに思いを馳せたりする。
そうした作品を聴いていくと、中にはすごく好みのものもあるし、良さがよくわからないものもある。しかし面白いのは、よくわからなかった作品も、柳樂の推薦を信じて何回か繰り返し聴くと、耳に馴染んで聴こえ方が変わってくることがあるということだ。それまで聴いていて不自然に感じられた部分が逆にその音楽の魅力であることが理解できる。あるいは、ミュージシャンの細部へのこだわりを追体験できるようになる。こうした経験を、私は何度か繰り返した。とりわけ印象に残っているのは、クリスチャン・スコット『アンセストラル・リコール』とマカヤ・マクレイヴン『ユニバーサル・ビーイングズ』だ。初めて聴いたときと一番最近聴いたときとでは、私のこれらのアルバムに対する感想はまったく別種のものになった。
ここから私は次のようなことを考えた。近年活躍している一流の若手ミュージシャンは皆、「自分だけのジャズ」を作り上げようとしている。「個性」という一言で片付けられるものではない、まったく新しいスタイルの音楽を、若手ミュージシャン一人ひとりが作り上げようとしている。それゆえ、彼らの音楽にチャンネルを合わせるのは、時として簡単ではない。何回も繰り返し聴くうちに、私たちは彼らの音楽の先進性を少しずつ理解できるようになるのだ。
「チャンネルを合わせる」という言葉について補足する。昔のジャズというのは、先に述べたように、一九六〇年代まででほぼスタイルが完成している。だから、五〇年代から六〇年代のジャズの名盤と呼ばれているものを一通り聴けば、ジャズのメインストリームの演奏内容は誰でも大体理解できるようになる。そして八〇年代から九〇年代のジャズを聴いても、基本的には六〇年代までのスタイルの延長線上にあるものとして理解できる。これが、「ジャズ」という音楽にチャンネルを合わせるということだ。
しかし、現在のジャズシーンに関して言えば、一流の若手ミュージシャンの音楽を九〇年代までのメインストリームの延長線上で捉えることはできない。先に説明した通りである。つまりはミュージシャンの数だけチャンネルがあるというようなことであり、私たちは個別の音楽にチャンネルを合わせていく必要があるということだ。
私が言う「ジャズの再生」とは、この状況のことである。伝統芸能化して死んでしまったジャズの未来を、ミュージシャン一人ひとりが開拓しようとしている。ジャズをあらゆる時代のあらゆる地域の音楽と様々な方法で接続することを試み、新しい音楽言語の獲得に向けて模索している。十年後、二十年後のジャズがどうなるか、誰にも分からない。だからこそ、『Jazz The New Chapter』を手に取るような人は、誰もがわくわくしている。もちろん一番わくわくしているのは柳樂光隆だろうが。
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