菊地成孔とDCPRG
〇〇年代(二〇〇〇年~二〇〇九年)は、ジャズにとっては失われた十年と言っていいような時代だったと思う。この時期若手として活躍したジャズミュージシャンと言えば、ジョシュア・レッドマン、クリス・ポッター、ブラッド・メルドー、カート・ローゼンウィンケル、クリスチャン・マクブライド、ブライアン・ブレイドなどがいるが、ほとんどのジャズファンに名前を知られる大物となったのは結局この六人くらいのものではないか。それにこの六人は若手と言ってもいずれも一九七〇年前後の生まれで、〇〇年代にはすでにフレッシュさを失いつつあった。ハービー・ハンコックやパット・メセニー・グループといった大御所も新作を発表していたがさすがに全盛期を過ぎている。そして後進の層は薄く感じられた。ロバート・グラスパーが『ブラック・レディオ』で大ヒットを飛ばすのは二〇一二年、まだ先のことだ。
要するに、ジャズはこの時期ほとんど「死んだ音楽」だった。先に名前を挙げた有能な若手たちは、既存のジャズの枠組みを打ち破ろうとして様々な実験を試みた。彼らは確かに優れた演奏を残したが、それはジャズをよく知らない若者には難解な音楽として敬遠され、五〇年代から六〇年代のジャズの黄金時代を夢見る年寄りには邪道な音楽として無視された。現在進行形のジャズを嬉々として享受していたのは一部の「オタク」だけだった。
日本のジャズシーンに目を向けてみると、ほとんどのミュージシャンは二〇世紀のジャズやフュージョンの延長戦をやっていて、この時期真に新しいジャズを作り上げようとしていたのは
東京ジャズシーンのミュージシャン(サキソフォン/ヴォーカル/ピアノ/キーボード/CD-J)として活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、極度にジャンル越境的な活動を展開、演奏と著述はもとより、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、コラムニスト、コメンテーター、選曲家、クラブDJ、映画やテレビドラマの音楽監督、対談家、批評家(主な対象は音楽、映画、服飾、食文化、格闘技)、ファッションブランドとのコラボレーター、ジャーナリスト、作詞家、アレンジャー、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。
「すさまじく吸水力の高いスポンジのように」(以前、菊地成孔を取り上げたあるテレビ番組の中で誰かがそう言っていた)あらゆる文化的な事象を自分の中に取り込んでいく貪欲さ。そのすべての活動をフォローすることは不可能であり、それゆえ菊地成孔について語ることは難しい。私は以下で、菊地がおそらく一番気合をいれてやっているバンドである、DCPRGについてのみ書くことにする。
菊地がデート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンを結成したのは一九九九年のことだ。バンドは二〇〇七年に一度活動を終了するが、二〇一〇年に新メンバーでDCPRGと改名して活動を再開し、現在(二〇二〇年九月現在)に至る。なお、活動再開後は二度のメンバー入れ替えとバンドの改名を経ており、現在の正式なバンド名はDC/PRGである。簡単のため、以下ではすべての時期を通じてこのバンドをDCPRGと呼ぶことにする。
DCPRGは十人以上の大編成で、菊地はサックスを吹かずに基本的にはコンダクト(指揮)に専念し、ときどきキーボードかCD-J(DJ用のCDプレーヤーのこと)で演奏に加わる。編成から言っても演奏内容から言っても、一般的なジャズバンドではない。ではフュージョンかと言えば、それも違う気がする。
このバンドのユニークさの一つとして、変拍子(五拍子や七拍子などの、二や三で割り切れない拍子)やポリリズム(複数の拍子が同時進行すること)などの複雑なリズムをふんだんに取り入れながら、その演奏をダンスミュージックとして成立させていることが挙げられる。
ジャズは一九三〇年代に社交ダンスと結びついて最初の黄金時代を迎えたが、その後演奏内容が複雑化していくにつれ、踊れない音楽になっていった。ジャズをダンス音楽として復活させる試みとしては、八〇年代から九〇年代にかけて流行したクラブジャズというのもあるが、これはあくまでDJがかけて聴衆を踊らせることが主目的で、音楽的内容としてはジャズを水で薄めたようなものだった。それに比べるとDCPRGの演奏は、踊れる上にジャズのいいところを濃縮したような音楽的内容を持っている。
ジャズが停滞していた〇〇年代に、DCPRGは『アイアンマウンテン報告』(二〇〇一)、『構造と力』(二〇〇三)、『フランツ・カフカのアメリカ』(二〇〇七)と代表作となるアルバムを次々にリリースしていった。とりわけ『構造と力』は、タイトルの通り、綿密に設計されたリズム構造の上で繰り広げられる呪術的な演奏がすさまじいエネルギーを生む、パワフルな名盤である。
二〇一〇年に活動再開してから二〇一二年までのあいだに出した二枚のアルバムは、ラフなセッションの
ロバート・グラスパー・エクスペリメントの『ブラック・レディオ』に代表される、R&Bやヒップホップに接近した二〇一〇年代以降のニュージャズについて、聴いていてのれないと感じることが私は多い。それはどうしてかと考えると、R&Bやヒップホップと接続するために、ジャズの自由な即興性がある程度制限されているからだという気がしてくる。ジャズはその生命ともいえる自由な即興によって、同じ曲でも演奏するたびに、あるいは一曲の演奏中でもどんどん表情を変えていく。そうした表情の変化がニュージャズには乏しいのではないか、と思うのである。
それと比べてDCPRGの『構造と力』や『フランツ・カフカの南アメリカ』を聴くと、ジャズを大幅に拡張しながらも、強靭なグルーヴと自由な即興を両立させていて実にバランスが取れていると感じる。そして、自身の活動領域を貪欲に広げながらもジャズミュージシャンとしてのアイデンティティを見失わない菊地成孔自身の姿が、それに重なってくる。
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