中村亮トリックスチュワート・バンド
忘れられないライブがある。
二〇一三年十二月のある日、高校生だった私は実家の近くにあるジャズのライブハウスに来ていた。その店は定期的にジャムセッションを開催しているので、演奏の機会を求めてよく通っていたが、ライブを聴きに行くのはその日が初めてだった。
私はそのころ主にCDを集めることに小遣いを使っていて、よほど心惹かれるラインナップでなければライブに出かけていくことはほとんどなかった。CDは中古なら大体千円以下で買えて何回でも聴けるのに、ライブはその何倍ものお金がかかる上に一回しか聴けない。どちらをとるか、高校生の私には考えるまでもないことだった。
それにもかかわらずその日のライブを聴きに行ったのは、ライブの前に開催されるワークショップの内容が気になったからだ。主催はその日出演するバンドのリーダーである、ドラマーの中村亮さん。テーマは「グルーヴ」。この「グルーヴ」という言葉の意味を説明するのはとても難しい。当時の私は「ノリ」とほぼ同義語くらいに思っていたのだが、実際には音楽の推進力となりうるあらゆる要素のことを指すことができるようだ。中村さんのワークショップは、演奏楽器も音楽経験も不問で、良いグルーヴを生み出すための考え方を学ぶというものだった。ライブハウスのウェブページを見て、これは自分に必要なものであるような気がする、となんとなく思った私は、五千円という決して安くはない金額を払って参加した。
ワークショップは基本的に中村さんが自らの経験と考えを述べるのを聞くというスタイルで、ときどき全員で手を動かしてリズムトレーニングの実践練習をした。そのとき中村さんの語った内容について、正確に思い出すことはできない。あまりに納得したので今となっては自分自身の考えと一体化してしまっている部分もあり、いまだに自分の中で消化できていない部分もあり、そして実際に語られた言葉自体はほとんど記憶から消えてしまったということもある。一つ確かなことは、それは私の音楽に対する価値観を大きく変える出来事だったということだ。
さらにワークショップ後のライブで、私の中のジャズという概念がひっくり返されることになる。中村さん率いるトリックスチュワート・バンドのメンバーは、ドラム、ベース、ギター各一人にサックスが二人という、ジャズバンドとしては少し変わった編成で、演奏されたのは全曲中村さんのオリジナル曲だった。中村さんは結構くせのある作曲をする人で、曲によっては複雑な変拍子やジャズ以外のリズムがふんだんに取り入れられていた。メンバーは作曲者の意図をよく理解し、曲の枠を守りながらもそれぞれ個性的な演奏をしていた。また、テーマをやってソロを回してまたテーマに戻る、というジャズの定石にこだわらない展開も新鮮だった。「スター」という曲のテーマがサックスだけでなくギターとベースを含む全員のユニゾンで演奏されたとき、私は「ジャズってこんなに自由でいいんだ」と思った。そもそも自由なところに惹かれてジャズを始めたのに、その可能性について自分の視野が狭かったことを実感させられた。
どのメンバーの演奏も素晴らしかったが、とりわけアルトサックスの浦ヒロノリさんの演奏は最高だった。上から下までどの音域も輝かしい音色で軽々と吹きこなし、切れ味鋭いフレージングは往年のテナーサックスの名手、マイケル・ブレッカーを思わせた。即興で生み出されるフレーズの豊かさという点ではブレッカーを上回るかもしれない。要するに非の打ちどころのない演奏だったということで、こんなに素晴らしい演奏をするジャズミュージシャンが日本にいるということに私はいたく感動した。
そして感動したことはそれだけではない。中村さんの意向でライブは通常の半分ほどの時間で終わり、残りの時間はジャムセッションとなった。ワークショップの実践編も兼ねている。ジャズのセッションのように皆の知っている曲をやるのではなく、コード進行とテンポを簡単に決めて皆で曲を作っていく、という中村さん独自のスタイルのセッションだった。ステージに上がって何曲かピアノを弾いているうちに、それまでのジャムセッションで感じていたのとはまったく違う種類の視線が自分に集まるのを私は感じていた。いつものジャズのセッションよりずっと自由な枠組みの中で、そしてワークショップやライブの感動を経た新鮮な気持ちの中で、私の創造性はそれまでにない羽ばたきを見せていた。中村さんたちミュージシャンは口々に私の演奏をほめた。いつものセッションでは未熟な若者としか見られていなかった私が、ミュージシャンとしての実力を認められた瞬間だった。そして浦さんは言った。
「僕は君のピアノが好きだよ」
自分の演奏を好きだと言ってもらえたのは、このときが生まれて初めてだった。だから浦さんの言葉は何より嬉しかった。
その後中村さんのライブを聴く機会は今に至るまでなかった。中村さんは当時東京を拠点に活動していて、その後ベルリンを経て現在は出身地の沖縄を拠点としている。私の地元にライブをしに来る機会がそもそもまれなのだ。ちなみにトリックスチュワート・バンドはこれまでに二枚のアルバムを出しているが、残念ながらいずれもライブの熱気を半分も伝えていないと思う。
浦さんはその後別のバンドで何回か私の地元にライブをしに来たので聴きに行ったが、そのとき浦さんが語ったところによると、当時のトリックスチュワート・バンドのメンバーの半分が東京を離れているという。その中には出身地の福岡に拠点を移した浦さん自身も含まれる。
このことから、音楽業界が東京一極集中というあり方から徐々に変化していく未来が見えてくるような気もする。中村さんも浦さんも地道な活動を大事にするタイプの人なので、ジャズシーンで有名というわけではない。だからこそ、私が知らないだけで彼らのような素晴らしいミュージシャンが日本の各地にいるはずだという期待も持つことができる。
中村さんは、かねてからの目標であった沖縄での音楽学校の設立に着手しているらしい。そこからまた次世代のミュージシャンが育っていくのだと思うとわくわくする。
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